跳舞猫日録

Life goes on brah!

2022/02/24

古田徹也『いつもの言葉を哲学する』を読み終える。いろいろ興味深いトピックが含まれた本だが、私は改めて言葉を用いて議論やコミュニケートすることの難しさと、それを踏まえても会話を交わして相互理解を試み(むろん、完全な相互理解なんて夢のまた夢だが)意見を尊重しあうことの大事さを教わったように思う。そのためには一般的に意見そのものを重んじる姿勢がないといけないが、今は次から次へとあぶくのように言葉がSNSで語られる時代(しかも、責任を伴わない軽薄なものも散見される)。そんな中である程度の強度を保った意見を語ることは難しいと改めて思う。

ロシアが対ウクライナ戦争を始めたというニュースを聞く。このニュースに、私はスティングが歌った「Russians」という曲のことを思い出した。この曲では、当時冷戦時代においてロシア(当時は「ソ連」)の庶民たちがどのような気持ちでいがみ合う政治家たちのことを思い、「西側」(つまり資本主義社会を生きる私たちのことだ)を思っているかを想像して歌った歌だ。「We share the same biology/Regardless of ideology」。つまり、イデオロギー対立を越えて同じ人間ではないか、という真実を投げかけている……と書くと「おまえは何を言っているんだ」と呆れられるかもしれない。東西冷戦時代から何年経ったと思っているんだ、と。

確かにそのとおりで、これはつまり私のロシア理解が冷戦時代で止まっているという事実を示しているのだった。だからアップデートしなければならないのだけれど、でも私はこの「同じ人間ではないか」という視点を手放したくない。「There's no such thing as a winnable war/It's a lie we don't believe anymore」という歌詞の重みを噛み締めたい。戦争が起こってしまった今、この泥仕合が長期的スパンで有益な解決をもたらすか否か改めて問いかけ、尊い人命が失われることと引き換えに一体なにが得られるというのか冷静に考えることが大事ではないか、と思う(我ながら、なんだか青識亜論あたりにせせら笑われそうなセンチメンタリズムだが)。

私はWhatsAppのチャットグループを介して様々な国に友だちを持っている。その中のひとりはロシアに住んでおり、もうひとりは国連勤務でウクライナ出身だ。彼らはつまらない愛国主義に走らず理性的にこの出来事を捉えている。それにしても、この戦争に関してスラスラと「日本の国益」や「憲法9条の是非」に関する意見が出てくる人が羨ましい。私はそんな意見を持ち合わせていない。ただ、先述した友だちについて考え、政治家でもグローバルに活躍する企業家でもないひとりの国民として一体なにができるか、その友だちをどう助けることができるか、そうしたことに考えが向く。彼らのためにも私自身の生活のためにも、私は戦争に反対する。理由? これ以上殺すな。これで充分だ。