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秋の日誌1

fujipon.hatenablog.com

ぼくのことを書きます。ぼくは今年で46歳になります。46といえばアルベール・カミュ中上健次が逝った歳です。どちらも、自国の文学のみならず世界文学のスタンダードを作り変える可能性を秘めた作品を残した作家です。ところで、ぼくはこれまで一編の短編小説すら書いたことがありません。前に作家の真似事をして同人誌を出していた時に戯言を文章にしたことはありますが、それだけです。だから同じ46年という年月を重ねても相手は『枯木灘』(これは過大評価だと思いますが)と『異邦人』を書いた作家であり、ぼくはただ単なるトーシロでしかありません。つくづく、神様というものは不公平だと考えます。ぼくはあんなに作家になりたかったのになれなかった。ぼくにも才能があれば……と。

でも、なれなかった人間のヒガミも交えつつ考えるのです。一体、幸せってなんなんでしょう。ぼくは作家になりたいと思ってなれなかったので、ある意味負け犬です。ぼくはこれまで、色んな本を読み映画を観てきました。それらの本や映画では、夢を持つことが美しいことと言われます。ポジティブ・シンキングで生きていけばうまくいく、夢を持ちそれに向かって己を律していけば必ず叶う――そう語られます。でも、もちろんそんな言葉は素晴らしいものですが、夢を諦めることや夢を持たず粛々と生きることもまた素晴らしいのではないでしょうか。ぼくたちは、挫折を甘美に描いたデミアン・チャゼルの映画『ラ・ラ・ランド』がアカデミー賞に輝いたことを知っています。夢を諦めなければならなかった……そんな物語もまた、語られる価値はあるのです。

ぼくは、ロスト・ジェネレーションと呼ばれる世代に属しています。ベビーブーム世代のひとりとして生まれました。故に激しい受験競争を勝ち抜かねばならず、そして勝ち抜いたとしても厳しい就職氷河期を体験しなければならなかったのです。だからぼくは(発達障害者であると若い頃にわかっていなかったこともあって)就職で挫折し自殺未遂をして、今の会社に拾われました。拾われたはいいのですが、ぼくは仕事を始めても「これを一生の仕事にしよう」なんてことは考えませんでした。医師と相談して「半年を目処に、社会復帰のために」と言われて始めた仕事だったので、いつでも辛くなったら(アテはないけれど)辞めようと考えていました。そんな仕事をもう20年以上続けています。

仕事を始めてから、ストレス解消のために呑み始めたお酒が酷くなりました。誇張ではなく、本当に毎日呑んだくれる日々が続きました。どこから金が湧いて出たのか、今となってはわかりません。ともあれ自分の稼ぎで呑んでいるのだし、万が一死んだとしても酒で酔っ払った末に死ねるのならこんなにいい死に方はない、と本気で信じていました。ぼくが発達障害者であることは前に書きましたが、そのせいもあってかぼくは子どもの頃から「変人」でした、どこへいってもいじめられたり笑われたりします。仲間外れにされ、足蹴にされます。だからぼくは子どもの頃から本ばかり読んでいました。だから、本ばかり読むぼくに向いている仕事は作家しかない、といつの間にか考えるようになりました。

とはいえ、なにをしていたかと言えばなにもしていませんでした。真面目な作家志望者なら処女作を書き、習作を書き続けます。賞に落ちても、没になってもめげたりせず(笙野頼子のように、書き続けた執念で才能が開花した作家なんて珍しくありません)。ぼくはただ酒を呑んでいただけです。多分、ぼくがなりたかったのはリアルが充実していてちやほやされている「有名人」であり、本当の意味での作家ではなかったのです。書き始めて、自分に才能がないこと、自分が作家になれるようなタマではないことが露呈するのが怖くてしょうがなかったのです。だらしがないというか、肥大したプライドを持て余したというか……中島敦山月記』の虎になった詩人のような(いや、あの詩人にはともかくも才能はあったので違いますね)。

だから、ぼくは毎日なにもせずただダラダラとブログを書き、書評めいたものを書いていました。それが読まれれば活字畑に出られるかもしれない……そんな虫のいいことを考えていたのです。傷つかないで作家になるために現実的な道筋、という意味でならスジは通りますが。ともあれ、ぼくはそんなふうにして20代を過ごし、30代を過ごしました。仕事は相変わらず出世のアテはなく、書いているものも芽が出ず、酒は酷くなるばかり。どん底を生きた、と思います。そんなある日、ぼくは元ポリスのスティングの逸話を聞きました。彼は体育教師だったのですがその仕事に情熱を持てず、ある日「10年後の自分」を思い描いたそうです。彼は「10年後」も自分が情熱を持てない体育教師をしていると未来を思い描き、嫌気が差して先の見えないミュージシャンの道に飛び込んだのです。

ぼくはその話を聞いて、ぼく自身の「10年後」を思い描いてみました。そこには、やはり今の仕事をダラダラ夢も希望も目標もなく続けている自分が居ました。いつか有名になってやる、ビッグになってやる、作家として名を成してやると息巻いていて、でもなれずに酒ばかり呑んだくれて老醜を晒している自分が居たのです。職場では正社員の方に「フリーター」とバカにされ、後輩からも邪険に扱われて、向いてない仕事をやらされて、それでも生きていくために働くしかなくて……そんな自分が居ると思い、ぼくは絶望し自殺未遂をしました。それが30代のことです。ああ、浅はかだったと思います。それから時は過ぎ……今もぼくは今の仕事を続けています。

ですが、これは別の話になります。もうここまで長く書いてしまったので、また別の形でお話しするかもしれません。ぼくは今は自分の書いたものがどれだけ下手くそでもきちんと受け容れられるし、下手くそであるならなおのこと、ぼくは自分の書いたものを「駄文」として受け容れられます。いや、下手くそでもぼくにとっては生きていくために書かなければならない類のものだから書く。それでいいと思います。ライナー・マリア・リルケという作家が『マルテの手記』という本の中で、詩人に必要なのは「経験」だというようなことを語っています。きっと、ぼくにとっては今ここまで得てきた「経験」こそが本当に必要なものだったのであり、だから今こうして文章が書けているのだろう、と思います。その意味では、ぼくは「これから」なのかな、と甘いことを考えます。

この話、もしかしたら続くかもしれません。その時はぼくは中島義道から学んだ「人生を『半分』降りる」という生き方と、フィッシュマンズのことについて書こうかと思います。