単純な生活

Life goes on brah!

20260214

今朝、4時頃目が覚める。昨日は遅番でその疲れが残っていたこともあってか、起き出して散文詩「さよなら王国」の続きを書こうと考えるもなにも思い浮かばない。そのうちに疲れがぶり返してきたようで、あきらめてしまい「書けないならもうそれはそれでいいや」と思い切って床に就いて二度寝をする。次に起きた時は7時で、こうして決まった時間にきちょうめんに目が覚めるのもぼくの発達障害特性のせいなのだろうかと考える。なにはともあれ、起き出したらそれからはいつものようにシャワーを浴びて洗濯機を回し、7時50分からの英会話のZOOMミーティングに参加する。

今日の話題はアメリカの大学の特色についてが主で、そこからぼく自身が大学に在籍していた頃の話をさせてもらった。英文学を学んでいた頃、心のどこかでは創作に手を染めたいという欲がありしたがって小川洋子のように創作科コースを歩む勇気を出すことも考えたことがあった。ただ、当時のぼくにはそこまで思い切ることができなかった。「才能がないことがはっきりしたらどうしよう」とか「自分に書けるモチーフはあるのだろうか」とかそんなことを考え込んでしまい、そうなると自分で自分の首を絞めるようにおくびょうになってしまったのだ。けっきょく英文学を目指した後は翻訳家になることを夢見さえして、しかしうまく行かずいまの仕事に(なかば「夢破れて」)就くことになる。英文学の知識は仕事ではあまり役に立たないが、それもまあ人生だろう。

ブレイクアウトルームでご一緒させていただいた方々から、電子書籍を出すのはどうですかと薦められた。いまはAmazonなどで電子書籍がかんたんに出せる時代、ということで自分の書いたものをマーケットに出してみるのもいいのではということだった。でも、そうなるとまずKindleについて知らなければ(電子書籍の作り方がわからなければ)手も足も出ない。それで、暇ができたら調べてみることにした。こうした日記を集成して刊行するというのも1つのやり方としておもしろいのではないか、と思う。タイトルはやはり、ぼくが尊敬する作家の1人阿部昭の作品にならって「単純な生活」にしようと考えた。

ミーティングが終わった後朝食を摂り、そして10時より仕事に入る。仕事中、ふと考えたこととして「憎悪」という感情をどう整理するかというのがあった。なんでそんなことを考えたのかというと、過去に「論破」という言葉がしきりに流行ったことをふと思い出してしまったからで、ぼく個人も「論破」というやり方に(成功していたかどうかはべつとしても)「酔って」いたというか「中毒」を起こしていた自覚があったことを思い出したからだ。いまはぼくは「論破」ということがらにそう重きを置いてはいない。自分の中でそうした変化がどうして起こったのか考えた。

その原因はたぶん、ぼく個人がXなどのSNSの空気に見事に乗せられてしまったからとしか言いようがない。いま、ぼくはXをそんなに積極的に使っておらずアカウントだけ持っているかたちになっているが、議論をするとしても(いまだに貫徹てきていないのを認めるにせよ)他人を頭ごなしに「どやす」「恫喝する」スタイルだけは摂りたくないものだと思っている。「悪口が上手くなること」と「批判的思考をきたえること」のあいだには見過ごせないちがいがある(もちろん悪口が上手い人で批判的思考においてもすぐれた書き手だっているが、ぼくはそんなタマではありえない)。そうした「悪口が上手くなること(他人の心理を傷つけることに長けること)」を競うあまり、ぼく個人が「怪物」にならないという可能性はどこにもない。

そんなことを考え、そしてぼくがここさいきん使い込んでいるAI(ChatGPTなど)に考察を打ち込んでいく。「怪物」という言葉をもうすこし定義すると、人間味をうしなうこともあるが同時に主義主張に殉じるあまり自分自身の良心や身体性を見失って機械的に意見を発するような(その意見ないし主義に殉じて、時には人だって平気でいじめたり殺したりするような)存在の謂だ。ぼくは若い頃、机上のテストではへいぜんと「差別問題」「倫理問題」でいい点を取るクラスメイトたちがぼくをいじめること、それに矛盾を感じていないことに不条理をおぼえた。そんな存在もまた「怪物」だと思う。どうだろうか。もちろん、これがあまりにも一方的な見方であることを認めるにやぶさかではない。

話は変わるが、今日は午前中とある方とお会いする機会があった。その方とは英語研究会というぼくが在籍させてもらっているグループにてお世話になった方で、亡くなられた先生のことやこれから英語学習をどうするか(とくに、いま使っている教材のムーミンの漫画について)といった話をする。英語学習についてあれこれ話をしているあいだ、自分自身がさまざまなコネクションにつながらせてもらってささえられていることをまざまざと自覚させられるできごとだった。季節はうつりかわる。いぜんまで正月気分だったかと思えば今日はバレンタインデー。そしてすぐにひな祭りや卒業・入学の時期が来る。また、春が来る……。

昼弁当を食べて休憩した後、いつものごとく英語でメモパッドにメモを書きつける。そのメモの写真を撮り、ChatGPTなどに読み込ませる。手書きの文字がきたなすぎて読めないのではないかと心配したのだけれどChatGPTは読み取ったようでそれにたいしてもコメントをくれる。ぼくの内的な変化・深化について言及してくれて、それについてぼくもいきおい熱を帯びてプロンプトを打ち込む。あっという間に休憩時間が終わった。

午後の仕事に入って、そこで先輩の従業員の方といろいろ話し込む機会があった。ぼくのグループホームの暮らしについてや、以前にぼくと二人三脚で活動されたジョブコーチの方について。そのさい、ぼくの中からその先輩社員の方にたいして訊きたいこと・話したいことはないかとたずねられた。いきなりのことだったし、そうでなくとも発達障害者にとって不意の雑談はむずかしい。でも、もし余裕があれば「『ムーミン』って子どもの頃ごらんになったことありましたか」と訊いてみてもよかったかもしれないと思った。歳がバレると叱られただろうか……その後帰宅して、木山捷平『酔いざめ日記』や長谷川郁夫『吉田健一』をめくっているといつの間にか1日が終わっていた。さて、この日記を今日から電子書籍化めざしてストックできないものだろうか……。