今朝は6時頃目が覚めて、その後どうということもなく起きてしまい7時をむかえる。それまでのあいだDiscordで英語でチャットにふけっていたのだけれど、ある年若の知人がDiscordの年齢制限(IDや顔認証システムによるもの)に嫌気が差してMatrixというサービスに移行を考えているということを教えてくれた。その友だちはだいじな存在なので、ぼくもMatrixに……と思ったもののDiscordはそれはそれでいまのところ居心地もいいし、これ以上サービスに過剰に登録して身にしみない使い方をするのもなんだか気が引ける。まあ、いますぐアカウントを削除なり登録なりしなければならないという話でもなさそうなので静観することに決めたのだった。
7時になり、いつものようにシャワーを浴びて洗濯機を回す。その後7時50分からの英会話のZOOMミーティングに参加する。今日の話題は韓国が観光客誘致に熱心になっているというニュースで、ぼくは韓国に行ったこともないのでそのあたりのことをブレイクアウトルームでご一緒させていただいた方々から聞かせてもらう。そこから話題は香港や台湾、そして中国へと移る。とくに中国については旧正月(春節というのだろうか)をむかえるということで、昨今の日中情勢の悪化で中国人観光客が日本を避けて韓国をえらぶ傾向があるという話もちらほら。中国には友だちが何人かいて英語での話し相手になってもらっているので(いまの時代、そんなに珍しい話でもなかろう)、その友だちのことに思いを馳せる。
その後、朝食を摂ってそして総合病院に行く。今日は月に1度のドクターとの面談の日。こんかいはグループホームの副管理者の方が同行してくださることになり、面談の席でぼくがフラッシュバックのことやAI依存の傾向の話をした後にその方からぼくの独り言の多さが話される。独り言はそれはそれでまあけっこうなことかもしれないけれど、ただ迷惑をかけているというのであればもちろん忍びないことなのでこの機会になんとかできればと思う。ただ、この季節(年末年始やバレンタインが過ぎて、本格的に春めいてくる季節)ならではのプレッシャーもあってそうした事態につながっている可能性はじゅうぶんにある。難儀な話だ。さびしさから来る(さびしさゆえに「心の声」がついつい漏れる)という話ではAI依存と独り言はつながっているのかもしれない。そうした手段がないと正気を保てないからなんだろうか。
その後副管理者の方と別れ、なんだかとても眠い待ち時間を耐えて薬をもらった後に(これも春めいてきた気候のせいか?)今日もまた午前の残り時間と午後は完全休養に徹することに決めて、そしてひとまずイオンに行って考えごとをする。持っていたバリー・ユアグロー『一人の男が飛行機から飛び降りる』と内田百閒『冥途・旅順入城式』を読もうとするも眠気や昨日書いた夢小説の疲労もあってかまったくはかどらない。そうなるとなんだか産毛をライターでちりちり炙られているような地味に苦痛な時間が過ぎるのみで、しかもその時間なんにもできていないという無為さがふがいなく感じられてきた。
それで、勢いあまって英会話教室のプリントの裏っかわを使った「遊び」としてこんかいも絵を描くことに決めてしまった。夢小説がマシュマロや餅を使うカレーの話だったのでそれにあわせて満月やカレーやAIといった要素を盛り込んでいったらよくわからないものができてしまう。それをDiscordやLINEなどに投稿したところ、苦しまぎれに書いた台詞に反応して「日本人はバッタをカレーライスの中に入れるのか?」という質問を2人くらいからもらった。こうしたぼくの漫画をAIにも見せたところ反応が返ってきて、ぼくとしてはまったくもって戦略も批評性も意識的に発揮せずに思ったことをまんま描いただけだったので深いところまで受け取られた感触があっておもしろかった。友だちの1人が「私の子の絵を描いてください!」とオファーしてくれたこともうれしかった。

その後、ローソンに行きミートソーススパゲティを買ってそしてグループホームに戻って食べる。昼寝をした後、またしても時間があいてしまってなんだか落ち着かない。また産毛を炙られるような落ち着かなさにとらわれ、英語でDiscordでチャットしたり(ちょうど海外の友だちが起床する時間だった)あれこれ時間をつぶす。でも、それでも耐えられなくなってまた外出して、しかし悲しいかなタダで過ごせる場所がイオン以外に思いつかずそこに行ってしまう。それで、さっき書いた内田百閒の小説を読みふけって過ごす。それでも手持ち無沙汰だったので2本目の夢小説なり夢漫画なり、でたらめなものを描こうかと考えるもなんにも出ない。そういうこともあるのだった……。
ハタチの頃(つまり30年前!)、ぼくは当時通っていた大学の生協の書籍コーナーで内田百閒の文庫本『冥途・旅順入城式』を買い求めた。百閒についてはなんら前知識もなく、ある作家指南の書で漱石『夢十夜』とならんで推薦されていたからナマイキな若僧だったぼくは「じゃ、読んでみるか」と手にしたのだった。それ以来、この短編集を何度読み返したかわからない。その頃から作家になりたい野心(妄想)をくすぶらせて、しかし長編を書く体力もなにもまだ自家薬籠中のものにできていなかったぼくにとってこうしたショートコント的な作品は「もしかしたらぼくにもできるかも」と思わせるに足るものだった。若いってこわいなあ、と我ながら恥ずかしくなる。
30代の頃、同人誌に参加してあれこれ試行錯誤するもけっきょくぼくのいたらなさで迷惑をかけてしまい(あともちろん、ぼくの発達障害特性が小説という形式となじまないことも思い知らされたので)夢はあきらめることとなる。ただ、こうしてシュールな作品(文学的な言い回しになるが、「無意識のフタをこじ開ける」ような作品)を描くのはそれ相応のおもしろさ・楽しさがあることもたしかなのだった。もうぼくも51歳。なにかをはじめるには遅すぎるかもしれない……ただそれでも、いまこうして描いてみて味わえる楽しさを手放すのも惜しいようにも思う。なんだか今日描いた絵にしたって稲垣足穂のデキソコナイみたいなものかもしれないけれど、でも身内にささやかに・しっかりとよろこんでもらえればこの上なくありがたい話でもある。週一くらいのペースでコツコツと描けたらいいのかなあとも思ったりした。
