本の中で村上春樹が、彼自身が文学の修業あるいは作家としてのキャリア形成にあたって「師」「師匠」と呼べる人を持たなかったことを吐露していたのが目を引く。そして、なんかここがぼくのスットコドッコイなところなんかなあとも思うが、ふと「『このぼく』ははたして『師匠』『メンター』と呼べる人なんか持ったことあるかなあ」とも思ったりしたのだった。いや、もちろん春樹はぼくが逆立ちしたってかないっこない稀代のストーリーテラー(つまり「嘘つき」)。彼がどのように事実というか彼個人のエピソードを誇張したり加工したりしているか、気をつけないといけない(彼のファンを30年ほどやっていると、いかにこのぼくが悪名高き発達障害者であるといってもそうした彼の「手癖」もそれなりに読めたりするのだった)。でも、あながち春樹がそんな「一匹オオカミ」「ロンリーウルフ」として生きてきたとみずからを形容することがまったくの嘘っぱち・デタラメとも思えない。たしかに、どこかのギルド(職能団体)なんかに属する生き方というのが性に合わないからあんな作風・生き方になるんだろうなとも思う。それで、村上龍(さいきんこの人の『限りなく透明に近いブルー』を読みあらためてすごいと唸らされた)や柴田元幸といった少数の気を許せるライバル以外の人をのぞいて、ベタベタした人間関係を嫌うのかなとかあ……とかなんとか。
話が脱線してしまったが、いまでも迷いなく・ためらわず言えることとしてぼくにとっては春樹さんが「メンター」「精神的支え」となってくれた1人であり、もっと言えば象徴的な意味で「兄貴」「父親」ですらあった。いろいろなことをこの人から教わったし、春樹さんがいなければぼくはその後ポール・オースターを読むこともなかったし、あまつさえ早稲田の英文科を物見遊山で受験するきっかけにもならなかっただろう(彼が早稲田出身であることが頭のバックサイドにあったから早稲田を受けてみたとも言えたのかもしれない)。彼の明晰に理知的な文体、ユーモアの趣味やセンス、とても几帳面で堅苦しくさえあるライフスタイルに影響を受けたりもしたのだった(これはもちろん「下衆の勘繰り」のきわみで実に恥ずべきこととあらかじめ自己批判するが、でももしかしたらそんな几帳面さって春樹さんの中にも発達障害の特性があるってことじゃないかなとも思ってしまう。いやもちろん、「診断を受けろ」という話ではないです)。彼が聖人君子や生き神というわけではないだろう。間違いだってするし、ぼくから見れば具体的な作品名は挙げないがひどい愚作を発表したことだってある。でも、そうした間違いやそそっかしさもふくめて信頼できるし、良かれ悪しかれぼくの人生と伴走している作家と言える。
昨日はなんだかこの日記でとんでもない腐ったトラウマまみれの記憶を書きなぐってしまった。女生徒たちにずいぶん嫌われて、そのせいでぼくの中にいまだ残る「ミソジニー(女性嫌いあるいは女性蔑視)」な性格ができたことだった……メンターや師匠について言えば、思えばこのフェミニズム(男女問題というか、男女がどう平等・公平に権利を享受するか)について言えばいったい誰からこの問題を考えるべく学ばないといけないのかわからず、したがって師匠も先生もガイドもいなかったっけ。入門書すら読めなかった。もちろん当時、その気になって探せば数々のフェミニストはいたはずで献身的に・懸命に論陣を張っていたそうした方々の言葉を読めたはずだが、だがまだぼくが若すぎたのと自分の中で女性たちにこっぴどく「気持ち悪い」といじめられたことでオトコであることそのものにまで罪悪感を持ってしまっていて、そのせいでそんなフェミニズムについて自信を持って・間違いを認めつつ責任ある自論を語れる主体としては対峙できなかった。だからさいきんになって、やっと虚心坦懐にぼくなりに上野千鶴子をめくったりできるようになったのだった。そして、ぼくなりにこのロートルの古くさいオトコとしての意見を鶴見俊輔語るところの「マチガイ主義」にのっとり、恐れずにぶつけられるようにもなったのかもしれない。そこから「インタラクティブ(相互)」のコミュニケーションが成り立つことを願う。
その後、1時から仕事に入る。休憩時間に、またしても村上春樹のくだんの本から派生していつだってぼくの人生において参照枠というか「北極星」となってくれた本ってなんだっただろうかと思う。どんなときも、とりわけぼくが道に迷ってしまい混乱した時に心のよりどころになってくれた本。そんな本はやっぱり(もちろん、この世にはほかにも数多ともっとすぐれた大傑作があることを踏まえても)ぼくにとっては春樹さんの『ノルウェイの森』であったりポール・オースター『ムーン・パレス』だったりするのかなと思う。10年後もたぶん、コーネリアスとかブラーとか聴いたりしながらそんな本を折に触れて繙いて暮らすのかなあ、とも。
