跳舞猫日録

Life goes on brah!

2021/10/25

堀江敏幸『河岸忘日抄』を読み進めた。作中で、主人公が『チェーホフ全集』を読むくだりがある。チェーホフはきちんと読んだことがなかったが、この箇所を読んで読みたくさせられたので図書館で予約をした。『チェーホフ短編集』は持っていたはずだが今手元にない。有名な戯曲『桜の園』『ワーニャ伯父さん』は目を通したはずだが記憶にないので、これを機にチェーホフと付き合うのもいいかなと思った。こんなふうにして本は本を導き、私は芋づる式に本を読み進めていく。一生こんなことを続けるのかなと思う。

自分自身の夢とはなんだろう。今日、中国の女性とWeChatで話していて、そんな話になった。未来のために自分はなにをしているだろう……私は未来を思い描くことはできない。多分先を読む才能、未来のヴィジョンを思い描く力がないのだろうと思う。いつも刹那的に生きている……裏返せば今を一生懸命生きて、明日に繋げようとしているとも言える。今できることは、仕事をすることでありこうして日記を書くことであり、本を読むことであり英語の勉強をすること。それを続けていればいずれ「ブレークスルー」は訪れるはず。

軟着陸……それがこれからの自分の人生なんだろうか、と思う。どうこれから己の死に向けて、来たるべき老年に向けて着地していくか。若い頃のように流行りに乗せられて泡沫のような本を読むことはしたくない(いや、流行りのものだって虚心に読めば面白いことは経験で知っているつもりなのだけれど)。色々あった人生だった。早稲田にも行ったし、今の会社でひどい目に遭い、自殺未遂をした。その後発達障害つながりの人たちと出会い、人生は好転し……今がある。だが、まだ死ぬには早すぎると思う。やりたいことはある。

明日、市が運営する英会話教室がある。そこに行ってみるつもりだ。また新しい出会いがあればいいな、と思う。発達障害者だからか、未知のものに出くわすといつも怯えてしまう。いや、怯えない人など居ないだろうとも思うのだが、変化を嫌う発達障害者にとってそうした行為は不安になるばかりなのだ。『500ページの夢の束』という映画で、「未知は克服するためにある」と語られていたことを思い出す。大江千里は「人生はジャムセッション」と呼んだ。偶然に身を任せ、未知に向かって一か八か自分を投げ込むこと。そうして人は生きるのかもしれない。