単純な生活

Life goes on brah!

20260825

昨日は遅番勤務だったので、それで帰宅して日記を書いたりいろいろやっていたらすっかり遅くなってしまった。実は今日・明日と休みをもらっているのでそれもあって油断したかもしれない。消灯時間の11時にはなんとか間に合うように眠り、そして今朝は7時に目覚める。まずはシャワールームに直行して熱めのお湯でシャワーを浴びて、それから昨日着ていた服と下着を洗濯機で洗濯する。その後は7時50分から英会話のZOOMミーティング。昨日「今日の話題」を読む余裕がなかったので、泥縄式に話題をDMM英会話のサイトでチェックしてから臨む。

ブレイクアウトルームに集まられた方々とぼくの3人で、まずはぼくが背景画像として使っている自作の絵の話をアイスブレイクとしてはじめる。絵にインスピレーションを(無断で)もらったモーマスというミュージシャンについて訊かれたので、「ええと、スコットランド出身のシンガー・ソングライターでそんなに有名じゃないんですけれど……」と話す。絵について今日はかなり深く突っ込んだ話になったので、ぼくはいつも絵は出たとこ勝負というか「降ってきたものをそのまま、どんな戦略も思惑も捨てて書くことに徹する」というスタンスで描いているので説明がむずかしい。でも、もちろん意見をいただけるのはありがたい。

けっきょく今日はそんな感じで、あとはカラオケの話(ぼくがさいきん井上陽水「少年時代」を歌ったというような話)やあとは好きな麺類はなにかといった話に終始して、今日の話題にはふかく入っていかなかった。ただもちろん、ざっくばらんに英語で話ができる知り合いを作れたということがぼくの日常においてどれだけ助けになっているかは言葉で言い表せない。その意味で、毎日おこなわれるこの40分という時間は実に貴重なものであるとぼくは受け留めている。「香ばしい」を英語で言えなくて困ってしまったりしたのだけれど(「smelly」だと「くさい」となってしまいそうで、なかなか的確な言葉が見つからない)、それもまたおもしろかった。

その後朝食を摂ってから着替えて、そして部屋を出る。まずは図書館に向かって、そこでさいきん『表現者クライテリオン』で特集が組まれていた桶谷秀昭氏の著作『昭和精神史』とあとは宇野重規『保守主義とは何か』、そして人から薦めてもらっていた渡邉康太郎『生きるための表現手引き』を借りる。その後イオンに行ってそこでどちらかを読もうかとあれこれ試行錯誤したのだけれど、いかんせん今日は朝は眠くてはかどらなかった。朝はいつもコーヒーを飲んで頭をシャキッとさせているのだけれど、思えば今日はコーヒーを飲まなかったのでカフェインが切れてそんなことになったのかもしれなかった。けっきょく朝は読書はまったくできず、近所のローソンでお弁当を買って帰宅してそれを食べる。

それで1時間ほど昼寝をして、午後になり近所にあるカフェに行ってティーソーダをいただく。宇野重規『保守主義とは何か』をすこし読み、実にわかりやすい入門書であると考えつつ同時にこの本を読んで知識としてわかったようなつもりになるのではなく、生き方として思想が根付かなければ意味がないなとも考える。思えば、ぼくが本を読むのはそうして(たぶんにこういうところがぼくの「弱点」だとも思うのだけれど)「生き方」をしっかりさせたいと、不惑を超えてもなお考えているからかもしれないと思った。つまり保守主義なら保守主義の考え方を頭で丸暗記するのではなく、肉体的な「勘」をやしなう次元まで落とし込んで行きたい、と。

これで思い出すのは、いつも書いていることをなぞってしまうけれどぼくは子どもの頃いじめられっ子だった。それはまあどこにでもあるような話で、ぼくにも責任の一端があったことはわかる。ぼくが納得行かないのはそういういじめていた子たちが、学校の授業では「弱い者いじめはいけません」「みんな仲良く」という言葉を唱えてなんら痛痒を感じていなかったらしきところにある。もし「いじめてもいい子もいます。異端は排除されるべきです」という意見をその子たちが言っていたのならばまだしも筋が通る。ただ、そうではなかった。それがぼくの中でいまだ消えない「原風景」として存在する。

カフェを去ってから市役所に行く。そこで、市内の画家の方々がロビーを借りて展覧をおこなっているのに出くわした。ぼくも鑑賞させてもらう。机があったので、そこで借りた渡邉康太郎『生きるための表現手引き』をすこしだけ読む。表現について考えるために、もっと自分も考えを深めねばなるまい……そんなことを考えてふと思ったのはぼくが過去に作家になりたくて、それこそ同人誌に小説を寄せさせていただくところまで行ったのに自分の中に確たる自信を持てなくて、それどころか生きることすらあきらめかけていた時期がたしかにあったということだ。

ぼくは絵を描きはじめたのは49歳の頃のことだ。もっと言えば、いま生きがいと感じている英会話にしても40歳からはじめた。実に遅すぎるデビュー(?)だったわけだ。だからテクニックも熟達・熟成もあったものではなく下手をさらして恥をかいているというのが現実だが、それでも表現することの醍醐味はたしかに感じている。大人になってよけいな競争から無縁でいろいろ試行錯誤することができるようになり、自分の好きなことを自分なりに自由に表現できるのを感じている。そんなことを思った。市役所のテレビにはローカルTVの番組に映っている職場の先輩の姿があり(陶芸を子どもたちに教えていた)、それを見て自分ももっと頑張りたいと思った。

帰宅し、なんだか絵を描きたくてたまらなくなったので絵を描く。今日の絵はまずおなかを見せている魚を描きたいという思いがあり、そこからいろいろ付け足していった。その後時間があったので『表現者クライテリオン』やあるいはさっき借りた桶谷秀昭『昭和精神史』などをすこしずつ読む。6時になり、グループホームの規則にしたがって夕飯を食べた後ふたたび(冥丁という京都のミュージシャンの曲を聴きつつ)『昭和精神史』を読み進める。

ぼくの描いた絵にせよ、ぼくがこうして日本語で考えていることにせよ、読んでいる本にせよ「ぼく自身がぼく自身であることとはなんだろうか」という問いから抜けられていないようだ。「ぼくは発達障害者で日本人で男だけれど、それはどういうことを意味するのか」というややこしいことを問うていてそれを考えるためのーー答えなんてぜったいに出せないのだけれどーー言わば暇つぶしとして、そうした本や英語メモが必要ということなのかもしれない。ともあれ、今日も1日が終わった。