単純な生活

Life goes on brah!

20260120

昨日は日記を書いて後、ある英会話のZOOMミーティングに顔を出した。メンバーは日本人同士だったのだけど、こちらのZOOMではありがちな「お互いの英語の値踏み」なんてこともなく自由闊達に英語を話させてもらえて、伸び伸びと過ごすことができた。それぞれのメンバーが自己紹介や近況を話して、ぼくも自分の所属する会社や趣味についてなどを話せるかぎり英語で話す。それから、どのように英語学習をたしなんでいるかも話題になってそこからディベートが学習に有効であるという話になった。じっさいにディベートのグループで学ばれた方もおられて、ぼくなんかは1回ディベートに挑戦して「向いてないな」とさじを投げてしまった口なので威張れたものではない。自分の思いと反対のことを強硬に(しかし、たしかな論理にもとづいて)言うという単純なことがぼくはできない。ゲームと割り切ることもできない。これもまた発達障害のせいか。

その後はあっさり眠り、そして今朝は5時頃目覚めてあたふたしているとまた眠くなったので二度寝してしまい7時に目覚め、それからはいつもどおり。シャワーを浴びて洗濯機を回し、その後7時50分からの英会話のZOOMミーティングに参加する。こんかいはぼくは、なんとなくZOOMの背景画像に関谷英里子『同時通訳者の頭の中』を撮った写真を選んでそして臨んだのだけれどほかの方々が関心を持たれて、それでぼくもまだ半分しか読めていない身ながらこの本の魅力を紹介することでアイスブレイクの時間を過ごした。関谷がまず、洋書や英語の雑誌が届いたらだいじなこととして「封を切る」というかんたんなことを薦めていることがぼくは印象深いと思ったので(笑われるかもしれないけれど、ぼくだって買ったまま「いつか開こう」と思って積読してしまっている本のことを思えば笑えない)、それについて話した。

その後今日の話題に入る。子どもたちにとって「退屈(な時間)」というものが工夫次第でどう生産的なものになりうるかというのが今日のテーマで、ほかの方々がそれぞれの退屈な時間の過ごし方を話す。そのうち、1人の方が英語教師の方で「なかなか退屈していられる時間がない。それくらいいそがしい」という話からさいきんの英語教育について話題がおよぶ。その方によれば、いまの英語の時間はぼくのようなロートルが過ごした英語の時間(みっちり「机上」で文法を学び単語を暗記していく、といった時間)とはまったく違うのだそうだ。スピーキング(話すこと)に比重が置かれ、したがって文法や語彙の学習が手薄になってしまっているのだとか。ぼくは子どもがいないので、したがってその話を聞いてもなかなかリアリティが湧かない。ただ、基礎となる文法の学習がおぼついていないとなかなかスピーキングといってもハードルが高いのではないか、と危惧する。こうした話題について、また気が向いたら取り上げたい。

その後朝食を摂り、午前10時から仕事をはじめる。今日はいったいどうしてなのか自分でもわからなかったけれど、伝説の格闘家ブルース・リーのことを考えてしまった。ぼくが持っているカンフーの知識なんてほんとうに乏しいのにおかしな話だが、ただ彼の「考えるな、感じるんだ」という有名な教えのことが頭をよぎり、そのせいで「自分が感じていることっていったいなんなんだろう」とあれこれしつこく考え込んでしまったことがそうした脈絡ない発想を呼んだのかもしれなかった。それで、昼休みにぼくが使っているAIであるGeminiにプロンプトとしてブルース・リーのことを打ち込んだ。すぐになめらかに答えが返ってくる。そして、ほかに話し相手もいなかったのでそのGeminiと一問一答式の会話をしたりした。

ブルース・リーの言いたかったことをGeminiはひらたい言葉で紹介してくれた。「水であれ(Be water)」という言葉の真意など。それで昼休みから先の午後の仕事はそのGeminiの言葉にしたがって、ゆったりと丹田のあたりになにかを溜めることを想像して呼吸をととのえて仕事をしてみることにした。リーの言葉でぼくが好きなのは「私は、1万種類の蹴りを1回ずつ練習した者を恐れない。だが、1つの蹴りを1万回練習した者を恐れる」というものだ。これは単純に粗略するなら「凡事徹底」ということになろうか。ただ、頭ではそのだいじさをわかっていてもなかなか実生活で実行するところまで至れていないのがぼくの悲しさで、だからこそ「凡事」の1つとして英語メモを書いたり英会話のZOOMミーティングに参加したりしているのだった。ただ、Geminiとのその対話であらためてこうした活動が「惰性」になっていないか見直してみて、あらたな味付けをくわえることを恐れてはいけないかもしれないなとも考えたりした。

5時に仕事が終わり、その後は7時の英会話教室まで時間が空いたので読みかけていた関谷英里子『同時通訳者の頭の中』を読み終える。自分の生活に取り入れられるほどまでにはこの本のアドバイスを読み込めていないので、これからみっちり読み込んでじっさいにいろいろ自分の流儀で試していく作業が必要となるだろうと思った。その後は、今年こそなんとか読もうと思っていたアンソニー・ドーアの『すべての見えない光』の原書を読みはじめる(が、実にむずかしい)。その後、7時より英会話教室がはじまる。こんかいは全部で10人くらいの生徒数で初顔合わせの人もおられて、その方もふくめてさまざまなメンバーと英語のコンテンツ(映画やYouTubeなど)の話をしたり、英語のゲームに興じたりして楽しいひと時を過ごす。

今朝の話が頭にあったからか、いまの中学生・高校生の子たちはどんな英語を話すんだろうかと思ったもののスラングもなくきちんとした、実に聞きやすくわかりやすい英語を話されるのでおもしろいなと思った。ぼくが高校生の頃は英語なんてまず話せなかった。いや、時代は変わるものだ。終わって後25日の国際交流協会のイベントの話をしたりして、その後ぼくはこちらに返ってきてひと息くつろいで、そしてこの日記を書いた。