単純な生活

Life goes on brah!

20260110

昨日は遅番で9時まで仕事をしたので、その疲れが残っていたからか今日は5時半に目覚めた。眠り足りないかと心配したものの、それでも11時に床に就いたので6時間半は眠ったことになるかなと思い、7時までの時間をテキトーに過ごす(またYouTubeを観たり、AIにたわけたプロンプトを入れたりしたり)。そして7時になるといつものようにシャワーを浴びて洗濯機を回し、その後7時50分からの英会話のZOOMミーティングに参加する。なんだか判で押したような段取りをこなしている。べつだん風呂好きでもなければ向学心おうせいというわけでもないのだけど、ただその昔とことん酒におぼれて無為に時間を過ごして、夏場もろくすっぽ風呂に入らず汗臭い身体を持て余して仕事をしていた時のくやしさが心のどこかに眠っているのかもしれない。

今日の話題はアメリカ人が嫌う日本の食べ物について。意外なことにけっこうな人たちが「スシ」を嫌うこと、また豆腐やレバーも好みが分かれることを学ぶ。本題に入るまでのアイスブレイクの時間は今日の寒さや関東地方の地震についてなどを話し、その後本題に入りさまざまな日本食おせち料理や雑煮、おくらや蛸など)の英語表記やヴィーガン菜食主義者)の厳密なこだわりなどを英語で話す。なぜこんなに細かく書いているかというと、このミーティングは毎回十数に分かれたブレイクアウトルームのメンバーのうちの誰かが会話した内容を要約する機会がめぐってくることがある(時間の都合でカットされることもある)。そのこともあってぼくはいつも走り書きのメモを書きながら参加しているのだった。そしてそのメモを見ながらこの日記を書いている。

その後、これまたいつもどおり朝食を摂りそして9時頃イオンに行く。今日はとくに予定はない。昨日の疲れはまだ残っていて、だからイオンのフードコートに座って買い求めたコーヒーを飲んでもなんら考えがまとまらない。今朝は寒かったにせよ晴れていたので、そんな朝に似合う音楽ということでEBTGやスタイル・カウンシルを聴きながらメモを書こうとあれこれペンを動かす。いや、休みなら休めよという話で昨日の面談でもジョブコーチからぼくのきっちり詰まったスケジュールを驚かれたのだけど、でも発達障害の悲しさで「なにもしない(ゴロ寝)」というのができないのだった。控えている英語研究会の輪読会や国際交流協会の催し、そして明日に控えた英語の3分間スピーチのことを考えたりして時間をつぶす。

その後、今日は國分功一郎の『哲学の先生と人生の話をしよう』を読む。ぼくが持っているのは2013年初版の単行本で、刊行された当初に読んだ記憶があってそれ以来の2度目の読書になる。さまざまな人生相談(読者の悩みごと)に時にユーモラスに時に真摯に答えていく國分の言葉を虚心坦懐に追いかけていくと、いまのぼくにも時を超えて突き刺さる言葉に出会い居住まいを正す思いになる。たとえばモテない人が「心の穴」を埋めようとして恋愛を求めてあがく心理にたいして、二村ヒトシを引いて「おりあい」をつけることを説くあたり(p.40)。ぼくは今年51歳になるが恋をしたこともなく「心の穴」がいまだうずく暮らしをしているが、そんな「心の穴」が魅力を生んでいると語られると「そうなのかなあ」と思ってしまう。これはもっと深堀りして考えていきたい。國分の言葉が「絶対的な正解」ではなく、ぼくが自分にとってあてはまる「暫定的な(とりあえずの)対策」を考えないといけないようだ。

読みながら「そういえば、自分はこれまで『誰に』『どのように』相談してきたかなあ」とも思った。この本で國分が語っているように、問題を独りぼっちで解決しようとするとたいていロクなことにならない。すくなくともぼくは過去に、まだジョブコーチともグループホームともつながっておらずまた両親にも頼るに頼れなかった環境で「これを乗り越えて強くなるのだ」「耐えよう」「甘えてはいけない」と思ってそうとうに無理をして、その結果酒におぼれで意識を失うまで呑んだくれる日々を過ごしたのだった。いまはそんな考え方こそ端的に非現実的だと(山を動かすのと同じくらい「ありえない」話だと)思っている。むしろメンターやグループホームの管理者の方々などに相談することで不可視だった自分の悩みや本心が見えてくる実感を感じられるようになり、悩みを告白する習慣が定着してきた。

本書を読み直すことで、ぼくはあらためて「自分に嘘をつく」ことのこわさを思い知ったように思う。ぼくの実体験から言って「自分への嘘」というのは時に「無自覚」あるいは「盲信(無理をして嘘をついている)」というケースもあるんだと思う。たとえば、過去ぼくはコロナウイルスのことを「インフルエンザより安全」「たちの悪い風邪と思えばいい」という流言に乗せられていた時期があった。ただ海外の友だちとWhatsAppでやり取りして情報を学んだことで「違和感(自分についている嘘のきざし)」が見えてきて、それでしっくりくる認識を取り戻し落ち着いたのだった。こういうことはけっこうあることで、ほかには酒におぼれていた頃「酒は百薬の長」「もっと呑んでいる人だって山ほどいる」という「嘘」を信じようとした。そういう「違和感」に気づく「勘」は、ほかでもないこうした國分功一郎などの「哲学」の本が鍛えてくれるのかなと思った。

昼ご飯を食べて昼寝した後、午後になり近所の喫茶店に行ってこんどは東浩紀『訂正する力』をすこし読む。その後、夕方になりおしりに火がついてきたので明日に控えた3分間スピーチの原稿の清書と朗読の練習に取り組む。どうしても棒読みになったり早口になったり、「リズム」も「間」もあったものではないスピーチになるので我ながらあきれる。もっとふだんからシャドウイングの練習が必要だ。そして夕食を摂った後、『訂正する力』の続きをすこし読んだ後YouTubeで英語のビデオをと思ったけど、気がつくと桂枝雀伝説を語ったビデオを観ていた。落語を勉強するのも英会話に必要なのだ……というのはもちろんしらじらしい嘘でほんとうはなんとなくサジェストされる動画を深堀りしていたらそうなっていたのだった。枝雀師匠にならってぼくも明日からまじめに英語に打ち込みたい。