思えばいまの段階で読みかけている本がけっこうあるというのに、昨日就寝前に魔が差して「現代思想の冒険者たち」の1冊である飯田隆『ウィトゲンシュタイン』を読みはじめてしまった。いちおう就寝時間として11時には床に就いたのだけれど、今朝は5時頃目が覚めてしまう(脳を過剰に使いすぎたのだろうか)。それで、ベッドから出るとあともどりできなくなってしまいその『ウィトゲンシュタイン』を読み進めたりDiscordで哲学関係の話題の議論を眺めたりしてしまう。それにも飽きるとBBCの「6 Minutes English」というポッドキャストの新しいコンテンツを聴いたりして、なんとなく7時までの時間をつぶす。
7時にいつもどおりシャワーを浴びて洗濯機を回し、その後7時50分から英会話のZOOMミーティングに参加する。今日の話題は年賀状を送る文化が衰退しているのか否かというもので、ご一緒させていただいた方々がぼくにこまかく質問してくださったのでそれで話しやすく、今日もいろいろな学びを得られた。たとえば子午線のことは英語で"meridian"、木版画のことは"woodblock print"だという。ただ、これらもいまは覚えていられるけれどすぐに忘れるのは必至。折に触れて使っていかないといけない。そして、こうした言葉や文化にまつわる知識が抱負な参加者の方々とやり取りさせてもらうにつけ、勉強させていただけてありがたいと思う。
その後朝食のおせち料理を摂り、そしてグループホーム本家に向かう。今日は遅番なのでまた食堂を使わせてもらってそこで先述した『ウィトゲンシュタイン』を読む。飯田隆はウィトゲンシュタインのことを「哲学者向けの哲学者」と語る。ぼくのような素人・大衆向けの哲学者ではないということだ。たしかにそうだとうなずいてしまうが、ただウィトゲンシュタインの書くものを徒手空拳で読んでいると彼の哲学のセンスを学べるような気がして、素人なりに自分が鍛えられているとも感じる。また、関心分野が共通していること(言語・コミュニケーション)も彼に惹かれる一因なのかもしれない。
ウィトゲンシュタインから感じる印象としては、彼自身が独自の問題意識をかかえてそこからごまかさずに、かつ既存の哲学の体系に甘んじずに自分なりの哲学を練り上げたというものだ。そういう人にぼくは弱い。過去、ぼくはどうしても先行する哲学者・批評家たちになじめず彼らからすると亜流・異端であっただろう論客たち(橋本治や山崎浩一など)の仕事に惹かれるようになる。あくまでこれは幼かったぼくの身勝手で乱暴な印象でしかないのだが、当時はぼくはそういう先行する論客たちが現代思想(ポストモダンなど)をそのまま受け継いでいるような気がして、彼ら自身の声が聞こえないように思ったのだ。いや、かくいうぼくも当時哲学の基礎すら学んでいなかったのだからつくづく素人は怖いなと寒気を感じるのだが、でもすこしは利口になったいまもなぜかそういう徒手空拳の論客に導かれてしまう。
この飯田隆の著作を読むことは、はからずも「なぜ哲学なんぞに興味を持つのか」「哲学をとおして自分はどうしたいのか」といった問題を問い詰められているような気もする。飯田によれば哲学することとは自分がなにも知らないことを思い知るという(つまり「無知の知」を重んじる)ことではなく、知っているはずのことを哲学というフレームをとおして再発見するということになる。この言葉はぼくもうなずける。ウィトゲンシュタインやここさいきん読んだ中島義道や三木那由他、そのほかさまざまな哲学者をとおしてぼくはいろんなことを思い返したり見出したりする「眼」ないしは「勘」、あるいは「感覚」を教わった気がする。その意味でこの本もまたこれからもだいじに読んでいこうと思った。
その後先述した「6 Minutes English」を聴き返す。いまのぼくのリスニング能力で聴き取れるのがだいたい7割くらいだが、でももちろん誤解もありうるので気が抜けない。こんかいの内容は議論においてどう熱くならずに「異論」を投げかけるか、また有益でクリエイティブな他者との関係性を築くコツはどんなものかといったもので、ぼくの関心事項とかさなるところありそれゆえに示唆に富んだ内容に唸る。ぼくは実に瞬間湯沸かし器並みに怒りが沸騰・暴発する性格の持ち主なのでその意味で教わるところが多かった。
1時から仕事に入り、今日は職場ですこし冗談を飛ばしてみたところそれが受けた。ぼくにとって職場とは気が抜けない戦場のようなところなのだけれど、非常時に言う冗談はきわめて高い価値があるという警句を思い出したので言ってみたのだった(鵜飼哲のエッセイだったかそれともゴダールのアフォリズムだったか。まったくのうろ覚えなので間違っている可能性はきわめて高い)。あまりつまびらかに書くと職場の人たちに迷惑がかかるので避けるが、ぼくは関西生まれなのに冗談も下手でなかなか人と打ち解けられない。ことにいまの職場はぼくに関心を払う人はめったにおらず、なんだか自分が透明人間になったような気さえする。どうでもいい人……そんな立場からこんかいは道化に徹してみたりした。
そこから、体制に抵抗する(もしくはおちょくる)作品をあれこれ思い出しつつ仕事をする。ぼくの知る限りでは『未来世紀ブラジル』や『1984』、『カッコーの巣の上で』といった作品があてはまると思う。その後休憩時間になり、九州に住む友だちとWhatsAppでやり取り。日本は無神教(もしくは宗教的に節操がない)という意見を裏切るように初詣に参加する人々が多いことについて話し合う。その後、休憩時間にまたメモパッドを広げて英語であれこれ書いたり「6 Minutes English」を聴き返したり。英語で書くのはべつだん英語至上主義に染まりたいわけではなく、また英語がロジカルな言語だと思っているわけでもない(日本語で論理的かつクリエイティブな仕事をしている人ならいっぱいいる)。ただ、ぼくの性格と英語が相性がぴったりなのだと思う。そんなこんなで仕事を終え、雪の中帰宅した。
