実を言うと昨日、遅番の日にはありがちなことだけれど倒れるように寝てしまって、けっきょく眠剤を飲むのを忘れていたのだった。夜中に目が覚めてそれから寝直すにも目が冴えて、なかなか寝付けないので頓服を飲み直したところそれが効きすぎたようで今朝は7時40分弱に目が覚める。それでシャワーも洗濯機も今日はお休みすることにして、英会話のZOOMミーティングに顔を出すことにした。こんかいのブレイクアウトルームのメンバーも英語力・人間力ある方々で楽しい時間を過ごすことができた。
そこにおいて、来年はじめ(1月)に予定されているぼくの2度目の英語での3分間スピーチの話が話題となった。まだなんら題材も考えておらずしたがってかたちにもなっていないのだけど、でも話すとなるとどんなことがいいんだろうと英会話の席中にあれこれ考える。英語メモのことについて語るのはどうだろう。この英会話のZOOMミーティングは最後に任意の人たちにブレイクアウトルームで話した内容をサマライズ(要約)することが求められる時間がある。したがって自分が当たった時のために英語メモを活用しているのだけれど、日々のアイデアを書く英語メモもふくめてこのメモにはずいぶん助けられている。だからそれもいいのかもしれない。
その後昨日書いたように、町にある総合病院までバイクを飛ばしてはるばる通う。こんかいの診療、ぼくは初診であり予約を取ったわけでもない。またこの年末ということで病院が混むことは目に見えていたので、それ相応の対策はしておきたいと考えてカバンの中に本を何冊か入れる。選んだのは村井理子『ある翻訳家の取り憑かれた日常』と、あとは村上春樹『海辺のカフカ』の英訳版だ。なんだか取り合わせとしては水と油みたいな2冊だが、交互に読むとなかなか味わい深い。あいまに英語メモを書きつけていく。
9時頃に病院入りしたのだけど、10時頃ぼくの番が来てそれで若い整形外科の医師が対峙して診てくださる。それでいちおうレントゲン写真を撮りましょうということになってレントゲン室へ行く。ただ、ほんとうに長かったのはむしろここからでその写真を撮った結果を聞くにもほかの方々(予約済みの方々)がどうしたって優先されてしまうので辛かった。その待ち時間はついに2時間を超えて、正午になってもまだぼくの番が呼ばれる気配がない。2時まで待つのかなあ(お腹すいたなあ)とかあれこれ考える。正直、いらいらしてきてよっぽどイヤホンで音楽でも聴いてやろうかと考えたりもした。
ただ、発想を転換させるなら病院で働いておられる方々(医師、看護師などなど)もこのいそがしさの中ではぜんぜん休憩も取れず、したがってたいへんなことだろうとも思った。ぼくの場合問診票に「神経痛」と書いたことで軽症の症状と考えられて、それで順番がいきおいあとまわしになってしまうのかなあとかあれこれ考えたりする。それでぼくも「まあしょうがないか」「病は身体からのサインなのかな」と考えて『海辺のカフカ』英訳版を読みふけった。
隣に座っておられた方とすこし話す。ぼくは普段マスクはしていないのだけど、こんかいは病院内ということでマスクをしていた。おそらくそのせいか相手の方から「大学生の方ですか」と訊かれてしまい「50歳です」と答えるとびっくりされてしまった。ぼくの読んでいた村上春樹や村井理子などを見て「勉強好きなんですか」「えらいですね」と言われてしまう。勉強というか……好きなことを野放図に・あとさき考えずいきおいでやっているだけなので計画性もなにもあったものではない。これは語弊あると思うけれど、そんなでたらめな生き方をつらぬいているのがぼくだったりする(ただ、そんなことはさすがにその方には言えなかった)。
けっきょく1時頃ぼくの番が来て、医師が語るには骨に致命的なゆがみがあるわけではなくしたがってこれといった原因は判明しない、ということらしい。それで痛み止めで様子を見て見ましょうという話になり、来年の1月の予約を入れてもらった。その後会計を済ませて薬局で痛み止めをもらい、長かった通院が終わった。ほんとうならボーナスも出たのでそれをグループホームにお渡ししに行くべきでもあったのだけど、さすがに疲れ果ててしまっていたので管理者の方にLINEで無理を言ってまたの機会にさせてもらうことにした。
その後、2時頃ローソンで半額ちかく値が下がったお弁当を買ってそれを食べて、そして昼寝をする。そして手持ち無沙汰になってしまったので、部屋に居ても落ち着かない性分がここで発揮されてイオンに向かう。そこで、オウテカを適当に聴きつつ先述した『海辺のカフカ』英訳版をちまちま読む。5章まで読みふけり、たしかにおもしろい本ではあったのだけど今日は読みっぱなしでさすがに50歳の脳みそにはきつい1日になってしまった。
さいきんぼくは飽きもせず20歳頃のことを振り返ってしまうけれど、思えば過去ぼくが大学生だった頃に(上野俊哉だったか、それとも柄谷行人だったか)語学を真剣にやることの必要性を訴えていたのを読んだことを思い出した。当時ぼくは英文学を学ぶ学生で見栄っ張りにも英会話学校に通ったりもしていたのだけど、でも腰がぜんぜん据わってなかったから根気強く英語を学ぶこともできずに投げ出したりしていたっけ。そんな目から見れば、村上春樹のような海外にじっさいに住んで英語力で相手と渡り合う人がほんとうにうらやましかった。
もちろんこれにかんしては「だったらあんたも学べよ(春樹さんを見習って)」ということになるのだけど、でも自信がなく怖気づいていたからいけなかったのかもしれない。その後、40を過ぎた頃かNHKラジオで知った『英語で読む村上春樹』という番組をとおして英語で村上春樹を読むことの楽しさを知り、また春樹さんが海外でひろく読まれる不思議について学べた気がしたりもしたのだった。春樹さんが世界一の作家だと言うつもりはさらさらないのだけど、でもいまもなおぼくにとってのメンターの1人であることを否定したいとは思わない。ただ、それはぼくが春樹さんに盲従するつもりだということを意味しない。この理屈はわかりづらいだろうか。
