跳舞猫日録

Life goes on brah!

2024/01/06 BGM: Weezer - Everybody Wants To Rule The World

今日は休日だった。ぼくなりの「朝活」の一環として、近所にあるイオンにいつものごとく赴く。そこでぼくは片岡大右の新書『小山田圭吾の「いじめ」はいかにつくられたか』をついに読み終える。この本の中で著者の片岡は小山田圭吾のスキャンダル(過去に話題になった、障害を持つクラスメイトに対するいじめを行ったという「疑惑」だ)についてそれがどう「つくられた」かを語っている。もちろんぼくは小山田がそんないじめを行ったか、現場にいたわけではない以上まったく判定できるわけがない(誰にできるだろう?)。でも、ぼくも実際このあやしげなスキャンダルを信じていたかもしれない。小山田はいじめ首謀者、きわめて邪悪な人間だ、なんて……ストーリー(物語)の魔性の力に呑み込まれて。そう、とても恐ろしいことだ。

そう、この編まれた物語の魔性の力はとても力強い。この場合、いくつかの日本の音楽のプレス(『ロッキング・オン・ジャパン』『クイック・ジャパン』など)は小山田が悪名高い(いじめをなすほど邪悪でありうる)、ゆえにスゴいミュージシャンであるという物語(ある意味「神話」かもしれない)を作り上げた。そしてその小山田にまつわる悪名高き要素(すでに書いたとおり、彼がその学校生活でいじめを「エンジョイ」したという回想録)がだんだんシェアされ始める。とてもかんたんに、かつすばやく……コピー・アンド・ペーストされ、ファクトチェック(事実を吟味する作業)も怠ったまま。その意味ではこの片岡の労作はそうした事実の検証の試みとして実にすぐれたものとぼくには映る。いや、片岡がやったことは愚直にニュースの断片的記事を読み直しそこから見えるものを理知的に「批評」「読解」したことに尽きるとしても、だ。

ところで、いまぼくは目を上げ、そしてぼくの部屋の中にたくさんの本があることを再発見する。そうした本(たとえばポール・オースター村上春樹谷崎潤一郎など)はたしかにそうした誠実に、正直に編まれた物語の結晶であるわけだ。そうした物語(たとえばオースターが編んだ回想録や青春小説、村上春樹が編むラブ・ストーリーなどなど)をぼくはすばらしい宝石として楽しみ、感受する――がゆえにぼくはそうした物語の力を拒絶することなどできるわけがないとも思う。そしてある意味、こうしてぼくは日記をつけているので日々をそうした物語(起承転結、つまり1本の流れを汲むわかりやすい「お話」と言えばいいか)に仕立てているとも言える。だから、ぼくはそんなおそろしい、そしてマジカルな物語の力に溺れていないか自戒を込め振り返る必要があるとも思った。

昼に、ぼくがお世話になっているグループホームの方がぼくの部屋に来られた。その方を通して、ぼくはお雑煮を振る舞ってもらうことができた。ああ、とても貴重なお雑煮だった。実はぼくもいじめに遭った過去がある。ので、あらためて「いろんな人がいるものだ(いじめを楽しむ人、お雑煮をごちそうする人、などなど)」と感心する。言い換えれば……お雑煮をごちそうになり、スタッフの方の優しさをあらためてありがたく思ったのだった。