もちろん映画作品も多彩で、ぼくが好きな映画は(信頼する批評家たちはもっぱら「我先に」とボロクソにこき下ろしていたが)『ロスト・ハイウェイ』を筆頭に、『マルホランド・ドライブ』そして『インランド・エンパイア』といったものだ。いまでも、そうした映画たちが見せる映像の奔流たちに魅惑されている自分がいることを隠せない。ぼくの好きな作家村上春樹にしたって、たとえば『ねじまき鳥クロニクル』はたぶんに『ツイン・ピークス』の影響が濃いはずだ(春樹自身どこかでそう公言していなかったか)。たしかにリンチは蓮實重彦や金井美恵子などの俗に言うモノホンの「シネフィル」が称揚するような映画監督ではありえないだろう(少なくともリンチがゴダールやトリュフォー、ヴェンダースやベルトルッチやフェリーニなんかのとなりに置かれる光景はいささか考えにくい)、それでも個人的な体験としてぼくは文字どおり「ヤミツキ」になって『ツイン・ピークス』の世界に魅了されて、ガキのくせにリンチ・ワールドの謎解き(!)にいそしんだものだ。それが嵩じたというか勢いあまって、わざわざ英語でリンチの自伝『Room To Dream』を読まんとしてペーパーバックまで買ったりした。ああ……なんにせよ、リンチはぼくの中で生きる(いや、ぼくがまだリンチの世界から抜けられていないのか?)。やすらかにお眠り下さい。
午後になり、約束していた時刻になりぼくと両親と3人でグループホーム近くにあるレストランに行く。そこでぼくたちはランチタイムを楽しんだのだった(カキフライ定食をいただいたのだが、おいしかった)。ぼくが描いた絵をどう保管するか話し合い、実家にある父のカバンを一個譲ってもらえないかどうかについても話し合う(ふだんはぼくはもらいもののトートバッグをなんとなく持ち歩いているが、これもずいぶんボロボロになってしまったのである)。その後、なんとなくぼくのリアルネーム「達郎」の由来を訊いておきたかったので両親に訊いた。すると父が答えて、父の知り合いだったか誰かで同じ「達郎」という名前を持つすこぶる賢い人がいて、それが由来だったと教わった。なるほど。過去、この名前はあまり好かなかったのだがいまでは海外の知り合いからも「Tatsuro!」と(発音しにくいかなと思ったりするのだが)呼ばれたりして、たしかな愛着を感じる。その両親の思いに応えられているだろうか。
その席に着ていったのがグループホーム管理者の方とぼくが買い求めた服で、両親もよろこんでくれた。さいきんの雪の日のことやこれからはじまる英会話教室のことなどを話す。でも、母が不意に「歯は大事にして、ていねいにみがきなさい」と言ったのにはまいってしまった(ほかにも「本ばかり買わず、おいしいものを食べたりしなさい」と)。その真剣な顔つきにぼくはたしかに母のぼくを思う気持ちを感じた。ああ、今年50になるにもかかわらず、ぼくは母に頭が上がらない。いや、それをもちろん過保護だとかなんとか言う気はさらさらない。母から見てこんな息子はどうだろうか、とも思う。
そんなこんなで昼食を済ませた後に帰宅して、ひと時昼寝をしてその後イオンに行き英語で思っていることのメモをあれこれ書く。小説の断片もこのメモパッドに書きつけているのだけど、疲れていたせいかクールなアイデアが出てこなかった。その後、帰宅して酢豚を食べた後に時間もあってなにかしたいとも思ったのだが(それこそ追悼の意を込めてリンチの映画を観るとか)、でもなんだかそんな気にもなれず、そうなってくるとがんらいものぐさな性分であることもあり、けっきょくベッドに寝っ転がってトム・ウェイツなんか聴いたりしつつ松浦寿輝や吉田健一の本をパラパラ読みふける。そう言えば吉田健一は小説を書くことについて、たしか彼自身小説に手を染めたのがそれこそ彼の晩年の50代ごろとも言える時期で(いや、いまの基準からすればむしろこれから脂の乗りを見せつける時期でもあったはずだが)、そこから「老年」の仕事であると言っていなかっただろうか。ぼくは今年50になる……でも、いまだ胸張って見せられる小説を書けていない。ので、これから書く『ビジターズ』がそうなったらなあ、と甘いことを考えたりもしてしまった。