単純な生活

Life goes on brah!

20251227

遅番明けの朝。7時ぐらいに起きていつものようにシャワーを浴びて洗濯機を回す。その後、7時50分からの英会話のZOOMミーティングに参加する。今日の話題はアメリカの住宅事情(マイホームを買うのがきわめてむずかしいということ)だったのだけど、参加された方々と話し込むうちに全員が関心ある「英語の学習方法」に今朝は話が向かった。英語教師の方がシェアされた、英語をメインに話すことで英語力を鍛えるキャンプの話がおもしろかったので「動機づけを上げていくためとはいえすごいなあ」と感服してしまった。今日学んだ英語としては「松葉杖」を英語でどう言うかで("crutch")、忘れないためにこの言葉をときおり使う努力をしないといけない。

その後、朝食を摂ってから今日はとくに予定はなかったのでいつもどおりイオンに行く。なんだかほんとうに変化のない1日を過ごしているのだけれど、部屋に居てもなんだか脳みそがじゅくじゅく煮詰まるような気がするんだからしょうがない。そして、まずメモパッドに英語でメモを書きつけるところから1日をはじめる。非常に抽象的に響くと思うのだけれど、でも頭の中で渦巻いているというかふわふわ漂っている雲のようなアイデアを言葉にするのはむずかしい。ただ、なんでもいいのでえいやっと書いてしまえば(それこそ日付や「Hello」でもいい)あとは言葉が自動的に表れ出てくる。日本語で書くより英語で書くのがラクなように感じられるのは英語脳のせい……と書くと聞こえがいいけれど、たぶんそれよりも漢字を書くのがめんどくさいしそれに思い出しにくいという、年齢ゆえの深刻な問題があるのだと思う。

その後、ぼくの好きなイギリスのバンドであるブラーのアルバム『モダン・ライフ・イズ・ラビッシュ』を聴きながら、なんとなく部屋の片隅から引っ張り出してきた上野俊哉『思想家の自伝を読む』を読む。高校生の頃だったか、たまたまなにかで読んだ氏の記事(『スタジオボイス』誌だったかに載ってた)を読んで以来この著者の書くものはそれなりに(あくまで腰が重くトロい「ぼくなりに」)読み込んできた。この本も3回ほどか読み込んだことがあるが、今日の読書も参考になるところが多々あった。というか、「3度も」読み込んでいてもまだあたらしい発見がある。ぼくがたんに忘れっぽいだけかもしれないけれど。

「自分を知りたかったら、自分のことを考えるのではなく、自分なんて言葉が吹っ飛んでしまうような瞬間、自分のことがどうでもよくなる瞬間を、楽しみや仕事のなかに探してみよう」(p.36)

この言葉がこんかいの読書で引っかかった。ぼくは、上野氏が批判する「自分探し」というものをしたことはない。旅行なり自己啓発なりに関心があった時期もあるけれど、でもぼくの場合正直に言えば「自分」というものはあきれるくらいはっきり「ここ」にあって(わかりやすい言い方をすれば、じゅうぶんに人から「個性的」「アクが強い」と言われる「自分」のかたまりのような人間として見なされて、自分もそう思い込んでしまったということもあって)そのせいで「『自分探し』なんてお金とヒマのある人の遊戯なんじゃないか(それは悪いとは言わないにせよ)」くらいにしか思っていなかったのだった。

「自分探し」という言葉の中にはなんだか、「自分」を置き物のように静かなもの・愛でられるものととらえるにおいを感じる。でもぼくの場合、このぼくはほんとうに(当時は精神分析なんてかじったこともなかったけれど)無意識の次元においてわけのわからない異物がうごめいていて、もっとひらたく言えば「クロい」存在であるように思えてならなかった。そんな「自分」が、「探」すまでもなくここにいる……貼り付きさえしている。あたかも影のように(なんだか『海辺のカフカ』みたいですね)。

いや、こう書くのはいじわるというものかもしれない。ぼくとて「理想の自分」「まだ見たことのない自分」を探したくなる心理とまったく無縁というわけではない。その意味で言うならぼくも日々「自分スゴイ」という瞬間と出くわす存在であり、なんら普通の人と変わりないとも言える……なんだかかなり脱線してしまったけれど、そんなことを考えた。

それにしても、日々哲学や文学ばかり読んでいるのだけどこれにかんしては(いや、英語学習でさえも)ぼくは「勉強」のつもりはなくただ「楽しいから」やっている……と言えば聞こえはいいけれど真実としては「ほかにやることもないから」というくらいの気持ちでやっている。なんだか真剣に「勉強」している人からするとたまったものではないだろうけれど、でもぼくは根がひたすら怠惰なので「ハマらないと続かない」「慣性に則って、いったん動き始めれば続けられる」という人間なのだった。まあ、いいじゃないですか。趣味で哲学するというのも。日曜大工みたいに。

帰宅すると郵便物が届いていた。来年1月の中旬くらいに、ぼくが末席で参加させていただいている英語研究会のミーティングがあるということで資料を送ってくださったのだ。開いてみるとなんだか耳慣れないアルファベットが並んでいておどろいたが、よく読むとラフカディオ・ハーンの英語を輪読するということらしい。どうなることか楽しみだ。その後、ヒマができたのでベッドで横になって、昨日サボっていた村上春樹海辺のカフカ』英語版を楽しむ。ただ、腰痛と関係あるのかそれとも五十肩ということなのか腕が痛いのでなかなか気が散って読めない。今日は夜の英会話のZOOMミーティングもなさそうで、時間があるのはいいけれど本ばかり読んでいても脳が疲れるだけで落ち着かない。さっさと寝たほうがいいのかもしれない。