昨日の夜、日記を書き終えてからある女性の友だちの主宰するZOOMミーティングに参加してそこでかつて教員として活動された方の英語での3分間スピーチを楽しんだ。感動的なスピーチで、それにたいしてぼくをふくめた何人かの方々が質問を投げかける。ぼくはついぼく自身の発達障害のことが気になったので「そういう変わった子はやはりいたんですか」といった質問をしてしまったのだけれど、後になってわれながらこの発達障害にこだわり過ぎるのもいけないのかなあ、と反省した。ともあれ、楽しい時間を過ごせたと思った。
今朝はなぜかわからないけれどはやばやと6時半ぐらいに目覚めた。ただやったことはいつもどおりで7時にシャワーを浴びて洗濯機を回し、そして7時50分からの英会話のZOOMミーティングに参加する。今日のお題は日本が魅力的な観光先として脚光を浴びているという話で、ぼくはぜんぜん旅行をしないので苦手な話題ではあったのだけど「人の話を聞くのも勉強になる」と思い参加を決めた。じっさい、この話題にたいしては話せることはそうなくほかの方々の英語を虚心坦懐に聞き、そこから「『ラーメンの激戦区』って英語でなんて言うんだろう」「いわしだしって英語でどう言うんだろう("sardine broth"というらしい)」など学べたのがありがたかった。
その後、今日は年内最後の通院日ということで総合病院に行く。とはいえ相談するにも、やはり眠気の問題がいちばん大きいことはたしかだった。いざ先生に相談する番が来ても頭がはたらかない。それでやっとのことで2週間前にもらった頓服の話をしたら、薬の量を半分に減らしてみることで話がまとまる。あとは先生の管轄外ではあったにせよ腰痛の話などをした。その後、薬局で薬をもらった。そしてイオンに向かい、そこで英語でまたメモパッドにあれこれ書きつけていく。
思えばぼくがはじめて精神科の門を叩いたのは22歳の頃のことだった。当時、いのちの電話にかけてみたらそこの相談員の方がクリニックに通うことを薦めてくださって、その時点でぼくはすでに学校の相談員とつながらせてもらっていたのだけど、その方は話を聞くばかりで現実的な解決(とぼくが思うもの)につながることをされなかったので、それでしびれを切らしたというのが正直なところだった。いや、いまの時点から振り返れば立派に相手との信頼関係を裏切る行為だと思う。だが、そうでもしなければ鬱の感情がおさまらなかったこともまたたしかだ……そんなことをメモパッドに書きつけていく。
学校に残るにも家に金もなく、就職活動をするも鬱を引きずりつつ・自分の発達障害をわかっていない活動がうまく行くわけもなく全滅で……それでけっきょくこっちに戻ってきたのだった。これは想像になるが、もし20代や30代に戻れたらとふと考えることもある。そうしたら、すくなくともいまのシラフの頭で考えるなら言うまでもなく英語をもっとみっちりやり直すことに決める。でも、当時20代や30代の頃は新卒で会社に入れなかったショックやその後入った会社でのシゴキもあって酒に溺れて、つらい日々を送ったのだった……そんなことを思い出した。
いや、想像であれこれ「if(たられば)」の話をするのはあまりよろしくないだろう。ただ、考えはおさまらず……20代・30代という若さのさかりにぼくがやったことはほんとうに酒を呑むばかりで、東京に住む友だちが見るに見かねて語学を薦めてくれたこともあったけれどそこまで実行に移す気力もなかった。あったとしても、留学体験もない自分に日本語を英語にすることなんてできっこないとハナから匙を投げていただろうとも思う。それを思うといまはすごいことをやっているとも思う。というか、厚顔無恥になったと言うべきか。それが歳を取ることの美徳なのかもしれない。
その後、昼ご飯を食べて昼寝をした後に手持ち無沙汰になったので、部屋にあった小坂井敏晶『答えのない世界を生きる』をカバンの中に入れてまたイオンに行く。そしてすこしずつ読み進める。ぼくはこの著者の仕事からつねづね、自分の思い込み・偏見をくずすことのだいじさを学ばせてもらってきたと思う。いっぽうでは学問を学ぶ際は虚心に「型」の中に自分をあてはめることがだいじなわけだけれど(ちょうど英語を学ぶ際に「文法」という「型」を学ぶように)、それを徹底させることで「型」がくずれる瞬間が生まれうる。そうして「型」がやぶれた瞬間、常識を超えた発想・着想が生まれうる。そんなことを学んだ気がした。
「自分の頭で考える」のがだいじと書いてある。自信がないのだけど、でもこれがともあれ著者が訴えたい主張の1つであることはたしかだろう。ぼくはじっさいのところ過去にこの発達障害の特性もあってそれで「ヘンなやつだ(当時はもっとひどい言葉もふつうに投げかけられたりもした)」と言われたりしたので、それですっかり自分を出していくのがおくびょうになったりもしたのだった。いま、ぼくは自分の信じるままに自己主張をできるようになったと思う。もちろんそこからくる批判は受けとめていきたいとも考えている。
それはさておき、ぼくの人生はどうだったかなあと思う。過去、それこそ語学にかんしても我流の哲学の勉強にかんしても「型」なんてできていなかったくせに人の言葉の口真似をして、「いや、柄谷行人はね」「いや、ロラン・バルトはね」とあれこれ語っていた自分がいたことを思い出す。いまはそんな見栄を張るのもみっともないとわかってきたので、自分の眼の前にある問題に取り組んで過ごすだけだ。それでいいのかな、と思う。
