跳舞猫日録

Life goes on brah!

2024/07/26 BGM: Haruomi Hosono - TO THE AIR/空へ

今朝、ぼくが籍を置いているあるLINEグループにおいて何人かの参加者たちがこんな面白い議論を戦わせていた。恋愛と欲望の関係、もっと言うと精神的な(高次の、あるいは「プラトニック」な次元の)愛と、それとは対照を成す下劣とも言える欲情・肉欲(直感的な、あるいは本能的な次元のもの)についてだ。面白かったので、ただ傍観するだけではいられなくなりぼくも意見を投稿した。ぼくにとってはそんあ精神面での高次元の愛(「純愛」だろうか)とは愛する相手を貴重な個人として見なし、人格・個性を尊重して距離をおいて接することに尽きる。でも、欲情に関して言えばそれはぼく自身が快楽の中で相手となにがなんでも一体化したい・結ばれたいと渇望する実に原始的な・粗野な衝動ではないかと思う。

でも、やっかいなのはこうして整理してしまうと後者の欲情について「けしからん、そんな欲は相手を蹂躙する身勝手なものだ」となりがちなところではないか。ぼくは、もちろん相手を尊重する気持ちを大事に思いたいという気持ちはあるが、一方で自分の中にその粗野で原始的な欲望がたしかに存在すること、それは消しようがないことを認めざるをえない。あるいは、消してしまえばぼくは人間ではなくなるのかもしれない。理性・理知によって恋愛を割り切ろうとする心理とその理性を超えて暴走する本能の衝動。ならばその両者で常にぼくは引き裂かれているのかな、と思った。

今日は遅番勤務だった。仕事を始めてからも、このことをなおも考えた。ぼくの心の奥底には実に深刻で手のつけようのない矛盾が存在する。ぼくはその矛盾の持ち主として、ついに自分がまったきの白でも黒でも、善人でも悪人でもないグレー(ねずみ色)の人間だということを認める。たとえば、ぼくはときおり世界平和を祈り多様性や平等の概念について「御高説」を書いてしまったりする。でも、この日記でもしょっちゅう書いているがほんとうのぼくはまったくもって「白い」聖人君子なんかではないのである。内心を見つめると、たしかに「黒い」心理がある。というか、いつだってぼくはそんな心理に突き動かされて「お金」「女性」あるいは「物欲」といった本能のそそのかす欲望に負けて動いている、というのが実態だ。

ぼくが尊敬する哲学者の1人、鶴見俊輔の考え方に倣うならば(「ひそみに倣う」というやつだ)、ぼくはこの人生をこんな感じで実にめんどくさいパラドックス(矛盾)に耐え、その矛盾をどうしようもないという絶望に耐え、そして生きることになる。完全に欲望を捨てることもできず、完全に悪になりきることもできず、グレーの状況を……でも、この発達障害の脳みそは白黒がはっきりしないと気がすまないところがあるのでそんなグレー(なにが絶対的にいいことでなにが悪いことかわからない、という状況)に耐えられない。ゆえに、トラブルにさいなまれて敗北する。そんなものなのかな、と思う。たとえば、もちろんぼくは平和は善で戦争は悪だと思う(人が殺されることが善、なんて論理は受け容れられない)。でも、それぞれの側にそれぞれの正義・理想があるということも無碍に切り捨てられない。

このことについて考えると、村上春樹の小説で学んだことに自然とぼくは戻ってしまう。そうした小説を10代の頃などに読みふけったことで、ぼくは彼の洗練されたたくみな語り口(ストーリーテリング)を通してあらゆる人に内在する二面性について考えさせられることとなった。10代の頃……この田舎において、すでに人生にとことん絶望していた頃、人の心理・本性を知る手がかりを彼の作品は与えてくれたのだと思う。ぼくの中には、決して1つにはならない矛盾があり、ゆえに混沌としている。水と油のような要素たちだ。ある意味ではぼくは、心の中にケダモノを飼っているような気がする。

2024/07/25 BGM: United Future Organization - Bar-f-out

この日記でもちょくちょく記してきたように、ぼくは兵庫県のとある地方の町(田舎であり、俗に言う「郊外(サバービア)」)において生まれた。今朝、こんなことをふと自問自答することから始めた。「この町のことを、ぼくは愛せているだろうか」。子どもの頃はそれこそ、正直なところこんな町のことなんて大嫌いで都会っ子になりたいとか都市生活を味わいたいとか思ったものだ。具体的に言えば神戸や東京、あるいはそれこそニューヨークのような「ポストモダン」で「トレンディ」で「イケてる」都市で華麗に暮らしたいと思っていた(そんな都市こそ「文化の坩堝(るつぼ)」だと信じ込んでいたのだった)。でも、ふとこう書いていてこんな疑問が頭をよぎる。そもそも、いったいぜんたいなんだってそんな「洗練の極みのような生活」なんてものにあこがれてしまったのか。それはつまりこの生活にまったくもって満足できなかったからだろう。これはまったくもって理の当然というやつだが、こんな場合はまず自分が立つ足元にある土を固めていく作業が必要がある。だからこのことを考えたい。

このことについて考えをぼくなりに深めていくと、ある事実にぶつかってしまう。認めるべきこととして、子どもの頃からぼくはすでにこの町のとても、それこそ死ぬほど不毛な(草一本生えない、渇き切って完全に干からびた土地のような)雰囲気にうんざりしていたというのが本音だった。これは「盛りすぎ」「大げさすぎ」と言われるかもしれないが、でもガキの頃のぼくにとってはこの町はもう「不毛の地」「この世の地獄」としか言いようがなかったのだ。90年代前半だったか、ぼくが10代の頃に村上春樹の著作と運命的な出会いを果たし、『風の歌を聴け』『1973年のピンボール』などで神戸や東京の生活がヴィヴィッドに、かつクールに(いま思えば気取りすぎていてキザとも感じる)筆致で書かれていて、そんな生活など「絵に描いた餅」ということがわかっちゃいなかったぼくはすっかりあこがれをこじらせてしまったのである。いや、もちろんそれは村上春樹のせいではないわけだが。

そしてぼくは(おそらく天運に恵まれ、両親のサポートも得て)早稲田に移り住みそこで大学生活を始めた。いま思えば実に、それこそ「ど」がつくほどのぜいたくをそこで味わえたと思う。大学では英文学を学び、ビートニクの文学やポール・オースターの文学を読みふけった。プライベートでは隆盛を誇っていた、コーネリアスピチカート・ファイヴに代表される百花繚乱の渋谷系の音楽を聴きまくったりもした(渋谷系からは外れるかもしれないが、その流れで暴力温泉芸者ボアダムスの音楽も手を伸ばしたりした)。でも、ついにそんな生活も終わる。就活でボロ負けを喫して、どこにも行くあてもなくなってあきらめてこの町に戻ってきたのだった。

でも、そんなことだったら東京でフリーターとなってでも生き延びる手もあった。いま思えば、ぼくにとって東京生活はもう楽しくもなんともなかったというのが本音だったのかなと思う。なにもかもがあまりにも目まぐるしく変化してしまうそのスピードはこんなノンキ坊主なぼくと相容れなかったのかなあ、と。あるいはそんな感じで、都市生活がオシャレだなんだと紋切り型のイメージで喧伝するのは一部の賢い、そして血も涙もない人たちの狡知に長けた戦略のせいでもあるのかなあと思えたからでもある(でも、その「人たち」を具体的に思い浮かべられないのだが。うっかり書いちゃって「炎上」してもまいっちんぐだし……)。

そんなこんなで夜になり、毎週木曜日恒例のZoomのミーティングに参加する。今回はある参加者の友だちの女性が楽しまれたイギリス旅行(3週間の滞在記録)についてのプレゼンテーションだった。そこでその女性は、大英博物館に行ったり言語交換カフェに赴いたり、フィッシュ&チップスを試してみたりしたとおっしゃった。実に印象深いプレゼンテーションで、随所にユーモアも散りばめられていて心の奥底から楽しめた(イギリスの食事や音楽、アートに関するあこがれがあらためて深まった)。その後、ショッキングな訃報に触れる。それこそ上に書いた「渋谷系」音楽の伝説的トリオ、ユナイテッド・フューチャー・オーガナイゼーションのメンバーの矢部直が亡くなったというニュースだ。まぎれもなくぼくにとって(かつて、そしていまもってなお)クールなヒーローの1人。あらためて彼の残したさまざまな偉業に感謝を示し、同時に合掌したいと思う。ありがとうございます。

2024/07/24 BGM: R.E.M. - Be Mine

今日は遅番勤務の日。今朝、イオンで鶴見俊輔関川夏央の対談を集成した『日本人は何を捨ててきたのか』を読み進めて時間を過ごす。鶴見俊輔関川夏央の本はこれまでも何度か折に触れて読んできて、たしかに「学びがあった」「啓発された」と信じてもいる(もちろん、まだまだこれからも彼らの本を読みこみそれらから大いに学んでいく必要があるだろう)。今回の読書もいくつか貴重な学びがあり、彼らの堅実でストイックでもある(とぼくには映る)態度にあらためて敬意を払わねばならないと感じ、至らない若僧・若輩者の「青い」ぼくなりにフォローしていきたいとも思った。

とりわけ、鶴見の見解の基幹を成す考え方として彼がどこまで自らが「悪人」であるか、「不良」であるかを明かしたところが眼を引く。こんなことが気になるのは、ある意味ではぼくだってれっきとした(?)、生まれついての「悪人」だからだ。少なくともぼくは自分のことを「善人」だと思ったことはまったくもって、1度たりともない。読者の皆さんからぼくがどう見えるかぼくにはわかりようがないけれど、でもここから見える観点としてこの文をタイプしているこのぼくという人間はそれこそ「超」、「ど」悪人である(いや、正確に言えば拝金主義・物質主義に骨の髄まで侵された俗物といった方が的確かもしれない)。いつも言っているように、ただのスケベでエロいおっさんである。冗談ではない。なんだか書いていて自分でも悲しくなってきたが。

でも、そんな感じの腹黒い・性悪な人々(ここでは具体的に言えば鶴見俊輔のような「タヌキ親父」)が自分のことを果たしてバカ正直に・あけっぴろげに「私は悪ですよ!」なんて言えるものか。ぼくは鶴見の意見をそれこそバカ正直に・額面通りに受け取りすぎてやいないだろうか。人は、偽善・偽悪など目的はさまざまであれどともあれ「嘘をつく」「騙る」「話を盛る」こともある(ぼくだって嘘をつくのだから)という原則に立ち返らないといけない。それこそ、鶴見はそうして「悪人です」「不良です」と語ることで「この人、マジか?」とこちらを揺さぶっているのかなと思う。ならばその時点で確実にぼくは鶴見の手のひらの上で踊らされているとも言える。いやはや、なんとも奥が深い!

でも、少なくともいまの段階では鶴見はぼくは真の意味で信頼の置ける年長者であり、ぼくにとってぼくが歩むべき道を切り開いてこられたパイオニアとして位置している。もちろん鶴見の歴史を紐解けばプラグマティズムの哲学などがルーツとして見えてくるとは言え、これまでかじってきた本から学んだ限りでは鶴見は彼のダークな、それこそどす黒い本性・本能を彼の哲学の始まるきっかけ・端緒として扱っていると思ったからだ。ぼくのことを振り返っても(いやもちろん、こんなことを書くからと言ってぼくが鶴見と「並ぶ」人間だなんて言うつもりはビタ一文ないのだけれど)、ぼくは自分の考え方を書く際現代思想から華麗に引っ張ってくるなんてことはできない(そこまでたくさん読んでいないし、そもそもぼくはフランス語はぜんぜんできない)。せいぜい子どもの頃の話をしてお茶を濁すのが関の山である。だから「似てる」「この人に憧れる」「あやかれたら」と思ってしまうのかなと思った。

午後、仕事前の時間Discordのあるグループに質問を投稿する。ぼくはどうやって「多様性」という概念と向かい合えばいいのか。どのようにして他人の「多様性」を尊重し、かつぼくの権利を侵害されないようにするために自己を主張するべきか。他人は他人、自分は自分と「バウンダリー(境界線)」を引くべきか。これは問えば問うほどわけが分からないパラドックス(矛盾)になる。というのは、ぼくはもちろん生きる上でぼくの権利を主張するが、他人も他人の権利を主張する自由がある。それがぶつかりあったら、そんな事態においては「多様性(人は人、自分は自分)」なんて言っていられなくなる。ならば、そこで他人と自分の権利関係・利害関係をうまく柔軟に調整する「寛容さ」「多様性」を発揮するためにはどんな知恵が必要なのか。いやもちろんこんなことはここで一気に結論が出るわけがない。他のDiscordのメンバーが正直に・懇切丁寧にこの疑問に彼らの見解を答えてくれて、実に実り多いディスカッションになったと思った。ありがとうございます。

2024/07/23 BGM: Eagles - Take It Easy

今日は早番だった。昼食時、ふとこんな疑問が頭をよぎった。そもそも、言葉を話すにあたって「流暢」「ペラペラ」であるとはどういう状態を意味するものなんだろうか、と。いや、ぼくはなにもおちょくっているわけではなく大真面目にこんなことを考え込んでしまって、それで結局休憩時間の終わりまでこのことをしつこく問い続けてしまった。ぼくは実を言うと、英語でのコミュニケーションにおいてなんら自分が流暢なスピーカーであるという自信なんて持ったことがない。基本的には日本語でのコミュニケーションにおいてもいつだって(そう、「いつだって」)ただの迷子でありだからこのやっかいで学べば学ぶほどわけが分からない、ゆえに奥が深い言葉を学び始めた初学者・初心者になったような気さえするのだった。

中には(とりわけ、ジル・ドゥルーズがそうした書き手だそうだが)そんな感じで「母国語でつっかえる・どもる」というか「言葉において困難・語りにくさにぶつかる」ことを称揚する人もいるようだ。というのは、そうした困難を乗り越えるべく書きつづける所作を通して言葉の持つ新しい・クリエイティブな可能性を引き出すこともあるからだ。でも、ぼくは(やっぱりただのアンポンタンだからなのか)結局日本語や英語でペラペラだったらそれに越したことはないなあ、ぼくがそういうペラペラだったらどんなにいいかなあ、なんて願う。意思や意見を的確に・適切に、誤解なくスムーズに伝えられたらなあ、なんて。こんなことを考えると、そんなぼくのアンポンタンな脳みそは自然と村上春樹の傑作群に立ち返ってしまう。春樹はまさに、そんなごく基礎的なコミュニケーションの問題を自問自答することからデビュー作『風の歌を聴け』を開始したとぼくは睨んでいるからだ。

ここまで書いたものが如実に・それこそ誤解の余地などありようもないくらいはっきり明かすように、ぼくは書くものがぜんぜんわかりやすくない。スパゲッティのようにこんがらがっている。それはもちろんぼくが(しつこいけれど)ただのアンポンタンだからなのだ。でも、発達障害者と診断されて以来、もうこの障害のある・ヘンテコリンな脳みそと付き合う・向き合うしかないことも覚悟せねばならなくなった。それはもしかしたらそう悪いことでもないのかもしれない。この世界の常識がたしかに変わってきたことを肌で感じるし、そんな感じで「流暢」「ペラペラ」という概念の意味・定義付けも変わってきたのかなあ、なんて思う。

子どもの頃、ぼくはクラスメイトの途方もなく残酷な悪意にさらされ、それこそ「洗脳」の洗礼を受けて彼らにこう思い込まされたのだった。ぼくはクレージーでキモくて、ここにいてはいけない子、歓迎されない子なのだと。この世にいる価値なんてない、生まれてくるべきではなかった、などなど。もちろんそんなことはもう古い話で、忘れるべきだ。できたらそうしたい……が、そうできないのだった。これもまたぼくがアンポンタンだからなのか、なんちゃって(ぼくだってたまには冗談も言います)。

そんなこんなで、夜になり英会話教室に赴く。今日は最後のレッスン日。授業の後半の時間を、お菓子をつまみつつ歓談の時間として過ごす。もちろん言うまでもなく、こうしたクラスはさまざまな方々の尽力によって成り立っている。いつもフレッシュな英語と知識・情報を教えてくれるALTの先生方、この町の国際交流協会の方々、市役所の方々、などなど。それこそ「足を向けて寝られない」というものだ。ありがとうございます!

2024/07/22 BGM: UNICORN - すばらしい日々

今朝、ある知人がDiscordで私信としてダイレクトメッセージを送ってきて下さった。もちろんその内容を大っぴらに書くつもりはないのだけれど、「人権」というやっかいな概念に関していま一度考え直すことを誘うものだった。読ませていただき、いきおいぼくもリキを入れて考えてしまう。発達障害者として、つまり俗に言う「(精神)障害者」としてこの社会においてぼくはどうこの「人権」という概念(考え方)と向かい合ってきたのか。それは他人事ではなく、ぼくも現にグループホーム利用や会社での精神障害者雇用の制度の利用などでこの社会の「平等」「多様性」といった考え方と向き合う生活をしている。したがって、実に(軽薄に聞こえるかと思うけれど、ぼくとしては大真面目に)「おいしい」「刺激的な」トピックと思いあれこれ考え始めてしまった。

この日記でも書きなぐってきたことだけれど、基本的にはぼくはただのとある企業の一従業員である。だから、このイシューについてそれこそリキを入れて学び続けてきたアカデミシャン(学者・専門家)というわけではまったくもってありえない。謙虚を装うつもりはなく、これは誰が見てもわかる真理・真実なのでそれを隠してコメンテーターを気取ってもメッキが剥げるだけと思い、書いておきたい。アホみたいに大量の本を読んで人権や平等について考えた過去もないでもないけれど(それこそライトノベルから古典、文学や哲学の古典からあぶくのような書物まで読みまくった)、それに加えてぼくの場合これらの概念は外でたくさんの人との交流で(職場で働いたり、リアルやオンラインでのミーティングに出たりして)揉まれて「皮膚で」「身体で」学んだかなと思う。そう、それは実に得難いレッスンだった。

午前中、ドクターに会うために通院する。しばし現況について話し合ったのだけど、実は前夜ぐっすり眠れずしたがって自分がどんなトラブルを抱えているか話せるほど頭も回らなかった。その後、午後に仕事を始めた後にジョブコーチが会社に来られてそしてジョブコーチ面談を始めた。今回は一緒に仕事をする同僚の方も交えて、3人でしばし話し合う。その方に、ぼくは自分の本音を語れるだけ語り、過去のトラウマに満ちた思い出を少しばかり打ち明けた。

だけど、突然心のどこかでこんな声を聞く。「ホントか?」「お前は嘘つきだ」という。そう、ぼくは嘘をついてきたかなと思った。いや、フェアな立場から言うとまだ10代にも満たなかった子どものころ、ぼく自身も他の子どもがやっていたクラスメイトいじめに加担したり、あるいは傍観したりしていた過去がある。だから、ぼくはつねづね自分のいじめられっ子としての経験を書いているがまったくの無垢というわけではなく、一方的にいじめられてきたと主張することなどできない。ぼく自身、いじめという行動が生み出しうる「旨味」を知っているつもりだ。このことを告白し、認めたい。とても恥ずべきこととして……この過去の記憶は消せない(もしくは、そうしてはならない)。心して向き合い、そしていまからでも「おかしいことはおかしい」と言える人間でありたいと思うのだった。いや、このことについて考えると結局ぼくはなんだかんだいって日本に暮らすエッチな弱虫なんだという事実に立ち返らなければならなくなるのだけれど。

2024/07/21 BGM: Yoshinori Sunahara - Sun Song '80

今日は休日だった。今朝、毎朝恒例の英会話関係のZoomミーティングに参加してそこでひと時英会話を楽しむ。今日はいわゆる「フリートーク」の日だったので、ぼくたちは実にざっくばらんにさまざまな話題に花を咲かせる。この盛夏のこと、アメリカの大統領選、などなど。するとある方がメンサ(高知能の方々によって運営されるグループ)について話を切り出され、それでぼくや他の方々も興味を惹かれその話題で盛り上がる。なにを隠そう、ぼくはその昔、2007年に発達障害と診断された折にこのぼく自身の知能指数(IQ)の数値を知る機会があった。さすがにその知能の数値をここで書くほどぼくは野暮ではないが、まあメンサ入りなんて「冗談は顔だけにしろ」と言われるのがオチなお粗末な数字とだけは書いておきたい。なので、いまはメンサは自分とはかけ離れた集団と考えて済ませている。凡人たるぼくは平々凡々に生きるのである。

ありうる凡庸で無知蒙昧な、だけど決して笑って済ませられない偏見として……ぼくは実は若かった頃、そんな感じの高知能の持ち主たち(つまり、具体的には東大・京大といった名だたる大学に入れるほど賢い人たち)こそがこの日常生活のあらゆることを決めてしまうというか、なんでもかんでも問題をその知性で即座に「瞬殺」できると思い込んでいたのだった。ということは、ぼくは賢くないのでそんなふうになんでもかんでも決めてしまう賢い人たちにひれ伏すしかないと思いこんでいたことを意味する(たぶんそれは、いまで言うところのAIが持つという知性を過大評価し、それに過剰反応する心理とつながるだろう)。ああ、なんたるか! それはつまりエリート主義を盲信していて、つまり人の尊厳をとんとわかっちゃいなかったということになる。別の言い方で言えば、人の存在価値・命の重みはそんな知性では測れないほど深遠で神秘的だという単純明快な事実が腑に落ちていなかったのだった。いまはぼくは、なんとかそんな感じで個々人の存在や尊厳の重み・価値を学べたかな、と思う。人権や個人のアイデンティティから生まれる、つまり個性から来る重みというか。

でも、こんないまの考え方は言わずもがなだが独力であれこれ考えたりやみくもに読み漁った本から学んできたわけではない。Zoomやリアルでの発達障害絡みのミーティング(会合)に参加して語らったり、ぼくと同じく発達障害やそこからくる二次障害に悩む友だちとのLINEやリアルでの会話を通して、つまり気取って言えば「素肌で」学んだものだ。その事実を見るに、ぼくが巷で言われるところの「ギフテッド」なのかどうかはわからないけれど(でもこの文を読み返して思うに、悔しいけどぼくは自分がそこまで賢いとも才があるとも思えない)、だけどまざまざと思い知らされてしまうことはただ1つある。それはくどいが、他人を介して(つまり信頼できる人間関係によって)ぼくはここまで来ることができたのだ、という端的な事実だ。これはなにも謙虚に振る舞いたいとかいうのではない。誰へのおべんちゃら・社交辞令でもなく、実に簡明な事実を書いている。ドライに聞こえたら申し訳ない。でも、ぼくは少なくともこのことに限ってだけは嘘は書かない(書きようがない)。

今日は発達障害を考えるミーティングの日で、Zoomでミーティングを楽しむ。この町で運営されるグループホームのサービスについて学び、そしてぼく自身も時間をいただけたのでどのようにして自分が自分なりにコミュニケーション・スキル(会話術や社交性)を身に着け、また自尊心(自尊感情)といったものを自己内で育んできたかについて話した。今朝のように英語を学ぶことはそうしたステップにつながってきたと思う。ただ、ここでつまびらかに・事細かに書くわけにはいかないが参加者の方の体調不良などトラブルがあって会は早々にお開きとなった(むろん、参加者の皆さんの好意に感謝し彼らの快癒を祈る)。日本の今年の夏は「10年に1度」レベルの猛暑だとかなんとか聞いている。ぼくとしては心も体もそんな猛暑の中、熱中症やエアコンの涼風の当たりすぎに気をつけないといけないと思ったりもした。コロナ感染だって他人事ではない……そんなこんなで、夜はリービ英雄『模範郷』を少しずつ読んで過ごした。

2024/07/20 BGM: Cream - White Room

今日は早番だった。今朝、実は英会話教室でお世話になっている先生の1人にLINEでメッセージを送ってしまい、そこからしばしメッセージのやり取りをする。彼女は、ぼくがあまりにも直接に(そしてたぶんにあまりにもストレートに)そんなメッセージを不躾にもお送りしたというのに、フランクに答えて下さった。だからやり取りをしていて、わだかまっていたものが解きほぐされ明確な答えをもらえたようでうれしく思い、またありがたく感じもしたのだった。先生の温かい人柄にあらためて感謝する。ああ……子どもの頃を思い出す。あの幼心に地獄を見た時期、学校中の女の子にそれこそ虫けらのごとく嫌われてしまい、つらい思いをしたのだった。それこそゴキブリにでもなったかのような気分で過ごしたものだ。あるいは、カフカの小説に出てくる毒虫になったかのような気分で。

昼食時に、土用の丑の日が近づいているということでひと足お先にうなぎを昼食としていただく。その後、学校でぼくがどんなふうにいじめられていたのかあらためてその経験を振り返る。一般論として、中にはこうした経験に関しては「喧嘩両成敗」の精神でいじめられる側もいじめる側も等しく責任があるといみじくも語る人もいる。これが一般論として、つまりいじめ問題に関して言える究極的な格律・普遍的な原則なのかは議論が必要だろう。だが少なくともぼくのケースだけで言えば、ぼくは自分のおこないがそれなりに奇妙で「キモい」ものであったかなといまなら反省できる。だからいじめられたのだ……という理屈ならそれも「そうだったらまあ、しょうがなかったのかなあ」となんとか思える。でも、ならぼくはどうしたらよかったんだろう。まわりの大人たちはなぜアドバイスをくれなかったのか。そんなぼくの態度を改めさせるなり、いじめに介入するような態度を示さなかったのはなぜなんだろうか。

そんなことを思い出し、実にあんなクソみたいな学校時代から(ぼくだってこんな汚い言葉を使うこともあります)実に遠く離れてしまったなあ、と感嘆してしまう。いま、ぼくの周りにいる方々を見渡すと彼ら・彼女たちは自然にぼくに話しかけてくれて、そして堅い人間関係・社会生活を共に築けているなと常々実感する。もちろんだからといって、みんながみんなぼくのことを愛しているなんてことはありえないだろう(端的にそんな事態は不可能で、端的にありえない願いである)。嫌う人だっている。あまり気にしなければいいだけの話だ。それが人生ってものだ。

その昔、ロシアに住むとある友だちが言ってくれたことがある。ぼくにはガイダンス(つまり「先導する人」「先輩」)が必要だったということだ。孤独にさまよえる発達障害者としてのぼくを大人になるべく「怖がらなくていいよ」と導いてくれる、そんな大人。その友だちの言葉を思い出すにつけ、彼女への感謝の念を禁じえない。あのひどい、地獄そのものの時期を経てからぼくは心の中でこの世界を敵に回して、したがって敵意をみなぎらせて生きていたこともあった。さながらインターネット時代が産み落としたジョーカーのように生きていた、と書けば気取りすぎていて笑われるのがオチだろうか。

ある友だちがこんなことを質問してくれた。もしぼくが発達障害者であるという事実を忘れられたら、どうなるだろうか。そんな事実を忘れられないものだろうか……それについてあれこれ想像し、そして思う。ぼくは発達障害者であるという事実を忘れることはついにできそうにない。それはぼくにとって「この肉体を持たない人生」「この魂を持たない人生」を想像するのと同じくらい難しい。でも、だからといってそのことを惨めだとかなんだとか嘆くつもりはない。発達障害者であることを認めることは、その事実にがんじがらめにされていて自由に動けなくなっているとあがくこととは違うと思う。昔はぼくはずいぶんあがきまくったものだが、いまは自分がこの自分であることを誇れる。どんなためらいも感じず、一方でそれこそそんなだいそれたジョーカーみたいな論争的・闘争的な態度を採る必要もなく自然に誇れる(つもりだ)。この正直な感覚に殉じて、このぼくの中の勘に従って生きる。その感覚や勘が、ぼくの中の貴重なレーダーとなってぼくを導いてくれると信じる。