単純な生活

Life goes on brah!

20251121

昨日書かなかったことだけれど、書いておいたほうがいいと判断して書く(その文責はぼく自身が負う)。昨日、ひさびさにフラッシュバック体験がありそれで頓服を2回分飲まなければならなくなった(1日に3回分までは服用してもいいと聞いている)。それでなんとか仕事をこなし、退勤時間まで仕事できたものの副作用としておそってくる眠気に勝てず、またここさいきんのブラックフライデーと年末進行のいそがしさもかさなりそのせいで昨日友だちと約束していた夜のZOOMミーティングはぜんぜん会話に入れず、それではやばやと眠ってしまったのだった。

それで夜に中途覚醒で目が覚めてしまって、それで明け方までなにかやろうかとも思って英語で性愛にまつわる断片をDiscordのぼくのサーバに書いていくも、それでもなんらいいアイデアも思い浮かばず苦吟するだけで終わる。本を読む気にもならなかったのであきらめて頓服を飲み寝直して、すると7時40分ぐらいに目が覚めたので今日はシャワーや洗濯どころではなくそのまま英会話のZOOMミーティングに参加することとなった。予習ももちろんできておらず、したがって不安を感じつつ参加した。

ただ、今日のメンバーはやはりというか英語力において信頼置ける方々ばかりで、だからぼくのいたらない英語もカバーしてもらえて「胸を借りる」状態で話すことができた。コンビニがもたらす文化(海外でもこの「コンビニ」はちょっとした日本の風物詩になっているらしい)についてが主なトピックだったのだけど、そこから毎朝ある参加者の方がコンビニでニューヨーク・タイムズを購入されているとかいう話になり、朝のルーティンはどういうことをしておられるかで話が盛り上がった。ぼくの場合はご存知のとおり毎朝のシャワーと洗濯、そしてこの日記やメモパッドに書きつける英語メモが主となる。がんらいぼくは三日坊主の常習犯だが、こうして「ストン」と腑に落ちたことは続けられるようだ。

そう考えてみると、これまで英語を学びたいという気持ちの種火くらいはあったぼくのような人間がこんなふうに英語でじっさいにあれこれ人と毎日のように話せるようになったのも、まさに「ストン」と腑に落ちて英語力や人間力を実感できる環境があるからだ。他人の英語に感嘆し、自分の英語に自信をすこしずつ持てるようになる。そんな環境を作ってくださっている方々には前にも書いたように、感謝の言葉しかない。

その後、グループホーム本家近くにあるクリニックに行く。これまで伸び伸びになっていたインフルエンザのワクチン接種を済ませるためだ。職場についてこと細かく書くことはつつしみたいが、ぼくの職場はその性質上たくさんの人と会話したりやり取りしたりすることが要請される。ぼくが罹患して、それが相手に感染して爆発的に広まりでもしたら目も当てられないのでこうした機会にワクチンを打っておくことはだいじと見た。それでそれが終わり、今日は休日なのでなにかいま書いている散文詩(性愛をめぐるもの)の役に立ったらと思いアルチュール・ランボーの全詩集(鈴村和成訳)などを借りる。

その後、昼食を済ませた後ひと眠りしてそしてさてなにをするか考える。まったくなにも手につかず、したがってさっき借りたランボーを読んでみたり読みかけていた本をあれこれ手にしたり、それにも飽きると散文詩の断片にあたるものを書いてみたり、海外の誰かとチャットをしたりと落ち着かないままに時間だけをいたずらに過ごす結果となる。ああ、なんという不毛な時間だろう。でも思えばもともとは今日はもう完全休養日に宛てて、どこにも行かずのんべんだらりと過ごすつもりだったのだからワクチン接種を済ませられたということを喜びたいと思った。

その後、女友だちとLINEであれこれ話す。というかぼくが一方的に愚痴ってしまった。フラッシュバックのこと、いそがしいこと(自分からいそがしさをアピールするのはあまり好きではないのだけれど)、などなど。すると彼女が「前に約束したこと覚えていますか」「自分を褒めてください。小さなことでいいんです。いま、褒めてみてください」と言われた。それで、「昨日は頓服を飲めました」「退勤時間まで仕事しました」「今日はワクチン接種をしました」と送ったら「すごいじゃないですか」と褒めてくださった。それで、すこし心がラクになった気がしたのだった。

この年末年始、本好きの悲しさということで「年越し本」をあれこれ考え始めている。かならずしも名作・古典でなくともかまわない。今年を振り返りつつ、来年に向けてなにかタスキ的なものをつなぐような役割で、内容の濃い長い長い小説かエッセイを読みたいと考えてしまうのだった。いま思っているところでは多和田葉子『研修生』かなにかを読んでみようか、と……来年はどんな年になるんだろう。フラッシュバックのことも回復して、すこしは過ごしやすい1年になっていればいいなと思いつつ、今日も今日とてページをめくる。

20251120

今日も今日とて朝7時にシャワーを浴び、その後洗濯機を回して洗濯を始める。実を言うと昨日の悪寒が気になっていて、それに加えてここさいきん疲れていたこともあって7時50分からの英会話のZOOMミーティングはお休みしようかとも思ったのだけれど、ただ10時から始まる仕事の前のプレッシャーでベッドで二度寝か本を読むかしようかとしても落ち着かず、それでジタバタしてしまいけっきょく予習もできていないままZOOMミーティングに参加してしまった。トルコの食文化についてというのが事前に与えられていた話題で、なんとか記事をサラリと読んで付け焼き刃で参加する。

参加者はぼくと、気心知れたあるベテランの男性とこんかいが初顔合わせの方(フロリダから参加されていた日本人の女性)。この3人でいざフタを開けてみると、トルコの食文化の話から好きな食べ物の話に移り、そこでさっそくぼくが感謝祭やブラックフライデーについて先日の英会話で学んだことを披露する。そこからブラックフライデーの由来についてや、アメリカでのブラックフライデーでのあつかいについてやいったいどんなものを買い物として買ったかなど話題が広がっていった。そして、登山を趣味としている男性の方の話に重ねるかたちでこちらの小学校で生徒たちに熊よけの鈴が配られたニュースをお教えしたりしているうちに時間になった。終わりよければ全てよし、ということになるだろう。

その後、さっきも書いたように10時から仕事に入る。今日はとりわけいそがしく、あっちこっちいたらないところありながらもなんとか補助的な仕事をこなしていく。今日は油断がならなかった。たぶんフラッシュバックの原因となる元上司の方が来られることは確定していたので、ロッカールームのカバンの中に入れておいた頓服をあらかじめチェックしておいた。また、外部から助っ人として来られた方にも(個人的にこれまで英会話のことなどでアドバイスをいただだいたりしていた、お世話になっている方なので)フラッシュバックのことを話したりした。

昼になり、休憩時間をいただいて休憩に入る。そこでぼくは強さと弱さについて、つまりどう定義づければ人は強いことになるのかあれこれ考えてしまった。いま、率直なことを正直に書くとぼくはそんなに強い人間だとは思わない。言い方によっては「繊細さん(HSP)」ということにもなるのかもしれないけれど、ただ医師や専門家から診断を受けたわけではないのでこれにかんしては保留するしかない。いずれにせよ、ぼくは自分のことをウサギのような弱っちい存在だと思っている(が、往々にしてこうした自己規定はまちがっていてもしかしたらぼくは「ウサギだと騙っている熊」かもしれないので注意が必要だ)。

若かった頃、ぼくはそんな弱っちい自分自身(「メンヘラ」というか、宮台真司言うところの「自意識系」な自分)を変えようとこころみた。バカ高い教材を買い込んで必死で自己改造に取り組んだり、ネットで不必要なまでに論争という名の喧嘩を売ってみたり……いま思えばただのちんぴらだったと汗顔の至りで反省するしかない。そんなことをしてもタフネスが身につくわけでもなく、ただ敵をいたずらに作るだけだしぼく自身の言葉づかいも汚くなるだけなので見切りをつけてしまった。それでよかったんだと思う。

もっと言えばぼくはぜんぜん完璧な人間ではなく、浅田彰東浩紀的な知性を持ち合わせているわけでもなくスキだらけの人間に過ぎない。が、そんなぼくの弱みをむしろ知っていて、それに耐えられなかったからなのかネットで「自分はうまく行っている」「自分は強い」とアピールしようとしたことを思い出したりもしたのだった。そんなことうまくいくわけもなく、けっきょく無駄に終わってしまった。30代まで、そんなむなしいこころみを続けただろうか。

40になり、ひょんなことからぼくはそれまで呑み続けていた酒を辞めさせてもらうきっかけをつかんだ。そして断酒会に参加するようになり、そこで自分自身の弱み・苦悩を率直に語ることになる。そうしてそんなみっともない・こっ恥ずかしい体験談をまわりの方に拍手で受け容れてもらえるようになって、それまで高くそそり立っていた心の中の無駄なプライドが縮小して人並みになったのではないかとも思うようになった。あれほどまで存在していた「作家になりたい」「人生イッパツ大逆転」という満塁ホームラン的な夢も消えていったのだった。おかしな話だ。弱みを語り、みっともない自分を見せて「こんなぼくは愛されるに値しない」とうそぶけば、それだけ人が近寄ってくるようになったのだ……。

そして、それまで自分に弱者のスティグマ的な符牒(ラベル)をペタペタ貼って誇示するのもみっともないなと思うようにもなった。たしかにぼくは発達障害者で、精神障害者で貧乏で(会社に迷惑がかかるから収入は明かせないが、まあそんなに贅沢はできていない)、この歳までロマンスも経験したこともない。でも、そんなことをいちいち誇示していたら愛する人が寄り付かなくなる。自分は「天上天下唯我独尊」「ワン・アンド・オンリー」でいいのかなあ、とも思ったりした。もちろん、ここにたどり着くまでにはたくさんの友だちとの出会いが貢献してきたことは間違いないのだけれど……。

夜になり、今日は友だちとの毎週木曜日のZOOMミーティング。ただ、疲れてしまっており集中できずはやばやと離脱してしまった(ごめんなさい)。しょうがない、そういう時もある。

20251119

観念的生活

観念的生活

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朝、いつものように7時にシャワーを浴びて洗濯機を回し、そして7時50分から英会話のZOOMミーティングに出席する。今日の話題はアジア各国がいかにイノベーティブな様相を呈しているかについてで、ブレイクアウトルームにて参加された方々と中国や韓国といった国々の文化やそういった国々が開発しているアプリケーションについてなどを話す。そこから転じて、なぜ日本がいまのように衰退してしまったのかが話題となって、ぼくはぜんぜん答えられなかったもののなんとか「アベノミクスは成功したという意見もありますが、ぼくは自分の生活において実感が湧きません。ぼくのようなロスジェネは割りを食っているのかなとさえ思います」と話す。楽しいひと時だった。

急に寒くなってきたからか、仕事前の時間にこれまたいつものようにグループホーム本家に寄らせてもらって食堂であれこれ英語メモを書いていたところ、悪寒を感じてしまった。そう思い始めると喉の調子もおかしいような気がして、けっきょく熱は平熱だったので考えすぎだったことがわかったもののいったんこうして不安に取り込まれてしまったらそこから抜け出すのがむずかしくなる。気取った言い方をするなら不安にフォーカスが当たってしまうと、そのフォーカスをずらすことができなくなる。むしろ不安について掘り下げて考えようとし始めて、死についてまで考え始めてしまい自分の人生の無意味さに泣きたくなってしまう。

さいわいにも今日は副管理者の方が出勤されていたので、ぼくが先日から書き始めた「I Wanna Be Your Dog」という断片的な性愛についてのメモ(けっきょく小説家になろうに投稿している)をお見せする。その方から感想をいただいた後、「書くことは自由だから、好きなように書いていい。書くことであなたの価値が下がったりしない」「自分をいじめてしまうのがあなたの性格のようだけど(完全主義も入っているみたいだけど)、もっと自分を許してあげたほうがいい」というコメントをもらった。1時間ほど話し込んでしまって、その方からはこうしていつだって励ましをいただいてきたなとあらためてありがたく思う。

https://novel18.syosetu.com/n5886lj/

その後、いったんお手洗いに行ってそこでふと「50年も生きたのか……」とあれこれ考え込んでしまった。あっという間……ではなかったようにも思う。さいきん読んだ中島義道『観念的生活』でも書かれていたが、この身体はこの50年を覚えている。途中いじめに遭ったり、大学で孤独を味わった後に酒浸りになって転がり落ちるような人生を生きたことを覚えている。だから「あっという間」ではない。たしかな時間の蓄積というものがこの身体の記憶として根付いている。そんなことを考えた。その後、デス・イン・ヴェガス『デッド・エルヴィス』を聴きつつミア・カンキマキ『清少納言を求めて、フィンランドから京都へ』の続きをすこし読む。

その後、1時から仕事に入る。今日は印象深いできごとがあった。仕事において、ある外国の方(聞いたところフランスから来られたらしい)と英語ですこし話す機会があったのだ。その方は日本語で話しかけてこられたのでぼくも日本語で対応していたのだけど(それが礼儀だろうと思った)、ただスマートフォンのアプリを広げて翻訳アプリで英語を日本語に翻訳しておられたのでつい自然にぼくも英語を使ってしまったのだった。初歩的なフレーズを使った会話だったけれど、それでもうれしい。お役に立てたという実感を抱く。思えば、海外から来られたとおぼしき方を職場で見かけることが増えた。ヒジャブを着用している方、さっきの方のようにアプリをとおしてこちらに質問される方……これから、こういったケースは増えるのかもしれない。

5時に休憩時間をもらい、休憩室で英語でメモパッドにあれこれメモを書いていく。前にも書いたと思うのだけれど、40の歳に自助グループに参加してそこでメンターとなる方との出会いを経て、あるいはいまなお付き合いを続けさせてもらっている友だちとの出会いも増えて、ぼくの考え方もずいぶん変わった。20代・30代のころはこんな田舎町で暮らさねばならない境遇を嘆き、おもしろいことなんてなにもないしぼくの人生なんて終わったのだと思いこんで、そして酒浸りの日々を過ごしたのだった。いや、どこかでは「こんなところで死にたくない」と思う気持ちもあったりしたものの、けっきょく実現に活かせずに終わってしまっていた。

いまそんなふうに思うと、ずいぶん幼稚な夢物語・白昼夢におぼれていた時期だったことが見えてくる。いや、ぼくだって欲望(ことに肉欲に属するもの)はある。自分をかわいいと思う気持ちも依然としてある。ただ、それはそれとしてぼくはいま、前にも書いたようにこの町と世界をこの英語力でつなぐ存在になりたいという夢もある。それでいいのかな、と思っている。今日も最後まで仕事をこなした。

20251118

昨日の記述を書いた後、性愛がらみで困っていることについて何人かの女友だちがぼくにLINEやMeWeなどでメッセージをくれた。とりわけLINEでいただいたメッセージの中に、「その苦しみを絵や文で表現してみてはいかがですか」「芸術になるはずです」と励ましてくださる内容のものがあったのでその言葉にしたがって英語で自分の欲望をしたためて(叩きつけて、と言ったほうがいいだろうか)それを投稿してみた。さっそくある女友だちがそれを読んでくださって、お褒めの言葉さえくださった。それがほんとうにありがたかった。

そして話は飛んで今朝7時。いつものようにシャワーを浴びて洗濯機を回し、昨日着ていた服を洗濯し始める。今日の話題は勤務しているふりをして休暇を取る(つまり「ズル休み」する)会社員のモラルについてだったが、フタを開けてみるとなんだかよくわからないまま雑談で終わる。ぼくの住んでいるところでも熊の目撃情報が出たことや紅葉がきれいな時期がおとずれたこと(あっという間に冬になりそうな気配ではあるが)、そこからコスモスとマーガレットの違いがどういうところなのかとか北海道の名産品はなにかとかそんな話題だ。もっとぼくから積極的に話を切り出してもいいのかとも思ったが、人の話を聞いているだけでも楽しいのだからこれでもいいかとも思う。

10時に仕事を開始する。ただ、50代に入って肉体的にも精神的にも疲労が感じられて抜けきれていないことや、年末進行のプレッシャーが否応なしにのしかかってくることなどつらく感じられる。そうなるとフラッシュバックのことを思い出し、こうした環境を作った元上司(その方のパワハラでこうなったとも言えるのだった)のことも憎しみをともなって思い出される。強い憎しみだ。だが、眼前にいる人たちに罪はないのだから八つ当たりはもちろんよくない。こうした感情のコントロール(マネジメント)をもっと巧みにできるようになりたいものだと思う。

昼休みになり、LINEを通じてメンターの方にメッセージを送ったりWhatsAppやWeChatで届いたメッセージを読んだりする。ひょんなことからぼくは中国に住む女の子とWeChatで英語でおたがいメッセージを送り合って楽しんでいるのだけれど、ぼくが自国の環境について(反中的な意見が喧しい昨今を意識して)挨拶がてらメッセージを送ったら彼女から「Let politics be politics」とメッセージが届いたのがうれしかった。政治は政治、ということだ。そんなことについて英語でメモパッドにしたためていく。

そして、同時にこれからどんなことを小説(さっき冒頭で書いた、「書き殴り」の三文小説)として書いていけたらいいのかについても考えたのだった。せっかくサルトル『嘔吐』を読んでいるのだからその影響(猿真似とも言う)を小説の中に出せないものか、とも……まだ書いたばかりなのにこんなことを考え始めているのだから世話はないが、ふと『嘔吐』の一節(メモしてしまった)が思い出された。

「私が考えたのは次のようなことだ。ごく平凡な出来事が冒険になるためには、それを物語り始めることが必要であり、またそれだけで充分である」(サルトル『嘔吐』p.68)

そんなこんなで午後の仕事も終わり、退勤後イオンに行く。そこで豆乳を買って飲んだ後、ミア・カンキマキ『清少納言を求めて、フィンランドから京都へ』をすこし読む。この作品もまた『嘔吐』と同じく、実に自分自身の感覚に忠実に自分の思念や問題意識をあからさまに綴っていると唸ってしまった。ぼくも思えば平凡でたいくつな日常生活に倦んで、それでこんなことを始めたのかもしれないのだから。

それで1つ考えたこととして、「死」や「性愛」というタブーとされていることがらをどこまで書き込むかだった。先の女友だちの言葉にしたがって書けることを書きなぐりたい反面、それをだだ漏れにしてしまってはモラルハザード(大げさかな)になるのではないかという懸念もある。それに谷崎のような好色な作家の作品は(ぼくもすべてを読んだわけではないけれど)けっして欲望を「だだ漏れ」になんかしていなくて、節度のある筆致で欲望や色恋沙汰を描ききっている。その顰に倣いたいと思ったりもしたのだった。さて、どうなるだろう。

夜も更け、英会話教室の時間になる。今日はサンクスギビング・デー(感謝祭)とブラックフライデーについて学んだ。どういう文化的な背景があって、アメリカでどのように祝われているかというのが主な内容だった。その後、比較級を使った英作文を使うゲームを行う。こうしたゲームを通じて、ぼくの立場からすると過去に習ったことのおさらいになるのだけれどそれでもあらためて基礎を学び直せて、ワイワイ人脈を作れるというのは得難いことだと思った。こうした機会に感謝したいと思っている。

20251117

実を言うと今朝は(またしても)寝付けず、4時ぐらいに目が覚めてしまってそれでしばしぼんやり覚醒した状態で、それまで読みかけていた中島義道『観念的生活』を読み終える。中島義道のこの日記からこれまでぼくはずいぶん多くのことを学んだ。どんなメインストリームの哲学的言説(ざっくり言えば論壇やジャーナリズム)にも近づきすぎず、自分の問題意識(死、時間、カント哲学など)をごまかさず考え抜く。その姿勢をぼくも見習いたいとあらためて思う。するとこの本の中で特権的な哲学者として登場するサルトルを読みたくなり、積読のままの『存在と無』もさることながら『嘔吐』をひさしぶりに読み返してみたくなって、それでカバンの中に『嘔吐』を突っ込んでしばしまた床に就く。

その後7時頃起きてシャワーを浴びて洗濯機をまわし、そして7時50分から英会話のZOOMミーティングに参加する。今日の話題は日本で人気の赤ちゃんの名前についてで、そこからキラキラネームについてやぼく自身のリアルネーム(本名)についてなど話がおよんだ。その昔(30年以上前?)悪魔という名前を市役所に提出しようとしてニュースにまでなったあの人たち、いまはどうしていることか。

その後、今日は月イチの通院日ということで総合病院まで行く。こんかいでマイナンバーカード(もちろん、社の保険証と紐付きも完了している)を提示して診察を受けるのも2回目。9時半に先生とお会いしてそこでここさいきんのことなどをあれこれ話す。先月、発達障害の支援施設の方とお会いしたことやジョブコーチ面談であれこれ話し合ったことなど。その後、いつものように薬局で薬をもらい近場にあるイオンに行く。

薬を待つ時間、サルトルの『嘔吐』を読んだりしたもののなかなか頭に入らない。そしてイオンでその続きを読もうとしても、中島義道のように華麗に哲学的な考察をおこなうわけにもいかず頭の中がなんだか混乱してきた。なにも浮かんでこない。それで、英語でいつものようにメモを書こうとしてもこれまた無益なことをしているような気になってくる。いま思えば(これはもちろん、この日記を書いている「いまこの時点」ということだ)なんでもいいから書けばよかったのに、思念がまとまらない。

それで投げ出してしまって、たぶんにここさいきん5連勤あったり職場で年末進行で気忙しい状況が続くことが原因なんだろうとあきらめることにする。それに加えて、ぼくはこの歳でもまだ独身でクリスマスは肩身が狭い時期でもある。クリボッチの話を前にしてしまったが、考えてみればクリスマスに独り身をもてあますことが法的に悪いわけでもなんでもないのに同調圧力を勝手に感じてしまい(「勝手に」というところがミソだろう)、そこから勢いあまって異性(性愛の対象)を求める欲望に身を焦がしてしまう。それでつらい思いをするのだろうな、と思った。

その後も『嘔吐』や、持っていたアンディ・クラーク『経験する機械』をちまちま読んで気散じを試みるもはかどらず……けっきょく午後12時半になり、そこでグループホーム本家に行く。本家にて1時半からある方とお会いする約束があったのだった。その前にすこし、ぼく自身が悩んでいることがら(先にもさんざっぱら書いた「さびしさ」をめぐる益体もない悩み)をLINEである方にお送りする。こうして言語化すること・伝達することでなにか変わればと思った。

1時半になり、ミーティングの席であれこれ話す。さいきん不調であること、私生活で英会話教室に通ったり先日ふれあい祭りに参加したりして海外の人たちと交流を深めているということ、仕事のほうで年末進行でいそがしくなるかたわら自分のペースでしっかり働くつもりであることなどを話した。相手の方もはげましてくださり、ここでは書けない性愛の話も受け留めてくださった。そのことをあらためてありがたく思う。

そのミーティングが終わり、そして今日はこのまま休んでしまおうと思って(もともと仕事は今日は休みだったのだけど)自室に戻って『嘔吐』の続きを読む。主人公ロカンタンの「冒険」に思いを馳せ……読めば読むほど、この『嘔吐』 はオーソドックスな意味での小説としては山場やオチということで弱いかもしれないが、サルトルの哲学的なセンスや思索の強度に唸らされる。それは冒頭で書いた中島義道の哲学のセンスとも共鳴するものだろう。日常生活の中における「存在」や「いま(現在)」というエレメントをつかみ取り、そこから独自の思索を繰り広げる。その濃度に息を呑んだ。

その後、さっき書いた性愛のことについてLINEやMeWeなどで相談ごとを信頼できる人たちに(時に英語を使ってでも)お送りする。あきらかなこととして、そうした相談相手(女性もふくむ)がいるということはとりもなおさずぼくは孤独なんかではありえないということだ。女友だちもいるし、メンターもグループホームの管理者の方々もいる。過去、酒に呑まれていた頃孤独だったことを思えばまさに「隔世の感」がある。ただ、それでも染み付いて離れない「さびしさ」がうずく。それは肉体的な感覚をともなう、と書いたら奇異に思われるだろうか。

1人の方から、ぼくの生き方について「間違っているとは誰にも決められない」と返事をいただいた。その方の厳しさとあたたかさがこもったコメントを読み、そしてほかの方からいただいたコメントを読み、このことについてもっとぼくなりに考えていきたいと思った。過去、人間なんて本質的には孤独で、1人で生きて1人で死ぬものなのだとうそぶいて酒に溺れていたあの時期を思えば……いまはそれでも人間的なあたたかさを希求する真の人間らしさが芽生えているということかもしれない。だから心が疼くのだろう。

20251116

今朝もいつもどおり、朝7時にシャワーを浴びて洗濯機をまわして洗濯をはじめ、その後7時50分から英会話のZOOMミーティングに参加する。今日は日曜日なのでZOOMミーティングのお題はなく、自由に参加者たちが思うことを話していいというフリートークの日。なのでとくに予習もいらず、いつもの時間にログインしてそこのブレイクアウトルームで割り当てられた他のメンバーたちと英語でワイワイ盛り上がった。

今日はまずぼくが職場においてブラックフライデーやクリスマス、年末年始の準備でいそがしいことを話す。相手の方がブラックフライデーに興味を持たれたのでそれであれこれぼくが説明して、アメリカの感謝祭イベント(サンクスギビング・デー)の話から色全般にかんする話題まで(クリスマスは赤と緑、ブラックフライデーは言わずとしれた黒、などなど)話がおよび、果ては日本特有のわびさびの文化と海外の文化の相違についてなど止め処なく広がって楽しいひと時を過ごせた。草間彌生岡本太郎についてなども言及され、さすがのぼくもそうした芸術家にかんしては理解がおよんでおらず、もっといろいろ好奇心を割り振って芸術にも関心を持ったほうがいいのかなと思ったりもした。

その後、1週間分のお小遣いをもらいにグループホーム本家に行き、その後イオンであれこれ買い物をした後古民家カフェに行く。今日はそこで、ぼくが所属している「発達障害を考える会」の定例ミーティングがあるのだった。10時に開場し、そこでぼくを含む5人のメンバー同士が近況を報告がてらそれぞれの問題や話したい特筆事項を話す。ぼくはここさいきんぼくが悩んでいるフラッシュバック的な現象の話をする。これは、ぼくにとって非常にきびしかった上司が都合あって退職されて、それはよかったもののその上司がぼくの職場にお見えになることから生じるストレスフルな現象のことだ。

それで、ぼく自身が「ある発達障害の関連施設の方に話を聞いてもらったところ、悪夢を見たりするわけでもないのでPTSDからくるフラッシュバックとは考えにくいと言われました(もしそうなら、悪夢や関係ないシチュエーションでも気持ちが沈んだりパニックになることがあるはずなので)」と話す。するとある参加者の方が「それは『想起』ではないですか(つまり、PTSDとは関連するもののフラッシュバック一歩手前)」と指摘された。そこから自在にまた話が広がっていく。

その方からは「友だちとしてお願いしたいことがあります」「なんでもいいから、小さなことでいいですから、自分のことを褒めるクセをつけてください」とも言われた。たとえば、ぼくの前述した行動にかんしてこの「クセ」を当てはめていくならば「相談できた」「施設の出張相談に行けた」「病院で薬をもらえた」「その薬を使ってパニックに対処できている」「職場に復帰できた」となっていく。これはその方のイタリア人の身内の方に教わったライフハックということで、ならばぼくもこうした「クセ」を「ブラヴォ!」と言いつつ続けられたらいいのかなと思ったりした。

そのミーティングが終わって後、昼食を摂りしばし昼寝をする(午後の回もあったのだけど、ここさいきんのハードワークがたたって長居できなかった)。午後になり、なんとなく時間が過ぎてしまうばかりで落ち着かず、「なんにもしない」「心の充電に努める」過ごし方もあるとわかっていてもイライラしてきたので適当に本を開く。ぼくが好きな映画監督の1人・青山真治の日記『宝ヶ池の沈まぬ亀』や島尾敏雄『日の移ろい』を開いてそして読みはじめる。どちらも日記でこれといったスジはなく、ドラマティックな盛り上がりには欠けるもののおもしろい。

青山真治の日記を開きながら、ふと(とてつもなく失礼な話なのは承知の上で書くが)「こんな本を読んでどうしたいんだ?」と冷めてしまう自分自身もいたりした。もう50歳。読むならもっと村上春樹ノルウェイの森』の永沢よろしくディケンズやダンテやコンラッドでも開けばいいのにと思ってしまったりもしたのだった。でも、そんな鬱っぽい考えも青山の日記を読むとあさっての方向に飛んでしまいおもしろく没入できる自分がいたこともたしかだった。これこそが読書の醍醐味だと思った。

ぼくは読書をする際、なにかしら「箔を付ける」とか「知識をつける」といった目的をそんなに重視していない。それもまた読書の愉しみであることは認めるものの、でもぼくの場合はやはりテキストの中に没入した時の深度とかその深淵の中で得られたカタルシスを重視するようだ。これを別の言い方で言えば「楽しくてこそ読書」「読書を苦行と考えたくない」ということになる。それではいけないのかもしれないが、ぼくは読書でマウントを取ったり取られたりすることなんて意識したくないので知ったこっちゃないのだった。元ポリスのギタリスト、アンディ・サマーズのソロ・アルバムを聴きつつ読みふける。

そしてふと、こんなふうに読書したり音楽聴いたりして時間が過ぎて、そしてぼくの人生もたしかに終わっていくのだなあと感慨にふけってしまった。その音楽はもしかしたらアンデルセンやいままで聴き倒してきたダニエル・ラノワやブルース・スプリングスティーンではなく、時にトム・ウェイツ(&マーク・リボー)やルー・リードなんかになるかもしれないが基本的な過ごし方はいっしょなんだろうな、と。なんとも「単純な生活」だ。ブラックフライデーの後はクリスマスも来る。今年も「クリボッチ」は確定ということで、そんなものなのかなあと思いつつ夕食まで時間を過ごし、夕食後も青山真治島尾敏雄の日記に染まりつつ時間を過ごした。

20251115

いつものように朝7時にシャワーを浴び、その後洗濯機を回して洗濯を始める。7時50分に始まる英会話のZOOMミーティングまでの時間にWebをあれこれ散策していると、ぼくが大学生の頃くらいに多大に影響を受けた批評家・丹生谷貴志の選集(セレクション)が出るとのニュースを知りおどろく。年の瀬も押し迫った頃にこんなビッグプレゼントが待っているとは。これはぜひ買い求めたいと思ってしまう。『死体は窓から投げ捨てよ』をバイブルのように携帯して大学のキャンパスで読みふけったあの時期がなつかしい。

そしてZOOMミーティングが始まる。今日のお題は歯を磨く際のコツについてだったが、参加された方が発達障害について話し始めてそこから障害年金のシステムの話や、あるいは聴覚過敏(感覚過敏かな)の話を始めたらそれが盛り上がってぼくも自分自身の発達障害についてあれこれ考えさせられる回となった。たとえばぼくの場合、公共の場において周囲がうるさい場合電話で相手と通話することが非常にむずかしい(まず相手の声が周囲の雑音と混じって聞こえづらくなるので、イヤホンを探すところから始めなければならなくなる)。また、ぼくは相貌失認も持ち合わせているらしく人の顔をパッと覚えることがなかなかできない。それもまた発達障害の悲しい障害特性だ。

そして仕事が始まり、午後1時に休憩時間をいただく。弁当を食べ終えた後、ふと過去のことをあれこれ想起する。いまでこそぼくや先ほどのZOOMのメンバーの方のような人たちは「発達障害者」「自閉症者」として認められているが、ぼくが診断を受けた33歳の頃(20年ほど前)は「アスペルガー症候群」「自閉症スペクトラム障害」といっても周囲もまだ理解がおよんでいなかったし、それにこちらにしても「それで、それは治るんですか」的な理解しかできていなかったのだった。まさにいまからくらべれば「隔世の感」を感じる。

30代の頃、ぼくはなんとかこの発達障害のことをくわしく話し合える施設はないものかとあれこれ試行錯誤していた(そこから就労につながればいいという思いもあったし、それが無理ならせめて気散じとしてくつろげる場を確保したいとも思ったのだった)。そこで市内で高次脳機能障害をケアするピア・サポートNPO団体の運営する古民家カフェを知り、すこしずつ出入りするようになる。そんなある日、そこのオーナーの女性から「今度発達障害について話し合うミーティングをするから、来てみたらどう?」と誘われたのだった。

ぼくとしてはもちろん異存があるわけもなく、それで参加してそこで前任のジョブコーチとなってくださった方(ぼくにとっての数少ない「メンター」でもある)と出会った。ああ、なんということか……そしてかれこれ10年そのミーティングにその方や他の発達障害当事者、あるいはサポーターの方々といっしょに月イチで参加するようになってぼくの生活にもようやく一筋の光が差し込んできた。その光はとてもあたたかかった。

その月イチの自助グループのミーティングを続ける過程でぼくはいまのグループホームへの入所を実現させ(後で聞いた話では、この市内で発達障害者のグループホーム利用はぼくがはじめてのケースだったらしい)、またメンターの方が元英語教師だったことが縁となってぼくも学生時代英文学を学んだことを再燃させたいと英語を学び直すことを決意し、その他にもいろいろぼくの身の回りが激変していったのだった。ああ、なんとも味わい深い40代の10年間だった。これからどんなことが待っているのかわからないけれど、この10年間で得られたものをこれから出会う人たちにギフトとして返せないものかとあれこれ考えたりしている。

そして、これはそのギフトよりももっと夢物語として響く話だと思うのだけど……ぼくはいま、この英語力を活かしてこの土地と世界をつなぐ存在になれないものかと考えてもいる。もっと言えば「橋」になりたいというのがぼくの願いだ。ぼくを経由して海外の人がこの土地を知り、この土地の人が海外を知るということが実現できたら……もちろんそれがどんなに無謀なことなのかはわかっている。火を見るよりあきらかな事実として、いまのぼくの力はまだそれを実現できるところまでおよんでいない。これから、もっと研鑽が必要となるだろう。

5時に仕事が終わり、そして帰宅する。帰宅途中、図書館に寄り吉荒夕記『バンクシー 壊れかけた世界に愛を』を再読のために借りた。夕食の肉じゃがを食べた後、阿久津隆『読書の日記』をちまちま読み進める。疲れ果てた身体と頭で、つまりだだ下がりのテンションの中で阿久津の自然体の文体に身を任せるとこれが心地よく、そのまま最後まで読みふけってしまった。阿久津には申し訳ないが、これは生活に役立つような本ではない。これまでぼくはかれこれこの千ページ超えの書物を3周か4周した計算になるが、この本の内容を活かして金儲けができたとかそんな経験はなかった。

ただ、阿久津のこの1冊みならずぼくがこれまで読みふけってきた日記、あるいはそれこそぼくが大学生の頃読んだ丹生谷貴志のエッセイや批評からはその内容だけではなく彼ら・彼女たちの考える態度や物事に向き合う姿勢、凛としたたたずまいといったものを学んだと思う。その意味で、ぼくは阿久津の『読書の日記』シリーズを大岡昇平『成城だより』やエリック・ホッファー『波止場日記』といった書物のとなりに置いて折に触れて読み返すだろう。そこにはまだ、汲めども尽きぬなにかがある。これはぼくにとって立派な、まごうことなき「傑作のしるし」である。

余談:“現時点での”2025年読んだ本ベスト10(順不同)
吉荒夕記『バンクシー 壊れかけた世界に愛を』
佐伯一麦『渡良瀬』(『鉄塔家族』も素晴らしかった)
田中小実昌哲学小説集成』全3巻
横尾忠則『昨日、今日、明日、明後日、明々後日、弥の明後日』
佐々木マキ『うみべのまち』
たんぽぽの家編『ソーシャルアート』
温又柔『煌めくポリフォニー わたしの母語たち』
京都新聞取材班『自分は「底辺の人間」です 京都アニメーション放火殺人事件』
ベンジャミン・クリッツァー『モヤモヤする正義』
グレゴリー・ケズナジャット『言葉のトランジット』