Back To Life

Back To Reality

2022/03/17

私は結局外面がいいだけの人間だろうか、と思ってしまう。いつも書いていることだけれど、部屋の中にいる時はずっと金と女性(「女」と書くべきか?)のことばかり考えている。あるいは自己中心的なことばかり……私という人間はいくつもの「S」で表せる。Sly、Straight、Serious、Smart、Strange、Selfish、Scattered mind、Stupid、Spoiled、Spicy、Sukebe。私のことは私が一番よく知っているつもりなのだけれど、人はこんな私を笑顔で受け容れてくれる(ただ、会社では相変わらず鼻つまみ者だ)。自分とはなんなんだろう。プリズムのように、見る角度によって違う色を発しているのかもしれない。

私の英語の日記に対して、ミステイクがいっぱいあることを指摘された。もちろん可能な限り活かすつもりである。まだまだ修行が足りない……Clubhouseでとある方が完璧な英語について話しておられるのを聞いた。完璧さに囚われてなにもしゃべれなくなるという状態に陥る、という陥穽。小沢健二は「ありとあらゆる種類の言葉を知って/何も言えなくなるなんて/そんなバカな過ちはしないのさ」と歌った。ただ、「何も言えなくなる」という状況に一度徹底的に陥ってみるのもいいのかもしれない、とも思う。そんな「失語」からこそ生まれる言葉もあるはずだ。

夜、ZOOMでミーティング。私の「engrish」に関する発表を聞いてもらった。そこから話は派生して、英語学習法について意見をいただく。ギャグやジョークを交えて英語を学ぶことの有用性について意見をもらった。「羽生 have ハブ」というような英文を作ってみる、ということ(ちなみにこのセンテンスは間違っている)。その他には「Dear Deer(親愛なる鹿よ)」など。私も「日本人はLとRの発音の区別がつきにくいので、男の人に『アーユーレディ』と言ってしまうこともあるのかな」と思ってしまったりした。他の方の向学心とユーモアに触れられた貴重なひと時だ。

当たり前の話をするが、ウィトゲンシュタイン片岡義男を引くまでもなく私たちが言葉を学ぶのは自分ひとりで満足するためではない。他人と交わるためだ。あるいは世界と交わるためと言ってもいい。私も英語を学び、そこから日本語を学び直すことで見えていなかったものが見えてきて、この世界を深く知ることができるようになったと思っている。だが、知れば知るほど他人も世界も自分も謎が深まる。酒に溺れていた頃は世界が陳腐で退屈なもののようにしか思えなかったけれど、今は世界のワンダフルでファニーな側面に触れられているように思う。小説「青い車」でもそんなことを書きたいと思う。