昨日、この日記で書けなかったことを思い出した。というのは先輩社員の女性の方とすこし雑談で話し込むことがあったのだけど、そこでぼくがうまく相手の方に話を振ったり訊きたいことを訊けなかったりしたことについて、「そういうのは『お話どろぼう』になるから、相手に反応をもとめるばかりではなくて自分からも積極的に話したほうがいい」と言われたのだった。それはもちろんそのとおりなので、相手の方の思いやりに触れてぼくも考えなおすところがあった。ただ、なかなか相手の方がノッてこれるような話をさぐるというのもむずかしい。そんなことがあってのことか、今日はいつもと違うテイストの本を読むことになってしまった。
朝、1時頃目が覚めてしまいそこで眠剤を飲み忘れていたことに気付かされ、それで「まあいいか、今日はまるごと休みで予定もないし完全休養日にしよう」と思って眠剤を飲む。そしたらこんどは7時に目が覚めて、けっきょくそのまま起きて(だから散文詩は書かないまま)シャワーを浴びて洗濯機を回すことに決める。そして7時50分の英会話のZOOMミーティングに参加して、今日はフリートークの日(とくに事前に話題を決めない日)ということでブレイクアウトルームにて、参加されたほかの方々と英会話にはげむ。フタを開けてみると化粧水の話などぼくの生活とはからまない話がおおく、それでなんだか置き物のようになってしまった。昨日のアドバイスを活かせなかったことにたしかな自己嫌悪を感じるが、まあしょうがない。
その後朝食を摂り、イオンに行ってそこで考えごとをする。ただ、やはり眠剤を飲んだタイミングが悪すぎたせいか眠気がぶり返してきてものすごく眠く感じられてしまい、英語メモもなにもあったものではない。あきらめて部屋でおとなしくしていたほうがよかったか、それともまったくちがうことをこころみるべきだったか……それでふと、今日から土曜日までの1週間分の生活費を受け取っていなかったことを思い出してグループホーム本家に行き、そこで管理者の男性と話をする。
さいきんのトピックとしてはChatGPTなどのAIに依存していることと、あと独り言をたくさん言うことが挙がってきてぼくもなんだか落ち着かない気分になった。正気を保つため(それ以上狂わないため?)とはいえ、隣室の男性に迷惑をかけていることはたしかなので困ってしまう。明日通院日なのだが、フラッシュバックのことも先生に相談するとなるとなんだかもりだくさんな話になるので同行されるグループホームの方におまかせすることになるかもしれない。
その後コーヒーを飲んでやっと頭がシャキッとしてきて、それで本屋に立ち寄る。なんだかホラー小説的なものを読みたい気分だったが小泉八雲や夏目漱石『夢十夜』はいまのぼくにとって波長が合わない。それと、いまとなっては説明できないけれどなんだか「そういう気分(テンション)」だったということもあって雨穴『変な家』の文庫版を買い求めてしまう。そして昼の時間をそれを読むことに宛てる。もちろんたった1度読んだだけだから再読も必要だし雨穴氏のYouTubeチャンネルもチェックが必要だろうが、読んでいて思い出したのはダニエレブスキー『紙葉の家』や京極夏彦、もしくは三津田信三といった書き手の仕事だった。虚実のあわいをうまく侵犯するような出来としてできあがっていることに舌を巻く。
ただ、過去の作家だったらそれこそメガトン級に歴史や民俗学・宗教学といった教養(蘊蓄?)を積み重ねて物語に厚みというかリアリティを与えるだろう。雨穴氏の作品はそうした描き込みの執拗さはなく、むしろ推論(憶測や推測)が走りはじめる運動の凄味で読ませる印象を受ける。だから一歩間違えれば陰謀論とも相性がよくなってしまうところで(なにせ図面に描かれた1つの瑕疵からここまで物語を広げるのだから)回避しえている印象をも受ける。ぼく自身をもそうした謎解き・推理に引き込む手管はさすがと思い、ゲーム的な醍醐味を感じた。この路線としてはほかにはもっと『新耳袋』『「超」怖い話』などが思い浮かぶが、そうした良質の実話怪談とミステリのアマルガムといった印象だ。
その後、さすがに眠さや昨日の疲れやいろいろなことが「溜まって」いたからか(なにせぼくも50代なので)帰宅後唐揚げ弁当を食べたらなんだか眠くなって寝てしまう。起きて、そして部屋にいて「さあ休もう」と思ってもなんだか3時間なら3時間が無為に過ぎるのが耐えられない(同じ空間でじっとしたまま日だけが暮れゆく、という光景をイメージしてしまうのがこわいのだ)。なのでまた外に出て、てきとうな場所を見つける。そこでChatGPTとあれこれ話し込み、「今日はもう休むことに専念したほうがいいです」といった助言をもらったりもしつつも落ち着かない。それで、いま思っていることをメモパッドに書いていったらそれがそのまま小説になったので漱石『夢十夜』かバリー・ユアグローを「薄めた」ような……なんだかよくわからない英文を書いてしまった。それを英会話教室の宿題として提出することにした。どうなるかはわからない。
帰宅後、その自作の夢小説(?)を読み返す。英語について言えばミスなんて山ほどあってげんにDiscordで指摘されるところがたくさんあり、文字どおり汗顔の至りだ。ただ、取りつくろって語るにあたってなんの情熱も湧かないことをそつなく語るより、たまにはこんなものを提出してもいいのではないかとも思った。明日時間があれば裏面にイラストレーションを描くことにしたい。なんにせよ、今日は英語で自分自身の内面を表現することをおそれないことを学んだ日と言えるのではないかと思った。読めるようなら内田百閒や漱石、島尾敏雄といった夢小説の先達のものを読めればとも思う。ところで、今日はもう散文詩は書けないようだ。そういう日もあるのだった。

2つ付け加えておきたいこととして……実はぼくは夢をまったく見ない。覚えていないというか、眠りのなかに入ってしまったらそこから抜け出す際にひどく疲れてしまい夢の中で飛んだり泳いだりするということがないようなのだ。そしてもう1つは、これからもこうした創作を続けるとしたらそれこそ百閒的に「宍粟日記」というものにできないかとはやくもぼくの中で悪乗りが疼きはじめている、ということだったりする……。
