今朝は4時ぐらいに目覚め、その後二度寝をすると今度は寝過ごしてしまい起きたのが7時40分だった。なので今日はシャワーはあきらめて洗濯機だけを回し、7時50分からの英会話のZOOMミーティングに参加する。今日の話題は抹茶のシミが落としにくいことについてだったが、参加された方の1人がぼくがZOOMの背景画像に使っていたマインドマップに反応されて、そこから話がはずんだ。その後は年末年始の予定を確認したり、それぞれのお子さんの進路についてなどが主な話題となった。ぼくは子どもがいないのでこうした話題は苦手なのだけれど、でも考え方を変えればそれゆえに勉強になる。
その後、遅番の日の常としてグループホーム本家に行く。そこでしばらく考えごとをする。こんかい、考えごとの中心となったのは自分がいつまでも精神面で歳を取らないことについて。なさけないとか馬鹿みたいだとか言われるかもしれないけれど、ぼくはいまなお自分が50歳になった気がしない。もちろん身体に加齢がのしかかるのはひしひし感じているけれど、精神面ではどこか気が若いというか幼稚というか、落ち着きがあるんだかないんだかわからないキャラクターのままでいる。今日はそんなことを思い、もし自分に子どもがいたらどんなふうに進路指導・サポートをしただろうかとも夢想してしまった。もしぼくの子どももぼくと同じように東京の私大に行きたいと言ったら……。
いつものように90年代に浴びるように聞きあさった音楽を再生させて、そして考えごとにはげむ。マッシヴ・アタックやオウテカといった音楽だ。いまもってなおぼくの音楽の趣味は20世紀末にとどまっていて出られていないのかもしれない。あの当時のことをいろいろ思い出す。当時ぼくは村上春樹ファンだったが、背伸びして『批評空間』などをめくるようになりそこで村上春樹が吊るし上げられていたのを見て、「(それでも)春樹さんが好きだ」と言うのがためらわれたりした、というようなことだ。ひどい批評家は春樹さんについて「顔を見ればわかる。あれは田吾作の顔だ」と言ったりして、それに反発心を感じながらも「この人が言うのならそうなのかもしれない」とまで思い込もうとしたことを思い出す。馬鹿だったなあ、といまなら思う。
その後イオンに行き、まずG・ラブ&スペシャル・ソースを聴きながら村上春樹の『走ることについて語るときに僕の語ること』を再読しはじめる。もともとぼくは走ることになんら興味がなかったので、春樹さんがこの本を出版した時も気にはなったものの手がなかなか伸びず読むのが遅くなってしまった。いまでは個人的にとてもだいじな本として受け取れる。第二章の最後まで読んだのだけれど、はやくも気になるフレーズを見つけてしまった。
「腹が立ったらそのぶん自分にあたればいい。悔しい思いをしたら、そのぶん自分を磨けばいい」(p.39)
この言葉はまさにぼく自身の理想の生き方ともマッチするもので、たとえばぼくは英語学習や読書において挫折や限界を感じたり、あるいはプライベートな生活においてなにもかもがぜんぜんうまく行かないように感じられることがある。その時は、じたばたあがいたりせず自分の信じる道をあゆみコツコツ努力することを自分に強いるようになった。もちろん、これは「理想の」生き方であってこれを貫徹できているなんてことは口が裂けても言えない。まだまだ人間力が足りないのだろう。修養あるのみである。
ただ、こんなふうにかまえられるようになったのもこの年齢ぐらいになって自分の限界がかなりわかってきたからで、いわば閉ざされた可能性の中で1つか2つ誰にも負けない取り柄というものがあるとするなら、それをあたえられた「ギフト」として伸ばすことが自分のミッションなのかもしれないと思ったりもするのだった。そうして自分の才能を伸ばすことにけんめいになっていると、外野の無責任な野次も聞こえなくなってくる。英語をとおして知り合った方々の徳の高い言葉がぼくを鍛えてくれる。そんなことを考えたりした。
その読書が終わった後、昨日書いたラフカディオ・ハーンの回想録の続きを辞書を引き引き読み出す。予感はしていたが、やはり手強いもので2行か3行ごとに1つか2つ未知の単語、あるいは意味がはっきり日本語に置き換えられない言葉が登場する。それらを辞書でつぶしていく。ただ、細部にばかり拘泥していると全体を見失うので剣呑だ。英語研究会のミーティングは来年の半ば頃なのでまだ時間的に余裕はある。なのでゆっくり復習できたらと思った。
1時より仕事に入る。その後、5時に休憩時間をもらってそして村上春樹のくだんの文庫本や多和田葉子『研修生』、村上春樹『海辺のカフカ』英語版などを読む。とくに『海辺のカフカ』英語版を読んでいると、どう見ても抽象的と言うかアンリアル(非現実的)な世界、ツッコミどころがある世界が展開されているのに説得力あるものとしてせり出してくる、そんな生々しさを感じる。英語で読んでもこのリアリティは揺るがない。
「これはリアルなんだろうか」「これはありうるんだろうか」と、さいしょのうちは当惑しながら春樹さんの世界を読む。すると、その世界の内奥に実にたくみに練り上げられた文体と物語が存在し、ぼくたちをとりこにする。そんなことを考えながらぼくはこの本を読んでいる。いやはや、いつ読み終わるんだろうか。でも、そんなこと考えずにそれこそ春樹さんにならってひたすら自分の英語力を鍛えるのが早道・近道なのかもしれない。
