今朝、6時20分頃目が覚める。昨日の夜は11時に床に就いたのでまずまず眠れた計算になる。7時までぼんやり過ごした後、7時からいつものルーティンに入る。まずシャワーを浴びて、その後に昨日着ていた服を洗濯機に入れて回し洗濯をはじめる。それから7時50分の英会話のZOOMミーティングに参加する。今日はこのルーティンの段取りがうまくいったようで、それだけでうれしい気分になる。去年の暮に新しいパソコンに変えてから、ZOOMもDiscordもとくに異常もなく使えているようでそれもまたうれしい。ブレイクアウトルームでご一緒させていただいた方々とさっそく英語であれこれ会話をはじめる。
アイスブレイクとしてまず参加されたある方の英語の3分間スピーチの話が話題となる。ぼくもこの3分間スピーチを2回やって、どちらもなかなかキビしい出来だったと思ったのだけどでもほかの方々からは好評だったので自分の英語のスピーキングに役立っているところがあるのかもしれない。コツとしてぼくが思うのは、とにかくあがってしまうのはしょうがないので可能な限りゆっくり・はっきり話すことではないかと思う(いただいたアドバイスとして「2分間で済む内容でじゅうぶんです。それをゆっくり話してください」というものがあったことを思い出した)。そんなことを話した後、本題に入る。いまの子どもたちが「ネット友だち」を持っている率が高いという調査からぼくたちの子どもの頃の話やいまのネット社会について話がおよぶ。
話を聞かせてもらいながら、そう言えば「友だち」の定義ってなんだろうとあれこれ考える。ぼくがいま親しくさせてもらっている人たちをあれこれ考えてみると、ネットだけでやり取りしてじっさいには会ったこともない人たちというのもきわめて多い。その意味では良かれ悪しかれぼくは「ネット友だち」が多いほうかもしれない。でも、過去を振り返るとぼくはTwitterをやっていた頃(まだ「X」になる前だ)フォロー数・フォロワー数が1000を超えるアカウントを持っていて、もちろん全員を覚えきることなんてできなかったものの「ぼくは『ダチ』が多い」と錯覚したりもした。いまはそんなに「ダチ」を増やして目立つ存在になってどうするという心理が先に立つようになった。「トシ」を取ったということだろう。
過去にぼくが子どもだった頃、まだインターネットがぼくの生活に波及していなかった時期は主に缶蹴りやかくれんぼ、鬼ごっこに興じたりあるいはソフトボールをしたりしていたことを思い出す。それからしばらく経って任天堂がファミリーコンピュータを売り出し、それがスーパーファミコンになって誰かの家で『スーパーマリオブラザーズ』を遊ぶなんてこともしたりしたっけ。そうした肌で触れ合えるリアルな友だち関係を知っているからつい「『ネット友だち』はかりそめの存在」と言いたくなってしまうのだけど、でも「なら『かりそめの存在』でいいんじゃないか」「友だちなんてしょせん『うわべだけの付き合い』でいいんじゃないか」と言われたら……そうなったらむずかしいなあ、とも考えたりした。
その後10時から、1時間の休憩をはさんで5時まで仕事をする。仕事をしながらふと(いつもながらコソコソとメモを書きながら仕事をしたのだけど)「そう言えば、自分はどんな子どもだったかなあ」と思いを馳せたりした。たぶんに今朝のZOOMミーティングの影響かもしれない(意識していたわけではまったくもってなかったのだけれど)。とりわけ10代の頃、佐野元春やフリッパーズ・ギターの音楽に首ったけになって同時に背伸びして村上春樹やポール・オースターなんかを読んでいた頃、クラスメイトたち(とくに女の子たち)に気持ち悪いとか嫌いだとか言われたりしたっけなあ、と思い出した。いや、いつもの「昔話」になるのだけど。
そうして嫌われ者・鼻つまみ者だった時期、なにかの本で読みかじったか「いっそのこと『嫌われ者』をまっとうしよう」とか「頭がおかしいと思わせておいて友だちを作ろう」とか思って(なんだか傲慢というか、はなはだしく人を見下した発想だなと赤面してしまうが)、人に「ガツン」と無遠慮にものを言ったりわざととぼけた発言をしたりしたことを思い出す。ぼくは関西圏在住なのでそうして「天然キャラ」に徹することでなんとかいじめをまぬがれて生き延びようとしたのだった。そんなことを思い出した。いや、これを「イタい」というのはかんたんな話だけど、子どもの頃から(たぶんにこの発達障害のこともあって)ボロクソに言われてつらい思いをしたぼくにとって、ほかに生き延びる道はなかったのだ。
さっき書いたTwitterで「ダチ」を増やそうとやっきになった時期も、その意味では「なんとか『人気者』になろう」と無理をしていたということかもしれない。そしてこれまたワンパターンな話になるが、40の歳にいまの自助グループの友だちと出会ってそしてその友だちと料理の作り方やハイキング、プレゼンテーションなんかを楽しむようになって「ミエ」を張りたい気持ちというのもなくなってきたように思う。それもまた「トシ」という次元で片付くだろうか。いまは「ナイスな友だちが少数いればいいや」と思うのみだが、そんなぼくのところにDiscordやFacebookなどで友だちになりたいと信頼できる方々が寄ってこられるようになり、世の中ふしぎなものだなあと思ってしまったりもしている。いや、たまにたちの悪い人たち(scammer)もあらわれたりするけれど。
会社でいまの部署に入るまで、そして入ってからもこの発達障害のせいかなんなのかぼくのことを嫌う人(なにをどうしようが「色眼鏡」「フィルター」でしか見ないような人)も居たりしてたいへんだった。そういう人は嫌わせておくだけだが、たまに「あいつらを見返せたらいいなあ」と考えたりすることもある。心がそれだけ貧素なのか育ちが悪いのか。なかなかこの邪心を消すのはむずかしいものだ。「聖者になんてなれないよ だけど生きてるほうがいい」と歌ったのはブルーハーツだっただろうか?
