跳舞猫日録

Life goes on brah!

大宮浩一『夜間もやってる保育園』

大宮浩一監督『夜間もやってる保育園』を観る。実を言うと(秘密にしているわけでもないのだけれど)私は恋愛経験がないので妻も居ないし子どもも育てたこともない。だが、私自身がロクでもない幼少期を(むろん、親のせいでは決してないのだが)過ごしてきてしまったので人にとって幼少期が如何に大事なものかということくらいはわかる。ここで健全な育ち方が阻害されると、その人物の一生を狂わせかねない軛が与えられることになる。私が子どもを持たないのも、人の一生を扱うという重大な仕事を果たせる予感や自信がが全然ないからである。そろそろ本題に入ろう。


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この映画を観るまで、実は内容に関して強い偏見があった。色眼鏡で見ていた、とすら言える。夜間まで子どもを扱う保育園が増えているということは、取りも直さず24時間体制で行うことが強いられる子育ての負担を様々な理由から果たすことができない家族が増えているからではないか。だとすればその子育てが現在において如何に過酷であるか(経済的な理由から共働きを選択しなくてはならないということ。それと絡んで核家族化故に子育ての担い手が居ないこと、等など)、その問題に切り込んだ社会派のドキュメンタリーであろう、とタカを括っていたのだった。その偏見はすぐさま改めざるをえないな、と思ってしまった。

子育ての過酷さについて、特に保育士の環境の大変さについて切り込んだ描写が本作では皆無というわけではない。はっきりと作品中に登場するニュースの映像とそれにまつわる話などで言及され、保育士やその他この映画に登場する大人たちが決して甘っちょろい理想で動いているわけではなく、ミスが許されないシビアさを噛み締めて仕事をしているその現実はしっかり描かれている。しかし、この映画が描こうとしているのは実は(2時間ほどあるドキュメンタリーにしては意外と?)こじんまりとした幸せなのではないか、と思ってしまったのだ。それは、言葉にすると単純すぎるかもしれないが「子どもを育てることそのものについての幸せ」だ。

いや、私はイヤミを言ったり揶揄したりするつもりはない。そうした子育てが孕むこじんまりとした幸せ、というものを正面から扱ったドキュメンタリーが、そのミニマルさ故にバカにされていいとは思わない。むしろ、上述したように政治的に現状にローキックを入れるところも折り込みつつ、それでいて説教臭くなく「今」子どもを持つことと育てることについて多彩に描こうとする姿勢を好ましく思いもしたのだった。ダブルワークで額に汗して働かないといけない在日外国人の苦労や、発達障害と思われる落ち着きのない子どもたちの現実を描くことによって「今」の子育てを語ろうとしている、と。

だから、この映画はそんなに「キレッキレ」というほど強烈になにかを語りかけてくる映画だとは思えなかった。下手をすれば、これは一度観ただけでは語りづらい薄味の映画なのではないか、とも思う。しかしその語り方は子どもを持たない私にも現場の苦労を思い知らせ、「未来」を担う子どもをどう育てるかを考えさせるに充分なものであった。説教臭くなく押し付けがましくもなく、上品に、センセーショナリズムを排して描ききったその姿勢には異論もありうるだろうが私はいいと思った。少なくとも、貶して終わらせるのではなくこの映画の語る希望を拾いたいと思ったのだ。

以下は蛇足だが、私はコラムニストのブレイディみかこの活躍で、保育士という職業に興味を持つようになった(彼女は在英歴の長い筋金入りのパンクスだから、そこでも私と相性がいいのかもしれない)。決して侮ってはいけない、「子どもを育てる」というやり直しや失敗の許されえない(だが、むろん完全に失敗しない子育てなどありえない、というジレンマを背負わなければならない)重大な仕事なのだ。この映画を観たことで、改めてその職業に従事するエッセンシャル・ワーカーとしての矜持を見た思いがした。それだけでもこの映画は私にとって大きな存在だ。