昨日はなんだかんだで12時頃床に就いたのだけど、今朝は5時頃目が覚める。歳のせいか寒さのせいか、理由ははっきりわからなかったけれどそのまま眠り直すこともできそうになかったので起きてしまう。そして来週の木曜日の友だちとのZOOMミーティングでぼくが披露することになっているプレゼンテーション「English Learner In Shiso」の草稿を書く。ある程度書き終えるとそれをファイル化してGeminiに読み込ませて感想をもらったりと、こんかいはいろいろぼくなりに実験的なことをやってみる。昨日職場の同僚の方のことでむかっ腹が立ったり、その前の日は英会話教室に行ったりあとぼくの英語学習の道程もかなりジグザグしたもののようだ。いったいどんな仕上がりになるのかはまだぼくにはわからない。
その後、7時よりいつもどおりのルーティンをこなす。まず寒い中を部屋を出てシャワーを浴びて、それから洗濯機を回して昨日着ていた服を洗濯する。そして7時50分から英会話のZOOMミーティングに参加する。昨日書いたとおりぼくがZOOMの背景画像にブルース・リーのものを使っていたのでその話になり、あとはそれぞれの地方の天候について(雪が降ったかどうか)や今日の話題である「睡眠中隣の人がいびきをかいていたらどうするか」という話題で盛り上がる。ぼくは原則としてワンルームマンションに同居人と2人で住んでいて、1つの大部屋を壁で仕切っている。なので、1人だけのスペースを確保することが許されていてその中において本やパソコンなどを持ち込んだりして安寧に過ごせているのだった(ときおりぼくの騒音が問題になることがあるので気をつけようと思う)。
そして朝食を摂り10時より仕事に入る。いつもは英語メモを仕事中こっそり書き留めるのだけど、今日はやはりというか睡眠不足で頭がはたらかずしたがって書けることもない、まったくの「空白の1日」だった。まあそういう日もあるよねということで、眠い頭を引きずりつつ1時からの昼休みはサンドイッチを食べてそして昨日読みかけた池澤夏樹『また会う日まで』の続きを読むか阿部和重『アメリカの夜』を読み返すかしようと思ったのだけれど、これもぼくの脳が活字を受け付ける状態にはなかったということでまったく読めない(『アメリカの夜』はおもしろい小説です)。しょうがないのでぼんやりアンダーワールドを聴いていると音楽に催眠作用があるのかうとうとしてしまい、机の上にあやうくよだれを垂らすところだった。
そんなこんなで5時までなんとか仕事をこなし、それからはまっすぐ帰宅する。その後、夕食を摂ってからしばらく仮眠を取る。7時半からぼくの知り合いの日本語教師の女性が紹介されたZOOMミーティングに出席して、そこで「やさしい日本語」の講座の番外編として企画された阪神・淡路大震災をめぐるプレゼンテーションを聴講する。聞かせてもらいながら、ぼく自身の阪神・淡路大震災をめぐる思い出を振り返ってしまった。ぼくが関西圏(もっと言うと兵庫県)で生まれ育ったことはこの日記でも明かしてきたことだけど、高校生の頃は神戸市外国語大学かどこか関西圏の私大(関関同立に代表されるところ)か、とにかく関西方面に進学を考えていたのだった。それが兄の薦めで東京のほうに行くことになってしまった。えてして人生とはそういう風に転ぶものだ。
阪神・淡路大震災の頃、インターネットがいまのように一般の庶民にも使えるかたちでこの世に実在していたかどうか記憶にない。ましてスマートフォンはおろか携帯電話さえもなかったのではないか(ポケットベルはあっただろうけれど)。そんな状況において東京の地に住んでいたぼくは故郷の惨状を新聞なりテレビなりマス・メディアで知るしかなく、日々被害がどのようなものだったか克明に報道される様子を気にしながら暮らしていたことが思い出される。いち早く田中康夫のようなアクティビストがボランティアに乗り出したりして、ぼくもなにかできないものかとあれこれ気を揉んだこともなつかしい思い出だ(いまならポケットの中の財布と相談して、できるだけの寄付をすることをまずは考えるだろう)。こう書いていて、震災当時神戸に在住していて惨状をつぶさに見つめてきた中井久夫のことを連想した。彼の本を読むべきかもしれない。
震災においては「30年限界説」というものがあるらしい。30年経てば震災のことを覚えている人たち(やや文学的に言えば「語り部」になれる人たち)が激減してしまい、したがって震災を語れなくなるということだ。今年は阪神・淡路大震災から31年目。当時のことを覚えているはずのこのぼくでさえプレゼンターの方々のお話を聞かせてもらっているといかに自分が忘れっぽいか痛感させられる。その意味で当時の資料を読み返しながら、このぼくにとっても重要な当時(1995年)のことを考え直すのもいいのかなと思った。あの年、ぼくはちょうど20歳。これから自分の人生がどう転ぶかまったく見えなかった。発達障害者であることも自覚できていなかったし、そういうことを言い出せば自分がこの世にいること自体しょうもない冗談のような気さえしていた。ひと口で言うとまだまだおしりが青かったのだと思う。
そのZOOMが終わって後、身体を温めるためにホットのジョージアコーヒーをいただく。そして英会話のZOOMミーティング(日本人中心)に参加する。参加された方々からぼくの背景のブルース・リーについて話がおよび、そして「でも、あなたはよく考える人なのに『考えるな、感じろ』っていうのは矛盾しているんじゃありませんか」と質問をいただく。それについて「いや、英語を話す時なんかにいちいち考えるんじゃなくて『感じるまま』に即座に言葉が出てくるような人間になりたくて……」とあれこれ話し込んだりして、それでなごやかに時間が過ぎる。なんだかこうやって振り返ってみると猪木の言葉にはげまされたりスティングを聴いたり、自分がほんとうに男臭い性格の持ち主であることにおどろかされる。男臭いだけだったらまだいいんだけど、加齢臭も漂ってるんだろうなと思うとやるせなくなる。でも、これにしたって「世の中とはえてしてそういうものだ」と考えるしかない。
