早く目が覚めるくせがついてしまったのか、今朝も4時頃目覚める。頓服の眠剤が余っていたのでそれを飲んで対処して7時まで寝直す。これについてはまた医師と面談する際に話さねばならないとあらためて思う。7時に起きてからはいつもどおりシャワーを浴びて洗濯機を回し、その後7時50分からの英会話のZOOMミーティングに参加した。今日の話題は冷蔵庫のかしこい利用方法についてだった。まず、参加された方々がアイスブレイクとして近況を語る。このZOOMミーティングがホストの方の意向でずっと(クリスマスや年末年始も)続けられてきたことについて、いま思うとぶしつけだったと思うのだけど「Why are you so passionate to learn English? (どうしてそんなに英語学習に情熱を燃やされるのですか)」と訊いてしまった。ホストの方は嫌な顔をせずおだやかに答えてくださった。
そして、ぼく自身にたいしてもこの「どうしてそんなに英語学習に情熱を燃やすのか」という質問を投げかけてみる。あれこれ考えてみるけれど、でもけっきょくはこれにかんしてはいつも書いているように、40で英語をやり直しはじめた頃ぐらいに心のどこかで「もうあとがないな」と悟ったからかもしれない。20代・30代の頃、ぼくはもう未来につながるあらゆる夢も希望もかんぜんに見失ってしまって酒におぼれるだけの生活を続けていた。読書なんてろくにせず、映画も音楽もろくに鑑賞せずひたすら酒を流し込み排泄するというそんな日々だ。このまま酒で死にたい……本気でそう思った。でも40の歳になって「このまま死んだらくやしい」と思って酒を断つことにしたのだった。その後いろいろあって、メンターの方から英語を褒められたことを機に決意を固めた。そして……気がつくと日々英文を読んだり英語でチャットしたりする暮らしをしている。
ZOOMミーティングが終わった後、朝食を摂りそして遅番の日の常としてグループホーム本家に向かう。そこで食堂を借りてしばし時間を過ごす。管理者の方々に近々行われる国際交流協会主催のイベントの話をして、そこでぼくがすこし英語で朗読をすることも話した。その話が終わると食堂にてBBCが提供しているポッドキャスト「6 Minutes English」を聴く(毎週金曜日に新しいコンテンツが提供される)。ぼくの英語力はまだまだおぼつかなく、こんかいのポッドキャストもSNS(ソーシャルメディア)の盛衰の話だということはなんとなくわかったものの、それ以上飲み込めていない。単語を逐一聞くことに集中してぜんたいを見失っているようで、これではまだまだだと反省する。
それが一段落してから、図書館で借りていた先崎彰容『鏡の中のアメリカ』を読みはじめる。まだ序盤しか読めていないけれど、著者の先崎はぼくとおなじ年に生まれた方でだからぼくとほぼおなじような状況を見ながら暮らしてこられたのだなと得心いくところがあった。「九〇年代は国境であれ国家であれ、一切は解体されるべきもの、溶解し、あいまいにすること、流動性が『思想』だと見なされていた」(p.9)というところ、当時なんとかそういう「思想」の本流であったポストコロニアリズムをかじろうとしたぼくにとっては耳が痛い。いまはぼくはそういう過剰な「流動性」を仕切る存在としての国家や共同体を重んじたいと思う。
そして、先崎が日本語で読書や執筆することについて、日本語の特性によって「自分と周囲との境界線があいまいになり、自己が溶解する、あるいは外側にあるはずの世界が容易に侵入してくる感覚に襲われるのだ」(p.17)と書いているところも興味深いと思った。つまりそれは裏返せば外国語の場合なら言葉のはらむゴツゴツした異物性を感じられて、「壁を感じ」られ「身体感覚」が戻るのだという。ぼくの場合ならどうだろう。ぼくは日本生まれ日本育ちで頭の中のOSを動かす言葉は(おそらく)日本語である。英語はその意味で、ぼくにとってはどこまでも異物だ。だが、同時にぼくの場合英語に慣れすぎているのかこうやって日本語を書く時にいい言葉が見つからなかったりして困ることもある。たぶん言語感覚の違いなのだろう。どちらが間違っている、という話でもなさそうだ。
13歳の頃に英語を学びはじめて、大学生の頃は英文学を学ぶところまで行った。その後ブランクを経て40の歳にまた英語を学びなおさんと舵を切ることにした。そんなに長く英語と付き合ってきても、まだぼくにとっては英語は謎だ。なにせ「I LOVE YOU」さえスマートに語意を汲んで訳せないのだから……そんなことを考えつつ時間を過ごし、その後イオンに向かう。そこで九州に住む友だちとWhatsAppでやり取り。あるネパール人の犯罪行為について、それが排外主義と結びつけられて論じられていることを憂いている内容のメッセージだったのでぼくも気になってしまった。ぼくは排外主義者の考え方が理解できないが、ただそれはぼくの怠慢ないしは不寛容なのかもしれない。そこまで考えてしまう。
イオンに行き、そこで昼ご飯を食べた後に未来屋書店に行く。そこで前々から気になっていた『クライテリオン』1月号を買い求める。ぼくの考え方とはかならずしも相容れない論壇誌だが、学べるところはあるはずだと直感した。そして仕事に入る、今日はジョブコーチ面談の日。おだやかなジョブコーチの方と話し込み(仕事の話にとどまらず、プライベートの話までなるべく包み隠さず明かすことにした)、有意義な時間を過ごした。このジョブコーチの方や前のジョブコーチ(ぼくが「メンター」と呼ぶ人)とどのように過ごしてきたかもいずれ書きたい。5時になり、夕方の休憩時間をもらって会社の休憩室で先述したWhatsAppの友だちのメッセージについて考える。排外主義者もしくは陰謀論者にありがちな、アルゴリズムがもたらす情報だけをリアルと勘違いする陥穽にぼく自身がはまっていないか慎重に考える必要があると思った。そんなこんなで9時まで仕事をして、その後帰宅する。
