単純な生活

Life goes on brah!

20260114

ぼくのグループホームの消灯時間は目安として11時頃と決まっているのだけど、昨日の夜は12時頃床に就いてしまった。今日は休みなので、したがって寝過ごしてもゆっくりできるだろうといういつもながらの「皮算用」ゆえだったのだけど、今日は起きてみると午前6時。そのまま寝過ごすと7時からおこなう「シャワーと洗濯と英会話のZOOM」のルーティンの3点セットを守れないので、それもなんだかすっきりしないように思えてけっきょく6時から7時までぼんやりした精神状態で過ごす。起き抜けなのでいきなりなにかYouTubeのビデオかSpotifyポッドキャストか楽しもうという気にもなれなかったのだった。たしかに、もう「トシ」みたいだ……。

なにはともあれ7時になり、そこからはいくぶんかホッとしてワンパターンなルーティンを守る。シャワーを浴びて洗濯機を回し、そして7時50分より英会話のZOOMミーティング。まずアイスブレイクとして近況を訊かれたので「手がカサカサします。ハンドクリームを買うつもりです」と英語で言おうとしてさっそく手こずってしまった。「カサカサ」はぼくの英語力では「dry」でごまかせるにせよ、「尿素入り」「ハンドクリーム」で「指にうるおい」を「あたえて」「ひび割れをふせぐ」。これを英語で言うとなると「『ハンドクリーム』って英語でなんて言えばいいんだろう。そのまま言っても通じるのかな」からはじまり「『うるおい』は"wet"じゃないな。"wet"だと『びしょびしょ』な感じになっちゃうし」とかなんとか困難が多い。こういう時、「日常会話」がいちばんむずかしいと感じてしまう。

そんなこんなでブレイクアウトルームにて今日の話題(ぼくの苦手な旅行関係の話題だった)を終え、ホストの方からルームにて話したことのサマライズ(要約)をするよう指名される。さっき書いたような次元の英語力なりになんとかことを終え、そして今日も無事にZOOMミーティングを終える。その後は朝食を摂って、いろいろやることはあったもののまずはこの手のカサカサをなんとかしようと近くのイオンに行ってそこの薬局のコーナーでハンドクリームを買う。さっそく手に塗ってみて(それにしても「尿素」って英語でなんていうんだろう?)、いくぶんかうるおいを取り戻した手で英語メモなりマインドマップなりを作成しようとあせるもやる気が出ない。そこをなんとかごまかし、「初めチョロチョロ中パッパ」の心意気でささやかに英語メモを書く。

その後、WhatsAppやLINEなどでもらっていたメッセージにえいやっと返信を書いてしまいそれも終わると充実感をおぼえる。そして11時頃にイオンを出ていったん図書館に寄り、そこでさいきん文庫化されたスーザン・ソンタグ『隠喩としての病い エイズとその隠喩』を借りる。あと、こないだどこかで読んだ東浩紀のエッセイの影響でプラトンをかじってみたくなり『テアイテトス』を借りる。こう書いていて、なんだか近頃はめっきり「小説」を読めなくなったことに気付かされる。10代の頃は小説(フィクション・虚構)に惹かれて村上春樹を中心に読みふけったものだけど、これもまた「トシ」のせいか。その後、呼ばれたような気がしてぶらりと古本屋に寄ってそこで見かけたリチャード・ドーキンスの文庫本『神のいない世界のあるき方』を買い求めてしまった。

そしてローソンでお弁当を買ってそれをいただいた後、坂本龍一のピアノ演奏をSpotifyで聴きつつうとうとしてそのまま午睡に入る。起きるとだいたい2時半頃だったので、毎週水曜日の夜は断酒会例会がありそこに持っていく月の会費を受け取ろうとグループホーム本家に行く。今日は副管理者の方が出勤されていたので、自分の金銭の使い途をどうしてもイメージできなくて困っているという話をする。また、来月のおおまかなスケジュール(出勤予定やぼくが参加するイベント、通院日など)をお伝えしたりもする。いまのところこれといってどデカい予定変更はない。日々平穏無事に過ごせているのはたしかで、それもこれもぼくがシラフで過ごせる環境を作ってくださっている方々のおかげだ。ありがたく思う(酒に呑まれていた時期の生活を書くと炎上必至なので書かないけれど、ほんとうにシャレにならない暮らしだった)。

その後、断酒会例会までの時間を先ほど借りたスーザン・ソンタグの文庫本を読んで過ごす。まだ序盤の50ページ弱しか読めていないけど、ソンタグはもっぱらさまざまな文学作品を参照しつつ癌や結核といった「病い」がどのように人々によってあつかわれてきたか分析する。「病い」は時に「ロマンティック」に美化され、「病身ゆえに特別な存在だ」といったかたちで取り上げられてきた(つまり、「病気なのはその人が繊細だから」とか逆に「忌まわしいから」とか、どっちにしても「病気」が現実ばなれしたものになる)。これを古い時代のエピソードと処理したくなる誘惑を感じたりもするが、ならばコロナ禍をくぐり抜けてきた「いま」はどうか。そこまで深読みしたくなってくる。ぼくの知人にも癌と真剣に向き合っている人がいるのでその方のことを思いつつ、ぼくなりに真摯に読む時間を過ごせたと思う。

6時50分より断酒会例会がはじまる。そこでほかの会員の方々の体験談を聞かせてもらいつつ(この地方の季節行事の「とんど焼き」とそれに付随したお酒にまつわる思い出が主だ)、ぼく自身も昨日の国際交流協会がらみのイベントのリハーサルの話を紹介したりぼく自身が酒に呑まれていた頃の話をしたり、体験談を語らせてもらう。入会したばかりの10年前、まだ右も左もわからず「こんな話を聞いて快復できるんだろうか」と半信半疑だった時期を思うといまは「ここなら自分の思いを語れる」と思えるようになって、あたたかい雰囲気を感じられるようになった。ただ、そうして出席することが目的になってしまって「出たら終わり」になっていないだろうかとも考えはじめる。例会出席をとおして自分の人生をもっとおだやかなもの・意義あるものにしていきたい、とも思ったりした。