跳舞猫日録

Life goes on brah!

2021/10/26

今日は英会話教室の日だった。先生はハワイ出身の方で、ハワイの面白い話題を教えてもらった(『ジュラシック・パーク』はハワイで撮影されたというような話だ)。私も自己紹介をしたのだけれど、自己紹介は「2つの真実と1つの嘘」を語るというゲームになっていて、私が嘘として「シャーロック・ホームズを読むのが好き」という話をするとみんな騙されてしまった。いや、シャーロック・ホームズは嫌いではないのだけれど熱中して読んだのが小学生の頃であり今は全然関心がないのだった。私は推理小説好きと思われているのかもしれないが、そんなことは全くないのである。もちろん、嫌いというわけでもないのだが。

それより前に、仕事をしていてふと知り合いと出会った。夜に先述した英会話教室に行くことを話したら、「ライフワークなんですね」と言われた。ライフワーク……若い頃にそう言われてもピンと来なかったかもしれない(若い頃は書くことがライフワークであると信じていた、とは言えると思う)。だが、人生の終わりが見え始めてきた今になって、自分の国語力を英語や日本語を学ぶこと、それを人に伝えることに費やしてもいいのかもしれないなと思うようになった。才能があるなしに関わらず、それが好きだから。情熱を以て続けられることだから。

池澤夏樹『小説の羅針盤』を読む。たまたまルー・リードを聴きながら読んでいたからか、池澤夏樹の批評の微妙な「ローファイ」さというか、既存の理屈に頼らずに自分の論理を展開する不器用な姿勢について考えてしまう。安易に理屈に飛びついて、理屈に自分をあてはめない姿勢故に批評家の書いた専門の文章とはまた異なってしまうのだけれど、こちらを論じられている作家に誘導する凄みはあると思う。今回の読書では、今まで敬遠してきた日野啓三を読みたくさせられてしまった。池澤が編んだ『日本文学全集』から彼の作品が収められた巻を紐解こうと思う。

なにも取り立てて大したことが起こらない、明日になれば忘れてしまいそうになる日々。つまり、無味乾燥な一日。そんな日が続くということは平穏無事そのものであり、本来ならそのような環境に感謝しないといけないのだった。そして、記憶に残るようなことが起きたとしたらその退屈な日常を忘れさせることがあったということであり、それもまたかけがえのないチャンスだったのだと思う。しかし、私は生きて今があることに感謝する心を忘れてしまう。時計のデジタル数字を睨みながら、ふとそんなことを考えた。