単純な生活

Life goes on brah!

20251115

いつものように朝7時にシャワーを浴び、その後洗濯機を回して洗濯を始める。7時50分に始まる英会話のZOOMミーティングまでの時間にWebをあれこれ散策していると、ぼくが大学生の頃くらいに多大に影響を受けた批評家・丹生谷貴志の選集(セレクション)が出るとのニュースを知りおどろく。年の瀬も押し迫った頃にこんなビッグプレゼントが待っているとは。これはぜひ買い求めたいと思ってしまう。『死体は窓から投げ捨てよ』をバイブルのように携帯して大学のキャンパスで読みふけったあの時期がなつかしい。

そしてZOOMミーティングが始まる。今日のお題は歯を磨く際のコツについてだったが、参加された方が発達障害について話し始めてそこから障害年金のシステムの話や、あるいは聴覚過敏(感覚過敏かな)の話を始めたらそれが盛り上がってぼくも自分自身の発達障害についてあれこれ考えさせられる回となった。たとえばぼくの場合、公共の場において周囲がうるさい場合電話で相手と通話することが非常にむずかしい(まず相手の声が周囲の雑音と混じって聞こえづらくなるので、イヤホンを探すところから始めなければならなくなる)。また、ぼくは相貌失認も持ち合わせているらしく人の顔をパッと覚えることがなかなかできない。それもまた発達障害の悲しい障害特性だ。

そして仕事が始まり、午後1時に休憩時間をいただく。弁当を食べ終えた後、ふと過去のことをあれこれ想起する。いまでこそぼくや先ほどのZOOMのメンバーの方のような人たちは「発達障害者」「自閉症者」として認められているが、ぼくが診断を受けた33歳の頃(20年ほど前)は「アスペルガー症候群」「自閉症スペクトラム障害」といっても周囲もまだ理解がおよんでいなかったし、それにこちらにしても「それで、それは治るんですか」的な理解しかできていなかったのだった。まさにいまからくらべれば「隔世の感」を感じる。

30代の頃、ぼくはなんとかこの発達障害のことをくわしく話し合える施設はないものかとあれこれ試行錯誤していた(そこから就労につながればいいという思いもあったし、それが無理ならせめて気散じとしてくつろげる場を確保したいとも思ったのだった)。そこで市内で高次脳機能障害をケアするピア・サポートNPO団体の運営する古民家カフェを知り、すこしずつ出入りするようになる。そんなある日、そこのオーナーの女性から「今度発達障害について話し合うミーティングをするから、来てみたらどう?」と誘われたのだった。

ぼくとしてはもちろん異存があるわけもなく、それで参加してそこで前任のジョブコーチとなってくださった方(ぼくにとっての数少ない「メンター」でもある)と出会った。ああ、なんということか……そしてかれこれ10年そのミーティングにその方や他の発達障害当事者、あるいはサポーターの方々といっしょに月イチで参加するようになってぼくの生活にもようやく一筋の光が差し込んできた。その光はとてもあたたかかった。

その月イチの自助グループのミーティングを続ける過程でぼくはいまのグループホームへの入所を実現させ(後で聞いた話では、この市内で発達障害者のグループホーム利用はぼくがはじめてのケースだったらしい)、またメンターの方が元英語教師だったことが縁となってぼくも学生時代英文学を学んだことを再燃させたいと英語を学び直すことを決意し、その他にもいろいろぼくの身の回りが激変していったのだった。ああ、なんとも味わい深い40代の10年間だった。これからどんなことが待っているのかわからないけれど、この10年間で得られたものをこれから出会う人たちにギフトとして返せないものかとあれこれ考えたりしている。

そして、これはそのギフトよりももっと夢物語として響く話だと思うのだけど……ぼくはいま、この英語力を活かしてこの土地と世界をつなぐ存在になれないものかと考えてもいる。もっと言えば「橋」になりたいというのがぼくの願いだ。ぼくを経由して海外の人がこの土地を知り、この土地の人が海外を知るということが実現できたら……もちろんそれがどんなに無謀なことなのかはわかっている。火を見るよりあきらかな事実として、いまのぼくの力はまだそれを実現できるところまでおよんでいない。これから、もっと研鑽が必要となるだろう。

5時に仕事が終わり、そして帰宅する。帰宅途中、図書館に寄り吉荒夕記『バンクシー 壊れかけた世界に愛を』を再読のために借りた。夕食の肉じゃがを食べた後、阿久津隆『読書の日記』をちまちま読み進める。疲れ果てた身体と頭で、つまりだだ下がりのテンションの中で阿久津の自然体の文体に身を任せるとこれが心地よく、そのまま最後まで読みふけってしまった。阿久津には申し訳ないが、これは生活に役立つような本ではない。これまでぼくはかれこれこの千ページ超えの書物を3周か4周した計算になるが、この本の内容を活かして金儲けができたとかそんな経験はなかった。

ただ、阿久津のこの1冊みならずぼくがこれまで読みふけってきた日記、あるいはそれこそぼくが大学生の頃読んだ丹生谷貴志のエッセイや批評からはその内容だけではなく彼ら・彼女たちの考える態度や物事に向き合う姿勢、凛としたたたずまいといったものを学んだと思う。その意味で、ぼくは阿久津の『読書の日記』シリーズを大岡昇平『成城だより』やエリック・ホッファー『波止場日記』といった書物のとなりに置いて折に触れて読み返すだろう。そこにはまだ、汲めども尽きぬなにかがある。これはぼくにとって立派な、まごうことなき「傑作のしるし」である。

余談:“現時点での”2025年読んだ本ベスト10(順不同)
吉荒夕記『バンクシー 壊れかけた世界に愛を』
佐伯一麦『渡良瀬』(『鉄塔家族』も素晴らしかった)
田中小実昌哲学小説集成』全3巻
横尾忠則『昨日、今日、明日、明後日、明々後日、弥の明後日』
佐々木マキ『うみべのまち』
たんぽぽの家編『ソーシャルアート』
温又柔『煌めくポリフォニー わたしの母語たち』
京都新聞取材班『自分は「底辺の人間」です 京都アニメーション放火殺人事件』
ベンジャミン・クリッツァー『モヤモヤする正義』
グレゴリー・ケズナジャット『言葉のトランジット』