跳舞猫日録

Life goes on brah!

2023/03/18 BGM: RHYMESTER - ウィークエンド・シャッフル

今日は早番だった。朝、いつものように緊張してしまって不安にとらわれる。不安ということで言えば勝負慣れしているはずのアスリートだって緊張してしまうものなのだからと思い、ふと人生について考える。もともとやりたくて始めたわけではなかったこの仕事。ただ食っていくために必死で始めたことであって、それが20年以上も続いている。村上春樹だったか、普段使い慣れない筋肉を敢えて使う時期も必要だと書いていたのを思い出した。向いているとは思わないこの仕事だが、ともかくも続けてきたことが今の私を作り上げていることには間違いがない。それが人生というものなのだ……そう思い、ふとライムスター「LIFE GOES ON」を聴きそこから「ウィークエンド・シャッフル」を聴く。この曲のパーティ感覚に救われる。今日は紛れもない週末。楽しんでナンボだろうと思う。

昼、友だちが桜の写真を送ってくれた。今年は桜の開花がいつもより早いと聞いた。その分桜のシーズンが終わるのも早まりそうとも。岸田首相はマスクは個人の判断に任せると語っていたが、もはやマスクをするのはクセになってしまったためなかなか外すのが難しい。ただ、屋外ではマスクを外してもよさそうなので花見をするのも可能かもしれない。前にも書いた通り私は花見はそんなに好きではないのだけれど、今年は趣を変えて桜の下で梶井基次郎の短編集を読むのもいいかもしれないと思えてきた。友だちとその桜について語らい、こうした友情もまた一時的な「季節に咲く花」であると深沢七郎が語っていたのを思い出す。昔はずっと友だちとは喧嘩別れして終わっていたので、こうして友情が長続きするのは私の人生にとって実に得難いことなのだった。あるいは「花に嵐」「さよならだけが人生だ」という言葉をも思い出させられる。

別の友だちとWhatsAppで話をする。私がTwitterで見かけたイギリスの映画監督ケン・ローチが新作を撮っていることを知り、それをその友だちに話した。ケン・ローチの映画は安寧に「好き」とは言い難い。つまり、ファッション感覚で楽しむことを許さない凄味があっていつも観る度に唸らされる。ケン・ローチは常に社会状況に怒りを煮えたぎらせそれを作品としてぶつける。言い方を変えれば、ケン・ローチが活躍しなければならない状況とはつまり社会がまさに悪化している状況とも言えるのだ。そう思うと複雑な気持ちになる。クリント・イーストウッドゴダールのように気楽に「楽しむ」ことができない(むろんゴダールはもういないが)。それがケン・ローチを孤高の高みに押し上げている原因かもしれない。そしてそれはケン・ローチにとって幸福な状況と言えるのか?

夜、明日のミーティングのための資料作りを行う。そして時間が空いたので後藤繁雄坂本龍一『skmt 坂本龍一とは誰か』を読み返す。坂本龍一という人物は謎だ。彼の中には強烈なエゴがあるのかないのかわからない。自分の中にある、内側から溢れ出る「表現したいこと」「初期衝動」といったものを信じず、外部に触発されてそこから表現を始めようとする。ということは彼はプライマルに「空虚」を抱えていることになる。彼はアモルファスであること、はっきり思想を言語化することを嫌う。自分自身に形を与えず、常に自由であることを選ぼうとしているように映る。それは子どもっぽいとも言えるのだけれど、私はむしろこれは彼の誠実さの表れとも言えると思った。私自身も実を言うと人から「空虚」と言われることがあるので共感を抱いてしまう。まあひと口で言えば「スノッブ」ということで落ち着くのかもしれないけれど。