あいかわらず寒い日が続き、いつもは室内で仕事をするからかそんなに深刻に感じなかった乾燥肌ゆえの「カサカサ感」を指先やてのひらに感じるようになった。去年もそう言えばカサカサしてきて、ついには指先にひび割れができて痛い思いをしたのだった。ハンドクリームを買うべきかもしれない。昨日は遅番で、その疲れを引きずりつつ今朝は5時半頃に目覚める。寒すぎて身体が冷えたのか? そのまま寝入ってしまうべきかどうか迷ったが、たった1時間の追加の睡眠というのもおかしな話のような気がして「まあ、こういうこともある」と思いそのまま起きていることにした。それでTEDトークやBBCのポッドキャストなどに触れるも、長続きせずダラダラとDiscordでチャットにふけって朝の貴重な時間をつぶす。
そして7時になってからはほぼいつもどおり。まずは熱いシャワーをさらっと浴びて、その後洗濯機を回して7時50分からの英会話のZOOMミーティングに参加する。もちろんシャワーも洗濯もZOOMミーティングも「めんどくさい」「1日ぐらいサボりたい」と思う心理が湧くこともある。村上春樹のエッセイを読んでいたらプロのマラソンランナーにしても小説家にしてもそうしたサボりたい心理と葛藤することがあると書いてあったが、それとくらべると「月とスッポン」ではあれぼくだってもちろん「しんどい」とか「こんなことやってなんの得になるんだろう(英語力がグングン伸びているわけでもなさそうなのに)」と考えたりする。だが、発達障害ゆえの几帳面な性格からこの3点セットのルーティンをこなしている。
今朝のお題はGoogleマップでよく検索される土地について(京都駅や東京駅など、日本の駅が上位に食い込んでいるのだとか)。ただ、初顔合わせの方がおられたのでその方向けに自己紹介をしたり年頭に立てた抱負について話し合ったりとしているうちに時間が経っていき、かんじんのそのお題については深く掘り下げられなかった。「なぜ英語を学ぶんですか」という質問をもらったので「いや、大学時代にアメリカ文学を勉強して、その後ブランクがあって10年前におしりに火がついて……」といったことを話す。あとは英語を話す機会をどうやって作るかについてでHelloTalkやDuolingoが人気があるようなので、いままで入れたことなかったけどインストールしてみるかと考えたりした(以前に爆発的に日本でブームになったclubhouseはいまでも消していない)。
その後10時から仕事に入る。午前中は仕事がいそがしくそのせいで綿密なメモは書けなかったのだけど、なんとなくぼんやり考えていたのはチャック・パラニュークの小説『ファイト・クラブ』のことだった。この作品は大好きで、だから映画版(デヴィッド・フィンチャー監督、ブラッド・ピットとエドワード・ノートン主演)のDVDも持っていたりする。いったいなんでこんな古くさい作品について考えたのかは謎だけど、強いて言えば國分功一郎『暇と退屈の倫理学』で仔細に論じられていたのを読んだことが頭の片隅に引っかかっていたのかもしれない。ダスト・ブラザーズによるサウンドトラックも好きでSpotifyでよく聴いたりする。自分にカツを入れたい時、ぼくはこの作品に触れることにしている。
『ファイト・クラブ』は知られるように人生に不満を持つ主人公がカリスマ性を誇る謎の男タイラー・ダーデンと出会い、彼と殴り合いの「ファイト」をすることで生きる実感を取り戻しさらに危険な道へと分け入っていく顛末を書いた作品だ。反社会的で危険な(それゆえに1度観たら忘れられない)空気をプンプン漂わせるこの作品とはじめて触れたのが世紀末の頃だったか。爾来、そんなに熱心に愛読してきたわけでもないのだけど折に触れて自分にカツを入れて読み返してきた。10代の頃に読んでいたら「カブれて」人生を踏みはずしていたかもしれない。その意味では幸運だったのか、それとも不幸なのか(ちなみにぼくは10代の頃は村上春樹や島田雅彦を熱心に読んでいた。あとは村上龍も忘れられない)。
ひと口で言えば「殴り合いという『非日常』を経由して生きる実感をつかみ、その実感によって日常が輝きはじめる」ということになるだろうか。なるほどそうした心理を批判することはたやすい。ぼく自身、この作品を愛しながらもじっさいには人を殴ることなんて(頼まれても)できない。あるいは、そうした反社会的行動を安直に許すことが社会の崩壊の序曲となりうることを意味するとも言える。ただ、ならばこの作品をただの愚昧なフィクション(妄想?)の産物として切り捨てるべきか。そうとも思えない。そうした「非日常」「痛み」というギリギリの境地を経由しないと生きる実感を味わえない社会の問題を「同時に」問う作業をしなければならないかな、とも思うのだ。なんだか今日もまたむずかしい話になったけれど。
昼休み、そんなことをメモパッドに英語で書きつけていく。その後昨日読みかけていた『森毅ベスト・エッセイ』の続きをすこし読む。いま手元にその森の本がないので正確に引用できないけれど、囲碁の世界が「石を1つ置くだけで世界が変容する世界」といった感じで書かれていたのを読みその世界観に感服する。もちろん囲碁の碁盤をそのままリアルワールドに見立てるのは暴論もいいところだけど、でもメカニズムとしてたしかにそうしたことは起こりうるなと思った。たったひと言言葉を放つと世界がそれによってじわじわ変容していく……そんなことを思うとこの日記にしても英会話のZOOMミーティングにしても、ささやかなトライ・アンド・エラーの中に大きな変化を呼び起こす可能性がかくれているとも言えそうだ。
仕事が終わって後、6時半から市役所にて来る日曜日に予定されているZOOMミーティング(市役所にて、この市と姉妹都市の提携をむすんでいるアメリカの市とワイワイ会合をおこなうのだ)について打ち合わせをする。どんなイベントなのかはその日が来てのおたのしみということで……その後は帰宅して夕飯を摂り、ペイヴメントやベックやピクシーズを聴きながらこの日記を書いた。
