昨日の夜この日記を書いて後、個人的に毎週日曜日の夜の恒例のイベントとなったZOOMミーティングに参加する。開始時間は午後9時からでそれから英会話や英語を使ったゲームなどに興じるのがいつもの展開だったが、ぼくがうっかりしていた上に昼間の疲れもあって寝入ってしまっていたので英会話もゲームも残念ながらこんかいはお預けというかたちになった。9時40分から、とある方の英語での3分間スピーチがはじまる。ベトナムとタイをそれぞれ訪問された印象(共通点と相違点)などを多彩な映像を用いつつ説明する、きわめてわかりやすくておもしろいスピーチだった。このスピーチの時間はそれぞれの語り手のたどってきた人生が見えるようで興味深い。
それでスピーチが終了して、質疑応答の時間になったのでぼくも1問質問した。その時、「What is the clue to learn foreign culture effectively?」といった質問をした。つまり「異文化を知るための効果的なコツはなんですか」ということを訊いたのだけど、なんだか堅苦しい表現だということは自分でもわかったので後でGeminiに確認したところ「What's the best way to understand another culture?」という言い方があると教わった(あるいは、「コツ」は「clue」ではなくて「tip」のほうがふさわしいのだとか)。なるほど、まだまだ自分の英語は堅苦しいなあと1つ学んだのだった。
それでその日はもう眠ってしまって、起きると朝の7時。ここからはいつもどおりで7時の恒例行事としてシャワーを浴びて洗濯機を回す。そして7時50分から英会話のZOOMミーティングに参加する。参加された方々(ブレイクアウトルームでご一緒させてもらった方々)の中に昨日のスピーチをされた方もおられたので、昨日のお礼をさせてもらう。その後自己紹介をして、今日の話題である青森のりんごについて話題を展開させていく。カナダからはるばる(?)参加された方もおられたので「カナダではりんごはどういただくんですか。やっぱりアップルパイですか」と質問したりして、楽しい時間を過ごした。
ただ、1つ気になることがあった。ある参加者の方が自分の英語力のことを気にされていたようで、言葉のはしばしから遠慮が見えたのだった。それでぼくが(そう、おこがましくもこの「ぼく」が、です)「ぼくは英語マスターではないですが、あなたの英語はまったくもってひどい英語だとは思いません」と言ったりもした。この言葉に嘘偽りはなく、すくなくともぼくから見てその方の英語は平たくて伝わりやすい、文法的にもきちんとした英語だった。なので、こうしてずれが生じるのはおもしろいなあと思ってしまった。いや、その方が自分の理想の英語のレベルを(TOEICか英検を目指していて鍛える必要がある、というような理由から)高く設定されているのだとしたらそれはそれでわかるのだけど……。
なにはともあれミーティングが終わり、朝食を摂った後グループホーム本家へ行く。今日は9時半からこちらにて、支援事業所の方のモニタリングのため聞き取り調査をすることになっていたのだった。約束の時間に来られたその方とグループホームの副管理者の方と3人でさっそく話し込む。ぼくが金曜日に起きたフラッシュバックのこととそこから頓服を飲みすぎて失神した事件について話し、その後は金銭管理のことや部屋の整理整頓の話をしたりする。とくに失神以外の話でいくと部屋の整理整頓は頭を悩ませていて、なにせ買い求めて飲んだ飲料のペットボトルが散乱しているのでそれをまず片付けないことには床が見えないのだった。副管理者の方から「30分間だけ」時間を決めてペットボトルの片付けをするように言われ、それを守ろうと心に決めた。
その後、イオンに向かいそこでしばし考えごとをする。明日に控えた第2回の英会話教室の席で提出する英作文の宿題を書くべくあれこれ思案する。それで、今朝出会った方の話(遠慮が見えた、という話)をぼくなりに英作文としてまとめようとあれこれ鉛筆を走らせて書いてみた。ぼく自身は自分の英語力がいかほどのものなのかまったくわかっていない。ただ、想像がつくのはやはり日本で生まれ育った限界があってLとRの区別がうまくできていなかったり、あるいはぼくの考え方がややこしい方向にどうしても転がってしまうので結果としてスパゲッティみたいにこじれにこじれた英語になってしまっているということだ。シンプルな英語を話すのはなかなかむずかしい。それこそ、ヘミングウェイやレイモンド・カーヴァーから学ぶべきなのかなあと思ってしまった。
ただ、そんなヘボい英語ではあるにせよぼくは「これがぼくの英語なんだからしょうがないかなあ」と押し出している。発達障害者ということもあってかぼくの英語は過剰にフォーマルで(人から言われるのは、前にも書いたけれど「外交官みたい」「アナウンサーみたい」といった評価だ)だからそれが人を遠ざけているところも多々あると思うけれど、それでも「これがぼくだ」と押し出すのが礼儀なような気もしているのだった。うまく言えないけれど、「ごめんなさい(こんなに下手で)」と遠慮がちに自分の英語を差し出すというのはぼくの生き方とは反するように思う。だけど考えようによってはそうした遠慮がちに差し出す英語が人の胸を打つこともあるはずで、だから好みの問題なんだろうと思う。ぼくのような図太い・KY(死後)な英語だっていいじゃないですか。
5時になり、夕方の休憩時間をもらってそれでここまで考えたことをメモパッドに英語でしたためる。その後、今日こそは『CNN English Express』を開こうと思ったもののまったくやる気が出ず、けっきょく目を閉じてそのままうとうとして1時間をつぶしてしまった。その後は9時までなんとか仕事をして、そして戻ってきたらもうこんな時間……時間の使い方・やりくりが下手なのも発達障害のせいかもしれない、といったら殴られたりするんだろうか。
