実を言うと昨日の夜、日記を書き終えて後にぼくの知人が主宰したZOOMミーティングに参加した。そこでぼくを含めて6人の面々が英語でディベートを行ったのだけれど、そもそもぼくは日本語でもディベートなんてやったことがなくてしたがっていったいなにをどうしたらいいのかわからず、ルールも作法もあったものでもなかったのだけどそれでも参加してみるとおもしろく、楽しい時間を過ごせたと思った。
3対3に分かれて「『教師たち』対『AI』」というテーマでバトルすることになり、ぼくは「教師たち」を支持するチームに加わってつたないながらあれこれ「いや、AIは暴走して差別的な見解を発することもあってですね……」と話す。いや、なかなかない時間でこれから英語を学んだり自説を話したりする上で参考になるところが多々あったのはたしかで、その意味ではほんとうにありがたい。ただ、緊張してしまい終わった後も心臓がドキドキしてうまく眠れなかった。
あとは昨日書き忘れたこととしてTEDトークでこんな動画を見つけて、そして(かなり早口であると感じるにせよ)リスニングのスキルを鍛えるための練習になればと何度か繰り返して鑑賞している。こういう動画を通じたトレーニングの場合、題材となる動画がよっぽどおもしろくなければ何度も見直そうと考えたりしない(あるいは、そうしようと思っても「かならず」挫折する)。ぼくは趣味にかぎって言えば「やりたいことしかできないのでやらない」という性分なので、その意味でこのTEDトークの動画はなかなか内容面でもぼく好みで示唆に富みおもしろく感じられ、なので繰り返し聞き返している。さて、どこまで鍛えられるだろうか。
今朝の話をすると、今朝は7時20分ぐらいに目覚めてその後シャワーを浴びて洗濯機を回し、7時50分からの英会話のZOOMミーティングに参加した。毎週日曜日は話題をとくに設けない「フリートーク」の日で、そこでブレイクアウトルームにてワイワイあれこれ話し込む。主に話題になったのは方言についてで、英語にもイギリス英語やインド英語などお国柄・地域によっていろいろな方言(発音のクセ・かたより)があるということが話題となる。たしかにぼくもインドの人と英語でやり取りするとかなり目を白黒させられてしまうのだけど、たぶん相手も「こいつ、LとRと一緒くただな」とか思っているのかもしれない。
その後仕事に入り、いつものように休憩時間にズボンのポケットに突っ込んでいるメモパッドに英語であれこれ思いついたことを書いていく。思いついたのは昨日も書いたけれどぼくが参加させていただいている英語研究会のことで、ラフカディオ・ハーンの英語を読むという試みについて考えながらふと「こんなふうに英語漬けの日々になるとは、昔は考えられなかったなあ」と思ったりもした。いや、ぼくももう50歳でこれからしゃかりきに学んだとしても行けるところなんてたかが知れているけれど、でも止められそうにないのも事実なのだった。
ふと、脈絡なく「ぼくもいずれ死ぬんだなあ」「いずれ死ぬのに、なんで英語なんて学ぶんだろう」と考えた。ふざけて聞こえるかもしれないけれど、これも事実を書いている。でも、それでもぼくより年輩で経験豊かな英語研究会の方々(もしくは断酒会や発達障害がらみの自助グループのメンバーたち)は学び・歩みを止めようとしていないという、単純で明白な事実にあらためて心が打ち震える思いを感じたりもした。いや、なにをたわけたことを書いているんだと思われるかもしれないけれど20代・30代の頃のぼくにとって「どうせならラクに死にたい」「生まれてくるんじゃなかった」という問題は切実で、なまじ身体が健康体だったがゆえに死を身近に感じるチャンスもなく死の概念だけが抽象的に・先鋭的に自分にのしかかってくるようで、あの日々はただただしんどかったなあと思ってしまった。いまはもうすこしラクに考えられる。
英語研究会などで70代・80代を迎えてもなおも英語を学び続け、先に先に進み自分の世界を追究せんと精励しておられる方と知り合ったことが、あるいはぼくの考え方をすこしだけでも変えたということかもしれない。もしこれがぼくが20代・30代だったら「ラフカディオ・ハーンの英語なんてなんの役に立つんだ」とさじを投げていたかもしれなかった……と思い、休憩時間の残りを使ってさっそく読み進めてみた。辞書を引き引き。地道な努力を要する作業だ。手を抜けない(抜いてもいいが、そのぶんかくじつに力は鈍る)。1ページ読んだところで時間が尽きた。
その後、無事今日も仕事をこなして帰宅する。途中でグループホーム本家に寄り、そこで副管理者の方と話をする。前にぼくが描いたマインドマップ(的なもの)をお見せすると、よろこんでくださった。ぼくとしては絵にいまもってなお自信がないのだけれど、でも表層的・技巧的な価値観におけるうまい・下手がどうとかいうより自分の中のなにかがストレートに・ケレン味なく表れ出ていたらいいかなと思った。また次のマインドマップも描いてみたいと思っている。
夕食を摂って後、自由時間となりいったいなにをどうしたものかと考え込む。それで哲学書をあれこれ読んでみるもまったく頭に入らない(バカな自分が読んでも時間の無駄じゃないか、と思えてその雑念に足をすくわれる)。それでやめてしまい、借りていた小説をかわりばんこに・てきとうに読み時間をつぶす。パット・マルティーノのギター演奏を聴きつつ、多和田葉子『研修生』と星野智幸『ひとでなし』、そして村上春樹『海辺のカフカ』の英語版を。いまは他人の考えをトレースするより、物語の中に入っていってそこからなにかを考える契機をつかむことに主眼が向いてしまうようだ。それがいいのかどうかはわからない。
