今朝は7時頃に起床し、その後はいつものコースでまずシャワーを浴びてその後洗濯機で昨日の服を洗濯する。その後、7時50分から英会話のZOOMミーティングに参加する。実を言うとこのミーティング、参加するのはいいのだけどなんだかぼく自身「参加することだけが目的」「参加できればそれだけでよし」みたいに低い到達目標で満足しているような気がしてきて、もっとやる気を出して予習・復習をまめにしないといけないんだろうかとも思えてくる。ただ、ぼくはたんなる小市民(?)にすぎないので時に対応できない話題について話すことになったりするとボロが出やすく、それも困っている。このミーティングの参加者の方々はそうしたぼくの「ぬるい」参加の仕方を受け容れてくださっているので、それがありがたいと思う。
今日は英検について話すことになっていたのだけれど、いざフタを開けてみればブレイクアウトルームにてご一緒させていただいた参加者の方々がどのように地域の活動をとおして英語を勉強しているか(外国人とのコミュニケーションを楽しんだり、教会などのコミュニティを利用したり)という話に終始した。それでぼくも、今日のような毎週火曜日の英会話教室に通ったりこのZOOMミーティングに出たりあるいはDiscordなどで英語でチャットしたりしていることなどを話す。こうした予想がつかない話題に話がひろがっていくところもこのミーティングの醍醐味で、ぼく自身も対応できる英語力をすこしずつ身に着けられているのかなと思ったりもする。
その後、朝食を摂り10時から仕事に入る。仕事中思い出したこととして、過去にほんとうに自分は絵を描きたいと思ったことがなかったのかといったことを考えた。もちろんプロの絵師なり漫画家なり、とにかく絵でマネタイズできる領域まで研鑽を積むのはあたりまえだがそうとうきびしい。だがそこまで行かなくとも、趣味でコツコツ絵を描くこと(創作を楽しむこと)は心のどこかであこがれていたのではなかっただろうかと思ったりもしたのだった。絵師なり、あるいはそれこそ作家にあこがれてじっさいにペンを執ったりしたことが、若い頃あったかどうかについて真剣に思い返してみたのだ。
ときおり絵を褒められた際に、「絵を描くようになったのはここ2年ぐらいのことです」「子どもの頃、絵を趣味にしていたことはなかったです(そのはずです)」と答えるとおどろかれる。うらがえせばそれだけ子どもの頃のぼくにとって絵とはハードルが高い趣味であって、だから同人誌なりなんなりを刊行する絵師にあこがれたりしたこともあっただろうけれどぼくはじっさいになにかを描くまでにはいたらなかったのだ。2年前、ときおり遊びに行くブックカフェのオーナーの方から「絵を描いてみたらいかがです」と薦められても、それでもぼくは「自分には絵は無理だ(デッサンもなにもまったくなってないのだから)」と尻込みしたことを思い出した。
ただ、そんな殊勝な(?)「基礎ができていない」といった動機から絵をあきらめていたからといって小説執筆(これは30代をとおしていちおうは熱心にやってみたつもりだった)において「基礎をみっちり」と取り組んだかというとまたべつの話で、げんにぼくは小説家になるのをあきらめてある種の「力み」が取れてから古典を読むようになり視野がひろがったのだから人生いったいどう転ぶかわからない。昨日だったか書いたとおり、いまでは絵を頼まれることまであったりするのだから。そう考えてみればぼくは若い頃にきびしい批評家たちの書いたものを読みすぎて時間をムダにしてしまったとも言えなくもないのかなあ、とも思う。まずギターでスリーコードを奏でる衝動にしたがうように、絵でなにか描きたいものをおもいっきり描く。そんなことが必要だったのかな、とも思ったりした。
昼休み、仕事で疲れた頭をふりしぼって夢小説の続きなりスケッチなりを手がけようとするもこれもうまくいかないので、今日はマイ・ブラッディ・ヴァレンタインをぼんやり聴いて時間をつぶした……もしかしたらぼくが若い頃(とくに10代)というのはまだ絵を描くことがオタク趣味と呼ばれる領域にあったのと、じっさいに絵に手を染めていた子たちが判で押したようにアニメ風のキャラクターしか描いていなかったのでそれで「なんだか不自由だな」と思ってあきらめてしまったのかもしれなかった。いや、すべては30年以上も前のことでいま思い出そうとするといろいろノイズが混じるというか「補正」「歴史修正」がかかってしまって素直になれない。ただ、絵を描くモチベーションなんて湧くはずもない環境(そうした趣味を嗤う環境)にあったような気もするのだが、嗤われてもやってみるべきだったんだろうか……まあ、要はぼくがへなちょこだったということだ、で終わりそうな気もしてきた。やる人は勘当されたって、なにがなんだってやるんだから。
仕事が終わってからその足で図書館に向かう。そこで岩波文庫のホルヘ・ルイス・ボルヘス『伝奇集』『アレフ』と、内田百閒の伝記本である山本一生『百間、まだ死なざるや』を借りる。それで『百間、まだ死なざるや』を読んでみたらこれがおもしろく、7時から英会話教室がはじまるまでの時間を読みふけってしまった。ぼくは内田百閒について、もちろん人格者やまして漱石的な「大先生」といったイメージは持たないようにと思って読んできたのだけれど(この本でもそうとうに気難しい人であることは伝わってくる)、でもときおり「百閒のように書きたい」「こんなふうに生きたい(借金地獄はいやだけれど)」と思ったりもする。「冥途」や「件」「山高帽子」といった浮き世離れした世界はどうやったら立ち上がるのか、こんかいのこの読書で見ることができたらと思う。ただ、ぼくの場合才能のせいか「ぼくの世界」になってしまうようで、それはまあしょうがないかとも思う。パスティーシュなんてできるわけがないんだから。
7時より英会話教室。今日は怪我したり病気になったりした時のことを形容する英語表現を学ぶ。会社で前のセクションにいた時に包丁で指を切って10針ほど縫った話などをしたり、親知らずを抜いてからめまいに悩まされたりした話をしたり……こうしたばあい、いちいち「SVO」とか「この言葉は英語に訳すとこうなってああなって」といったことを考えていてはとうていなめらかな英語にならない。もうやけっぱちで、思ったとおりに英語を出したのだけれどそれがこんかいは功を奏したようでホッとした。その後帰宅してハンバーグを食べて1日が終わる。
