跳舞猫日録

Life goes on brah!

2021/12/23

BGM: Ryuichi Sakamoto "Merry Christmas Mr. Lawrence"

社内のとあるマネージャーから、私の英語力を見込んでとあるお願いをされた。まだ仕事として形になっていないので立ち消えの可能性もあるが、もしかしたら私の新しい仕事が生まれるかもしれない。もちろん、ありがたいことだ。これも、私のことを支えて下さった方々のおかげだと思っている。FacebookやMeWe、DiscordやWhatsAppやその他のコミュニティで私は英語で発信し続けてきた。それを受け容れて、様々な意見を聞かせて下さった方々に改めて感謝したいと思う。私ひとりで英語を鍛えてきたわけではない。それを忘れたくないと思った。

それにしても……あの呑んだくれていた日々を思うと今が本当に奇蹟のように思う。あの日々。私は一応英文学を大学で学んだのだけれど、そんなことを仕事で活かせるチャンスもなく自分の無能ぶりに悩み、ただその現状から逃げたかったがために酒に溺れたのだった。思えば遠くへ来たもんだ……「乗り越えられる壁しか人生には現れない」とはよく言われることだが、私の場合は酒を止めたのも単に偏頭痛で倒れたからなので、自分の意志で酒を止めたわけでもない。だから威張れたものではない。その時その時のアクシデントに私なりに愚直に対応してきただけだ。

ダグラス・ホフスタッター『ゲーデルエッシャー、バッハ』を読み進める。この本の中には小説的なパートと理論的なパートが収められており、従って読む人間を飽きさせないエンターテイメント性を重視したつくりになっている。数学的な思考が要求されるパートは飛ばし読みになってしまっているのだけれど、知的なスリルを楽しませてくれる一冊として今なお読める強度を感じる。哲学的でもある。自己言及とはなにか、ロジカルに考えるとはなにか……円城塔の小説を読んでいる時にも似た醍醐味を感じる。理論的にシリアスに書きつつもユーモアのセンスを忘れない姿勢に惹かれる。

それにも飽きると『マインド・アイ』を読む。心とはなにか。自分とはなにか。素朴な問いをごまかさずに突き詰める姿勢が興味深い。私が脳や意識について書かれた本を読んでいた時に感じていた問いともリンクするし、子どもの頃からこの社会や世界になじめず抱え込んできた違和感ともリンクする。この世界は完璧にできていて、自分の存在は一種の余剰というかエラーではないか、間違いではないかと思ってきたことを思い出す。当たり前だが、私が認識していないと世界は立ち現れない。私とはその意味で私にとってかけがえのないものだ。そして、それは他の人にも言える。この独我論的な事実の比類のなさが神秘的に感じられる。