跳舞猫日録

Life goes on brah!

2024/03/08 BGM: Paul Weller - Into Tomorrow

今朝、ついに佐伯一麦『麦の日記帖 震災のあとさき 2010-2018』を読み終える。この本は佐伯一麦という著者の持つ実に篤実・真摯な文学に向き合う姿勢とそこから生まれる誠実な文体を伝えていると思った。副題が示すように2010年から2018年、つまり東日本大震災をまたいで連綿と書き継がれてきたこの日記において、佐伯はまったく創作活動に向かう姿勢をブレさせない。道を見失ったりしない。ゆえに信頼できる、実に「どっしりした」安定感に満ちている。

この日記が教えるように、ぼくは心の中でこの平穏無事な生活に感謝を抱かないといけない。この平和はいついかなる時に、どんなかたちで崩されるものかわからないのだ。特に3月、ぼくたちはあの大震災の思い出を想起せざるをえないだろう。あの東日本大震災だ(すでに上にも記したけれど)。でも、明日に向かう希望を見失ったりしない佐伯はすごい人だとあらためて思う。その堅実で、なんらひねったところがない「剛速球」の文体で佐伯は如実に歩みを勧めていると思った。

おわかりのように、ぼくもまたこの日記を毎日毎日書き続けてきている。なぜ日記を書いたりするのだろう。確かなことは言えない。でも、いったい友だちに向けて何をシェアできるか考えた時にぼくはこの試みを始めようかと思ったのだ。これがぼくがシェアできる唯一のことがらなのだ――日々のことをぼくもまたぼくなりに「剛速球」を投げて書きつけるということ。いま、たくさんの読者の方がこの書きものに何かしらエンターテイメントなことがらを感じてくださっているようだ。それがうれしい。

午後になり、突如として悲しいニュースを聞く。日本の偉大なる漫画家、鳥山明が亡くなったというのだ。ああ……ぼくは実はめったに漫画を読まない。まだ若くアホだった頃、ぼくはなぜ人が漫画なんてものを読むのか皆目わからなかった。漫画なんてまったくもって「アホが読むもの」だろう、とさえ考えていた(ああ、若いとは怖いものだ)。いまはもちろんそんなことは思わない。漫画はエンターテイメントの真髄をあらわした芸術の一形態、すばらしい形式だと畏敬の念を抱いているつもりだ。

DiscordやMeWeで、この悲しい知らせが多くのユーザーを驚かせた。さっそくお悔やみの声、感謝のメッセージが鳥山明に向けて書き込まれているのを読む。ぼくは『ドラゴンボール』を知らない(少しかじったことはあるが、それにしたって実にお粗末なものだ)。でもそんなぼくであっても鳥山のイラストやストーリーテリングの才が実にすばらしい、イマジネーション(豊饒な想像力)に満ちあふれたものであることくらいはわかるつもりだ。彼は「夢を編む人(ドリームウィーバー)」だったのだと思う。ああ、いまや彼の作り上げたエンターテイメント(娯楽)としての漫画作品・イラストレーションは言葉や国境の壁を越えて伝わる。海をも越えて世界をつないでいる。すごい力だと思う。鳥山先生、安らかにお眠り下さい。ありがとうございます!