いつもこの日記は夜の9時頃に書くようにしているのだけれど、昨日もそんな感じでこの執筆作業を済ませてからある友だちが毎週日曜日の夜に主宰している英会話のZOOMミーティングに顔を出した。そして、英語のコンテンツを鑑賞したり英会話や英語を使ったゲームに興じたりして楽しい時間を過ごした後、ぼくが勝手に英会話仲間と思っているある女性の3分間スピーチを楽しませてもらう。その方の英語は実に聴き取りやすく、内容もその方の歩まれてきた人生の「深み」を感じさせるもので(若輩者のぼくがこんなことを言うのもおこがましいが)、すこぶる印象深いものだった。こうして「知らなかった人生の実相」がわかるから英会話は楽しい。座学で独りぼっちで学んでいては見えてこない景色があった……とは言いすぎだろうか。
それでそのミーティングが終わった後、明日も休みということでかんぜんに油断していてX(Twitter)を開いてしまった。そこで気になる意見を見かけて、それは日本人の英語教育や英語観にかんするものだったのでぼくも自論をポストして異論を投げかける。ただ、こうした場合言うまでもなくぼくはプロフェッショナルの教育者でもなんでもないので、しろうとの見解を垂れ流してしまっているとも受け取られるだろう。なるべく自論にかんしては反論にも開かれた、むずかしく言えば「応答責任」をまっとうした態度をつらぬきたいと思っているのだけどさてどうだろうか。おかげで、床に就くのが12時になってしまった。
そして起きると午前5時で、そのまま今日は起きることにして前に書いた今月29日にひかえている友だちとのZOOMミーティングの発表の草稿を書く。タイトルは「English Learner In Shiso」でそれについては変更はない。B・B・キングやエリック・クラプトンの奏でるブルースを聴きながらすこしずつ、たとえば昨日のラフカディオ・ハーンのテキストの輪読会であじわった苦い経験についてなどを書いていく。そうしていると7時になり、ここからはもちろんいつもと一緒。まずシャワーを浴びて洗濯機を回し、そして7時50分からの英会話のZOOMミーティングに参加する。今日の話題は履歴書の趣味欄に「ゲーム」と書くことの是非だった。
これはいっけんするとやりやすい話題のように見えて、でもいざ話してみると難題であることに気づく。ぼくの場合はいまの会社に(なぜか)30年ほど前に入社して以来、そこから「転職」したこともまったくなく、したがって履歴書をあらたに書いたことなんてほんとうに数えるほどだったからだ(数年前、神戸の機関にジョブコーチを申し込む際に書いただろうか。それも思い出せない)。したがって転職にまつわるさまざまな事情・現実を知らない。だから、いまの感覚の持ち主がかりに「趣味はゲーム」と書いたとしてもそれを嗤ったり嘆いたりすることはできない。ぼくだって大学生の頃に「趣味は読書」と書いて雇い主の失笑を買ったっけなあ、と思い出すのみだ(ところで、こんかいブレイクアウトルームでご一緒させていただいた方々は実に「あいづち」のリズムがたくみで、見習おうと思った)。
その後は朝食を摂り、そしてバイクを飛ばしてまず総合病院に行く。毎月1度の定期的な医師との面談で、もっぱらぼくの発達障害とそこから二次障害として起こる不眠や鬱状態あるいは勤務態度が問題となる。今日はそんなに困りごとを吐露したわけではなくすんなり終わった。その後薬をもらう。待ち時間、ぼくはこんかい関谷英里子『同時通訳者の頭の中』という刺激的な書を読んでいた。かっちりした「ビジネスパーソン」向けの本なのでぼくなんかは「お呼びでない」かなとも思うが、それでも(半ばまで読んだけれど)こちらのやる気に火をつけて前向き(ポジティブ)にさせてくれる。繰り返し読み込みたいと思った。
その後、バイクを点検に出しそして徒歩でグループホームに戻って昼食を摂った後静かに眠る。2時間ほど経ってふたたびバイクを取りに行き、そして午後はまるっと空いていたのでさっき書いた関谷英里子の本か別の著者の本か、いずれにせよ義務感から解放された読書タイムに「まったり」ふけろうではないかと思いイオンに行く。そして、本を繙くもついついスマートフォンをいじってしまいそこで堀江貴文が英語にかんして興味深い意見を語っているのを読む。「ビジネスの意思疎通ができりゃ私達ビジネスマンは十分な訳」「とにかく下手でも喋ることが大事」という、いつもながらの剛速球のポストだ。
ぼくはこの意見を支持したい。目指す英語のレベルにかんしては人それぞれだと思うが(基本的な「意思疎通」だけを目指すのか、それとも「ネイティブのように流暢に喋れるようになる」ことを目指すかは「その人に見合った道」があっていいと思う)、どんな道を目指すにしろいにしえの格言が教えるように「千里の道も一歩から」で、目標に向かって歩くにはさいしょの一歩を踏み出すしかない。ぼくの英語は実にお寒いかぎりの次元だが、それでも毎朝の英会話のZOOMミーティングや英会話教室などで「一歩」ずつ自分が目指す目標に近づけさせてもらっている手ごたえを感じる。
もちろん、考え方によっては「下手な英語でもいい」と居直ることは「相手に甘えている」とも解釈できる。だからどこかで「上手くなる」というか「自分の話したいことをより効果的に・より流暢に」話す努力は大事なのだとも思う。堀江さんのポストからぼくはそんな「甘え」は感じない。ぼくはどうだろうか。人から言われるのは「とっても『外交官的な』『フォーマルな』英語だね」「肩肘張った英語だね(そこそこ上手だけど)」ということで、でもこれにかんしても「いや、発達障害者だから基本はフォーマルな言葉でないと話せないんですよ」と返すしかないのだった。ぼくも「Bastard!」とか「You, Asshole!」とか使ったほうがいいんだろうか(というのはもちろん冗談です)。
