単純な生活

Life goes on brah!

2025/04/05 ザ・グレート・アマチュアリズム

BGM: The Police - Walking In Your Footsteps

今日は早番勤務の日だった。今朝、いつもながら英会話関係のZoomミーティングに顔を出す。その後、10時より仕事をはじめる。実を言うと、前にも書いたとおり英語であれこれメモを書くということを今日はついにすることができなかった。絵を描きながら英語でメモを書くのはいまのぼくにとっては至難の業で、もしかすると脳をそんなふうに器用に使い分けることができないからかもしれない。だから今日は徒手空拳で、いったいなにがあったのか記憶からさぐり出す必要がある。実を言うと、今日は絵を描き溜めているノートブックを同僚の方々にまたお見せした。すると、彼らは感銘を受けられたようでもっと描くようにと言われてしまった。もちろんぼくもそうするつもりだ。

思い出す……いったいどうしてこんなことになったのか。言うまでもなく、それはブックカフェのオーナーの美術の先生に薦められて、「絵を描いてみたらどうですか」とさそわれてのことだった。ただそれだけが原因というわけでもないだろう。40の歳(ちょうどいまから10年前)、もしあの発達障害を考えるミーティングに参加していなかったら。あのミーティングがあり、そこでジョブコーチやいろんな友だちとお会いすることができてからすべてがこんなふうにまわりはじめたのだった。仮に参加していなかったら、こんな絵を世に問う(?)勇気だって生まれえなかったはずだ。それもまた人生だろう。

今日の絵は、ガラにもなく「3」というテーマを設けて描いてみた。ぼくの好きなヒップホップ・グループのデ・ラ・ソウルやあるいはスチャダラパー、もしくはそこから派生して付け加えたYMOなどを意識したりしてのことだ。日記でも書き記してきたが、謙遜でもなんでもなくぼくはただの素人であり端的に絵のテクニックもへったくれもあったものではない(いや、絵を見ればイッパツでわかることだが念のために書いておく)。ただ、なんにせよ人を意図的に傷つけるような表現はなんだか好かないのでやっていない。このユーモアをこめた表現を続けられたらと思っている。でも……ふだん絵なんかこれっぽっちも楽しまない、マンガすらろくに読まない人のこんな絵でいいんだかわからないが、まあスナック菓子をつまむように楽しんでもらえたらと思う。

グループホームに戻って、そこで夕食をいただいた後は理由はわからないが疲れ果てていたのかもう眠くてしょうがない。なので、さっさと眠ってしまった。やれたことと言えば、木曜日のプレゼンテーションのための草稿をチェックしたくらいだ。そういう日もある。

2025/04/04 思念遊戯(Mind Game)

BGM: Aphex Twin - Girl/Boy Song

今日は休みだった。今朝は実を言うと、お恥ずかしいことに早朝の英会話関係のZoomミーティングをサボってしまう。その代わりに、昨日のこの日記でも書いたとおり次週の木曜日友だちといっしょにおこなうZoomミーティングでプレゼンテーションとして発表する企画のための草稿を練ることにつとめた。プレゼンテーションのタイトルは比較的かんたんに決まった。「Better Out Than In」というもので、「溜め込むより吐き出したほうがいい」というような意味になろうか。ぼくが惹かれ続けているイギリスの覆面アーティスト・バンクシーが過去におこなった彼の個展のタイトルを拝借してしまった。いったいどうして、よりによってこんな「イタズラ書き」をおっぱじめたりしたのか。あれこれ思い出す。まず、市内のブックカフェのオーナーとお会いして、その方の薦めで絵を描くことをはじめたのだった……といったことをまとめてみた。まだまだ練らなければならないだろう。

そうした草稿の作成が一段落して後、午前中は図書館に行く。そこで2冊本を借りる。ぼくがさいきん惹かれているフランスの作家ル・クレジオの『地上の見知らぬ少年』など。その後イオンに行き、そこで時間もあったので今日の「イタズラ書き」に精励する。ただ、恥ずかしいがそこは素人の悲しさで今日はなんだか高い壁にぶち当たってしまい、はやい話がまったくもってはっきりしたアイデアを思い浮かべられず、したがって真っ白になった頭の中を苦しまぎれにあれこれまさぐる羽目になる。そこから文字どおりやけっぱちになってひねり出したのが今日の絵ということになる。たぶんにル・クレジオの本のことも思い出したりして、子どものころに自分がどんなことを考えてほっつき歩いたりしたのか、その頃から惹かれていた哲学的なアイデアについて思い出したりして描き上げた。もちろん、描き続けるためにはもっともっと研鑽が必要。その意味で、学ばされる1枚ともなったと思う。

午後になり、ローソンで買い求めた冷やしうどんを食べる。その後、なんだか眠くなってやることもなかったのでグーグーと昼寝。そして午後になりまったくの白紙の予定のまま思いつきにのっとって、こないだ遊びに行ったばかりの市役所にまた行ってしまう。お目当てはそこで開かれている「NAKAMA展」を楽しむためだった(さっき書いたブックカフェのオーナーが仕掛け人として主宰しているのだった)。イアフォンであれこれブライアン・イーノやロジャー・イーノのアンビエント・ソングを楽しみつつ、さまざまなアーティストたちが書いた絵画をあらためて満喫した。老若男女、さまざまな画家の表現に刺激されてぼくも描き続けたい、そしてこのやっかいでなんだかくだらない人生をいろどりたいと思う。その後はイオンにまた行った。文庫化されたばかりの國分功一郎『中動態の世界』と、あとは仁平千香子『読めない人のための村上春樹入門』という本が目を惹いたので買い求めてしまった。

その後、市役所の近くにある公園に足を運ぶ。そこで、こないだつぼみが開きはじめたばかりの桜がどんどん花を咲かせているのを目にする。まだ満開にはちょっと遠いにしろ、見頃となるのも時間の問題だろう。グループホームに戻って、そして夕食の時間まで今朝なんだかんだで書けなかった昨日の日記を書き書き、アップロードする。夜になってやることもなくなって、それでコクトー・ツインズやサンデイズなんかを楽しみながら谷川俊太郎ブレイディみかこの往復書簡集『その世とこの世』をひもといてボチボチ読みふけったり、あとはただ瞑想の真似事(ただ目を閉じてぼんやりしただけ)したり。なんだか疲れが取れてないような、歳を感じる日々だったがこれでちょっとでもラクになれるだろうか。

2025/04/03 夜になっても遊びつづけろ

BGM: Child's View - After Image

今日は早番勤務の日。今朝、いつもながら英会話関係のZoomミーティングに参加しせっせと英語脳を鍛える。そして10時より仕事を開始する。実を言うと、毎週木曜日というのはぼくの会社の部署では他社からある決まった方を「助っ人」として派遣していただく段取りとなっている。その方はこれまで英会話やその他英語学習のことなどでお世話になってきたので、ほんとはこうしたことはしてはいけなかったのかもしれないが(仕事と関係あることではなく、つまり公私混同であることに変わりはないとも言えるので悩ましかった)、それでもそのお世話になってきた感謝の気持ちを示したい……という「きれいごと」のもとにイタズラ書きのノートをお見せした。そして、チームの他のメンバーたちにも日々仕事のことでお世話になっているその感謝を示せればと思って思い切ってお見せした。すると、それぞれ感銘を受けられたようでそこから絵を描き続けることを薦められた。もちろん、ほんとうに嬉しかったしありがたいとも思った。

ここさいきんは仕事はけっこう忙しかったのだけど、今朝はゆとりがあったせいかあれこれ実にくだらないことを考えることができ、脳があれこれ思いを走らせはじめる(もちろん、そんなことを考えつつもやれるだけのことはやった)。今朝考えたのは実に「即席」というか「レディメイド」というか、つまりはしょうもない思いつきである。世界的に名高いビートルズエバーグリーンな楽曲「ルーシー・イン・ザ・スカイ・ウィズ・ダイアモンズ」について考えて、そこから「宙(というか空)に浮かぶルーシー」を描きたくなり、昼休みにさっそくいそいそと描き始める。描き終えてしまうと、なんだか脳というのはそう器用にできておらず「イタズラ書き」モードから「英語でメモ」モードに切り替えるのが実にむずかしかったので、けっきょく英語のメモをいつものようにあれこれメモパッドに書くことなどできなかった。これはこれからこの「イタズラ書き」と「英語でメモ」を両立させるにあたって避けられない課題だと思う。

そうしてイタズラ書きを描きつつ、聞いたのはもちろんビートルズの数々の珠玉のナンバーたちである。初期の「プリーズ・プリーズ・ミー」とか、たぶんぼくにとって個人的に彼らの最高傑作と思っている「レディ・マドンナ」や「ヒア・カムズ・ザ・サン」「アイ・アム・ザ・ウォルラス」など。描き終えてから、それをソーシャルメディアやその他のプラットフォームで拡散する。Discord、WhatsAppやLINEなどだ。そしてこんなことを思う。ぼくはまあ、こんなしみったれた根っからのネクラ(陰キャ)かなとも思うし、それでなんだか考えがつきつめればつきつめるほど「ドツボ」「どん底」に至ったりして、それでけっこうつらい思いもする。でも、ぼくの中にはこんなファニーで創造的でなんだか精力的なパワーというものもあって、それがこんなことをさせてしまっちゃったりするのかなあ、とも思ったのだった。

そんなこんなでえっちらおっちらというかなんというか、仕事を終えてグループホームまで戻って夕食を食す。そして、毎週木曜の夜のZoomミーティングに出席してそこで友だちとあれこれ語らう。毎週第一木曜はぼくたちは基本的に前もって特定のテーマを決めて臨むことなく、実にゆるやかに雑談に興じる。今回、ホストの女性が今月の発表(プレゼンテーション)の予定をどうするかについて話を切り出された。それでぼくにもお鉢が回ってきて、次週プレゼンテーションをお願いしたいという話になった。それはいいのだけど、いま話せることと言えばそれこそお昼に描いたりここさいきんはまり込んだりしているような、「イタズラ書き」の話しかないのだった。そのことを正直に話すと、ホストの方が快諾してくださった。ならば「渡りに船」である。さっそく次週話させてもらおうと思った。その後はなんだか疲労が溜まってしまっていたようで、まぶたが重くなりミーティング中から眠くなり(ごめんなさい)、終わったあとはなにもできないまま眠ってしまった。

2025/04/02 「考えてはいけない。感じるんだ」(ブルース・リー)

BGM: LOVE, PEACE & TRANCE - SOLARIS

今日は休日だった。今朝、英会話関係のZoomミーティングに顔を出し英語脳のトレーニングに精を出す。その後は、これまたいつもながらイオンに行く。ただこんかいいつもと違うのは、さいきんダイソーで買い求めた白紙のノート(落書き帳)を広げてそこで1枚のイタズラ書きを描いたということだ。今日はなんだか、ここのところ毛利嘉孝による『バンクシー』を読んだりしてまったくもってガラにもなく絵(あるいは芸術全般)のことに心のアンテナが向いているせいか、当のバンクシーがジャケットをデザインしたというブラーのアルバム『シンクタンク』を聴いたりしていたので彼らにあやかって『シンクタンク』をパロった絵を描いた。『ゲゲゲの鬼太郎』から目玉おやじを「引用」してみたのだが、どうだろうか。

その後はグループホームの本家におもむき、そこで今日は管理者の方がお休みだったので出勤されていた副管理者の女性とお会いする。メインの案件は市役所に自立支援制度のための書類を提出して更新手続きをおこなうため、そこで保管していただいていた書類を受け取りに行ったのだった。ひとまず副管理者の方にぼくが今朝方描いた絵をお見せして(感銘を受けておられたようで、実にありがたく・面映ゆく思った)、その後市役所に行く。ただ、医師の意見書を書いていただく手続きをしたのがついこないだの月曜日のことでまだそれを揃えられておらず、市役所の方からその書類もふくめてひと通り揃えられてからまた更新手続きをしてくださいと言われる。まあ、そういうこともある。まだ締め切りまでには間があるので、あせる必要はないのだった。その後、以前にお世話になったこのグループホームの元管理者の女性が来られたのでその方にも絵をお見せして楽しんだ。

グループホームの自室に戻り、そこで弁当を食べた後だらりと過ごす。そして、昼を過ぎやることなんてまったくなくヒマでヒマで干上がりそうになる。ふと、市役所にまた遊びに行くのはどうかと思い立った。というのはぼくがつねづねお世話になっていて、ぼくが絵を描くきっかけを作ってくださった方の1人でもあるブックカフェのオーナーの男性(美術の教師で、その方も絵を描かれる)がその市役所にて「NAKAMA展」という展示企画をおこなっていると聞いたからだ。ふだん絵なんてこれっぽっちも目もくれず生きてきたが、これは黙ってはいられない。絵を見させてもらい、はばかりながら学ばせてもらうと思った。

展示をしばし見つめ、そして老若男女さまざまな画家たちが実に写実的に絵を描いておられることに感銘を受ける。自分のことしか書けないのがはなはだしく情けないが、でも思えばぼくは絵のことなんて去年あるいは2年前(?)までこれっぽっちも興味なんてなかったのだった。たまたまブックカフェにときおり行かせてもらい、そこで絵の話や本の話などさせてもらうようになってからなにかのはずみでそのオーナーに文字や絵で自分を表現することを薦められ、そして創作を続けるように励まされた(文字というか本ばかり楽しんでいたぼくがガラにもなくバンクシーの本なんか読んじゃったりしているのもそのせいだ)。さまざまな画家たちの絵感銘を受け、彼らの感覚からこうした絵がダイレクトに・ヴィヴィッドに表れ出たのだなあ、と思ったりした。

そして、「間違っていたのだろうか」「勘違いしていたんだろうか」とも思ったりした。というのは、ぼくはなにか考える際に文字で(いつからかは忘れたが、「なんちゃって英語」を駆使して)言語化を試みる。そうすることで誰にもわかるというか一般化されたコードで伝わる真実にたどり着けると信じていたからだ。でも、河合隼雄村上春樹の対談などからはじめたこうした自作の落書きアートを通して、まずぼくは勇気と感覚を信じて自分の中のカオスを見つめることが必要だったんだろうか、とまたコムズカシイことを考えてしまった。

なにはともあれ、市役所をあとにしてその後はイオンで断酒会のはじまる時間までを毛利嘉孝バンクシー』をひもといて、読みふけって過ごす。断酒会の時間になり、そこでぼくはひさびさにさいきんあった元上司のことやそこから派生して「フラッシュバック」めいた体験をしたこと、落書きアートをはじめたことを話した。断酒会の会長に絵のことを励ましていただいた。描けたら、という話になるがもっともっと研鑽を積み描きたいと思う。

2025/04/01 青の時代

BGM: Arto Lindsay - You Decide

今日は早番勤務の日だった。今朝、いつものように英会話関係のZoomミーティングに参加し、英語脳を鍛える。こんかい、いざIDとパスワードを入れていつもながらZoomで会議室にアクセスしてフタを開けたところ、他の参加者の方々がぼくのZoomのバックグラウンド(つまり背景画像)にびっくりされたようだった。というのは、なんとなくぼくは以前に描いた「アビー・ロード」的な自作のイラストを背景に使っていたからだ。それが呼び水となって、今日は本題となるトピックに入る前にこの背景画像の話が盛り上がり、そこからぼくがストレス解消の一環としてはじめたことを話したために「いったいどうやって日々のストレスを解消・発散させているか」で話が盛り上がった。この日記でも書いてきた通り、ぼくの場合は『村上春樹河合隼雄に会いに行く』などの河合隼雄の発言や記事に触発されて「箱庭療法」としてこんなことをしでかしたわけだが、他のメンバーの方々からは買い物や食事などでこうしたストレスを処理しているという話が出てきて、なかなか勉強になりおもしろかった。

なかでも、ある参加者の方がこんな話をされた。その女性の方はストレスや怒り・鬱憤が溜まってキレそうになったところ、そのできごとから遠くはなれて英文の記事や書物などを読むのだそうだ。そうすると心が落ち着くというか、冷静さを取り戻せるのだということだった。これはなかなかおもしろい。というのは、ぼくの場合も日本語単独の状況・環境に置かれたままあれこれネットをほっつき歩いたりして、そうしてうだうだしていた時よりもこんな感じで英語に触れている時のほうが相対的にかんたんに・スムーズに心を落ち着かせられるからだ。さすがに英文記事を読むほど本腰を入れて英語に触れるわけではないが、英語でメモパッドに記事を描いたりチャットしたりするのはぼくなりの英語の利用・活用法だろう。ならば、そうして痛み止めというか熱冷ましに英語を使う人もいる、ということになる。いや、おかしな話だが。

話は変わって、昼食休憩の際にふとLINEのとある村上春樹関連のチャットグループの議論を見ていて、ふとこんなことを思い出した。英会話関係のLINEグループにて、ぼくは前にある女子高校生のユーザーに春樹の作品でいちばん最初に読むべきはどの作品なのか訊かれたことがあった。それで、ぼくはその場ではなんとなく(あるいは、ぼくが深く深く春樹にのめり込むきっかけとなった作品だったこともあるからか)『ノルウェイの森』を薦めたりしたのだった。ただ、もちろんあれは実にセンシティブな内容をはらんだ作品であることは言を俟たない。また、いきなりあんな長編を読ませるのも忍びないとも思う。この話をその春樹のチャットグループで投稿したところ、やはり異論が出てきておもしろい展開となった。

おもしろい意見が散見され、そしてぼくもあれこれと考え直させられることとなる。いま思うのは、できることなら(根気があれば、という話になるのだが)春樹はそれこそ『風の歌を聴け』『1973年のピンボール』といった初期作品から読んでほしいということだ。そこからだんだん近年の達成までステップを踏んで足跡を追いかけてほしい、と。そうすることで春樹がどのように作品世界を押し広げ、ユニークネスを開拓していったかがわかるからだ。彼女もそうして、しだいに足跡を追いかけていくことで彼の文体やキャラクターたちの群像が織りなすストーリーのタペストリを楽しめたり理解できたりするんじゃないかなあ、と。どうだろうか。

今日の仕事が終わり、グループホームに帰宅する。そして、以前の5連勤や今日のハードワークで疲れていたのだけれどそれでも休まず(男の意地、なのか)昨日やったようにノートを広げて落書きを書く。アート・リンゼイなんか聴いたりしつつ。その後はくたくただったので、ぼんやり毛利嘉孝バンクシー アートテロリスト』のつづきを読んだりした。明日は休みだ。

2025/03/31 芸術は爆発だ

BGM: Cornelius - Point of View Point (Yann Tomita Mix)

今日は休日だった。5連勤のあとで疲れがまだ身体に残っていたのだけど、ゆっくり・ダラダラ寝そべって過ごすわけにも行かない。今朝は月イチの総合病院に通院し、精神科の先生にいろいろお話しする日だったので、朝早くから総合病院におもむく(今日はなさけないことに、早朝の英会話関係のZoomミーティングをサボってしまった)。そこで、先生に昨日の「フラッシュバック」の1件やさいきんはじめてしまったイタズラ書きのことなどを話す。河合隼雄村上春樹の対談に刺激されてはじめたこと、などなど。その後いろいろあり、薬を処方してもらえてつつがなく終わった後はイオンに行く。あとは取り急ぎ今日はやることもなかったので、晴れてヒマな午前をまったり過ごす腹づもりでいたのだった。

さいしょはいつもやっているように、いろいろ音楽を聴きながら(今日は坂本龍一や、その他には小山田圭吾つまりコーネリアスの音楽をあれこれ適当につまみつつ)英語を用いつつ心の中のゴミをフリクションペンとマルマンのメモパッドを使って書いていく。でも、説明はまったくつかないのだけれど、あるいはさいきんイタズラ書きを友だちに褒めてもらったりしたことで舞い上がっていたせいか、単純に春の陽気からくる気まぐれなのかいずれにせよとつぜん「白紙に、上手い下手関係なく(いや下手なのだけれど)ともかく、なぐり書きでイラストで『心のゴミ』を叩きつけて書いてみるのはどうだろう」と思い立ってしまった。そうなるともうこの発達障害特性というやつは居ても立っても居られない。イオンの3階にあるダイソーで落書き帳を買い求め、そしてフリクションペンであれこれサラサラ書きなぐっていった。

それが終わると、DiscordやWhatsApp、Facebookなどさまざまなソーシャルメディアなんかを通して友だちに見せる。LINEでも自助グループのメンバーたちに見せたりする。すると、英語学習でお世話になっている海外の知人がなんだかサン=テグジュペリの不朽の名作『星の王子さま』みたいと言ってくれたりして、それが生々しく心に残る。昼弁当を食べて、午後も引き続きやることなんてなかったので(そういう日もある)、ならばと思って『星の王子さま』を読み返すことに決めた。読み返せばなにか得られるものがあろう、あるいはココロをリフレッシュさせて「あの子どものころ」「少年時代」に戻れるかもしれない、とも思ったりした。それで、さっそく未来屋書店で買い求め粛々と再読にふけった(管啓次郎などいろんなヴァージョンの訳があって、迷った挙げ句池澤夏樹の訳を選んだ)。

ぼくは実を言うと、この『星の王子さま』を夢中になって読みふけった記憶はまったくない。むしろ、軽蔑というかなんというか「ナメていた」「あなどっていた」とも思う。たぶんそれはぼくが読書についてこうした良質の本を少年時代「洗礼を受ける」というか「浴びるようにたのしむ」ことなく育ったからかもしれない(ほんとうに本を読むようになったのはたぶん中学生のころ、スティーブン・キングスタンド・バイ・ミー』なんかを姉の影響で読んだりしたせいだ)。なので、こんかいはたぶんはじめて読んでなんら感興が湧かないままポイと投げ出してそれっきりになってから30年後ぐらいの再読になるかなとも思う。なにはともあれ、読み返してそれで驚かされたのはことし50になるぼくでさえも確かにこの『星の王子さま』の影響で心の中のなにかが「共感」「共鳴」する感覚を禁じえなかったという事実だ。ぼくの中にもまだ子どもの心が残っているのか? なにはともあれ、この本を読み終えるとぼくもなんだか本が描写している自然(本書では薔薇の花や砂漠、その他さまざまな自然が実にみずみずしく・活き活きと描かれている)に触れたくなり、そうすると居ても立っても居られずイオンを出て近所の公園に行ってしまった。それがこの本の「底力」「パワー」だと思った。

さっきも書いたが、ことしぼくは50になる。でも、なんだかこんな感じで実に無軌道に・無計画きわまりなくガキの心で生きている。いいのかなあ、とも思いつつそれを恥じる気もなかったりする。なにはともあれ、公園にてテーブルがあったのであれこれ手持ちのフリクションペンとメモパッドを使って英語であれこれ筆を走らせ、アイデアを文字でなぐり書きしていく。小山田圭吾に触発されてクラウトロックの雄のノイ!なんか聴いてみたりしつつ……そして書いたことというのは、この『星の王子さま』がたしかに人をおおきく・おおざっぱに2分化しているということだった。大人と子ども、だ(後者には「大人になりきれない大人」、つまりぼくのような人間もたぶんにふくまれよう)。でも、ぼくが仮に子どもだとして、ならばどうしたらいいんだろう。大人になるべきか、成熟した「まろやかな子ども」になるべきか(なんじゃそりゃ……)。

夕飯をいただいた後に消灯時間まであいかわらずダラダラと、やることなんてなかったせいもあり手元にあった毛利嘉孝平凡社新書バンクシー アート・テロリスト』を再読する。そんな感じで1日を終えた。すこしは精神が快復したかな?

2025/03/30 乾からびた胎児のように

BGM: Radiohead - High and Dry

今日は早番だった。今朝、いつものように英会話関係のZoomミーティングに参加し、そこで「英語脳」のトレーニングに他の方々と切磋琢磨する。毎週日曜日は俗に言う「フリーディスカッション」の日でとりたてて事前に話題を設けずに好きなように話せるので、いつも先が読めずそれゆえにおもしろい。今日はある参加者の方がZoomのバックグラウンドの画像としてトーストマスターズクラブというクラブの背景画像を使っておられた。それで、その方のそのクラブの話がメインになる。

なんでもそのトーストマスターズでは、英語と日本語(バイリンガル)のスピーチコンテストをさまざまなところでおこなうということで、リーズナブルな参加費を支払えば入会できるとのことだった(だが、とうぜんのこととしてそれなりの英語レベルは要求されるはずだ)。実はこのクラブ、このZoomミーティングのグループでほかにも参加されている方々の話で紹介されたことあり、「小耳に挟んでいた」ので気になってはいたのだった。だからもっとGoogleなどで調べたいと思った。オンラインのクラブがあるというのなら、この交通の便の悪い町からでも参加できるのではないか。いや、参加費のやりくりをどうするかという難題も控えてはいるのだが。

10時より仕事を開始する(6時まで。1時間の休憩時間をはさむ)。朝の仕事中、実を言うと今日はとりわけいそがしく、まったくもって気が休まるヒマもゆとりもなく仕事をしていたのだけれど、そこにぼくがこの世でもっとも忌み嫌っている人物の1人である元上司が来訪された。それを見た瞬間、身体が文字どおりこわばってしまいショックで絶句した(たぶん、その上司にさんざんパワーハラスメントを受けたことからくるPTSDめいたことがらの「フラッシュバック」だったのかもしれない)。それで、居ても立っても居られなくなりしばしトイレに逃げてしまった。もちろんこんなことは言語道断だろう。でも、とうてい仕事ができる状態ではなかった(もちろん、このことがぼくの会社に伝わって問題になるというのならそれはそれでぼくからあらためて釈明する所存である)。長い時間が過ぎた。

仕事中のソーシャルメディア使用は慎まねばならない。だが、緊急事態と思いそこで元ジョブコーチにこの「フラッシュバック」の1件を伝えてしまった。そしてなにはともあれ昼休みまで仕事をする。その間元ジョブコーチはぼくのそのLINEを読まれて、怒らずLINEを返してくださった。昼休みに昼弁当をいただいた後にTwitterのタイムラインをながめる。だが、なんら書くこともなく、ましてやなんだかつまらない揚げ足取りが主流のタイムラインに乗っかりたいとも思えない。ぼくがもっと若かったらたぶんぼくはこの「フラッシュバック」事件を、燃焼・炎上しそうな忌み言葉をたっぷり添えてタイムラインに流したのかもしれなかった。でも、そんなことをしてどうなるというのか。

いつも使っている黒のフリクションペンに加え、赤のフリクションペンも用いてその「フラッシュバック」事件を英語でメモパッドに書きつけていく。実を言うと明日は医師と面談する日である。医師とはいつも発達障害のことや仕事・私生活の困りごとなどを話しているのだが、その医師なら専門家の見地からこんなぼくのような生半可な思い込みをくだくような意見をくださるだろう。だから、きちんと話したいと思った。

そして、こんなことも考えた。仮に同僚の方・先輩の方にこのことを話したとしたらどうなるだろうか、と(いや、まだ話していない)。たぶん信じてもらえないだろう。あるいはぼくがたんにバカでマヌケだという話になるだけだ。その元上司のことはその方々は実に深く慕っておられるみたいだから。このことにかぎらず、ぼくは職場ではずっと孤立・無援を感じる。いや、さっき書いたジョブコーチとのオンラインでのやり取りにどれだけ救われているかわからない。友だちともLINEやほかのソーシャルメディアあるいはプラットフォームでつながっている。でも、リアルではぼくは(もう書いてしまうが)ある種ノーマルな人たちの中にいる異端というかハミダシモノでしかない。ブラックスワンというか……それで、それがたぶんにぼくの「認知バイアス」からくるという意見もありうるのだろうし、それはそれでぼくもなんとか直そうと試みている。でも、「フラッシュバック」の前にぼくは無力であるとも思ってしまう。困ったものだ。

実を言うと、ぼくはこの日記では他人のことをつとめて悪く言うつもりはない。言わずもがなだが、ぼくは聖人君子ではないのでゆがんだ性格がこの日記に露呈しているとは思う。いつも感情が茹だっているので「瞬間湯沸かし器」的な感情の吹き上がりがどこかに出ている可能性もある。でも、ただ悪口を言うだけの興味や執着がないだけだ。でも今日は書いてしまった。まったく、なんて1日だろう。帰ってからは日中の仕事と「フラッシュバック」の疲れあり、8時頃にはやくもウトウトしてしまった。この1日だけでドッと老けた気がした。