今朝、7時20分頃目が覚める。まず、近所にあるファミリーマートでペットボトルのホットレモンを買い、その後いつものようにシャワーを浴びて洗濯機を回す。そして7時50分から英会話のZOOMミーティングに参加する。今日の話題は大人になってからの言語学習がどのようにむずかしいかについてで、やはりというかだいたいの人々はあらためて英語なら英語の学習をするにあたって「充分な時間がない」「動機づけがむずかしい」「自信がない」「年を取りすぎていると感じる」といった問題にぶつかるらしい。興味深い話と思う。
ぼくの場合はどうだっただろうか……たしかに40歳の時、メンターとなる方の言葉をきっかけとして英語をやり直そうと考えはじめた時にぶつかったのは「そもそもカネがない」という、あらためて言葉にしてしまうとほんとうにセコいけれどそれでも切実な問題だった。実際に通える英会話学校がなかったのでオンラインでDMMかネイティブキャンプかで学ぼうかと考えても、それでもぼくの収入ではそうとうなコストがかかる。いや、もちろんそうした英会話学校はそのコストに見合ったレッスンをほどこしてくれるとわかってはいても、現実的にコンスタントに・無理なくお金を払って通えなければストレスになるばかりでよくないだろう。
その意味で、いったいいつどのようにして知ったのかはっきり覚えていないのだけど(たぶんFacebookのサジェストで誰かの投稿が浮かび上がってきて、それで知ったのかもしれない)、なにはともあれいま参加させていただいている毎朝のZOOMミーティングは無料で参加させてもらえる得難い機会と受け取っている。参加されたほかの方々もそれにかんしては同意見で、そしていまはLINEやTwitter(X)などで手軽に志を同じくする方々と知り合い、切磋琢磨することができる。時代は変わったものだな、とあらためて思う。こんかいの朝のZOOMミーティングも、仕切ってくださった方のあたたかい人柄や同席された方の英語に導かれてぼくもいろいろ話すことができた。
その席において、時間がないという悩みを打開する案の1つとして「スキマ時間(dead time)」を使いこなすことが薦められていた。通勤中や待ち時間などの「ヒマな時間」を英語なら英語の学習にあてる。スマートフォンを使ってLINEに投稿するなりChatGPTなどのAI相手に質問を投げかけるなりする、というのが具体的な使い方になろうか。ぼくは(いつも書いていることだけど)ズボンのポケットにマルマンのメモパッドを突っ込んでいて、ヒマができたらそこに英語でメモを書きつけていくことにしている。これはあのコロナ禍の時期、対面での英会話学校が軒並み自粛の憂き目に遭った際に英語学習のモチベーションを保ち続けるためにはじめたことなのだが、いまも続けられている。けっきょく、意志あるところ道というものはあるのかなあ……と思った。
昨日書いた足の神経痛なのだけれど、実は今朝も続いておりたぶんにこれは腰を冷やしているからではないかと考えたこともあって今朝は使い捨てカイロを買ってそれを腰に当てた。フランスの友だちから英語で薬局などで腰巻きを売っているのではないかとアドバイスをもらったので、いざとなればそれを探してみる気になってきている。今日も、なんとかつつがなく仕事をこなす。昼休みになり、さっき書いたように英語メモを書きつけていく。ぼくの場合、この英語メモ以外にどのようにモチベーションを保ってきたか……けっしてそれは高い目標を設定してのことではなく、むしろみんながあきれるほど低い目標を設定してそれを毎日毎日こなすことを自分に課したからだったかな、と思う(「言葉が通じた」「英語メモを書けた」ていどのものだ)。
昼休み、ぼくが参加させてもらっているLINEのオープンチャットの英会話のグループにて発達障害のことが話題となる。ある参加者が、そんなたわごとは信じない(サイコな医師がでっち上げた概念だ)という意見を主張しているのを読んだのだった。これにかんしてぼくは「いや、発達障害という概念(ひいては『神経多様性/ニューロダイバーシティ』という概念)はぼくに生きる道すじをつくってくれた」「発達障害という概念を受け入れることによって、ぼくはこんなヘンな人間であっても自分らしく生きられるんだと考えられるようになった」と英語で書きつけた。ぼくの英語力ではなかなか骨の折れるテーマではあったが、それでもここで自分の意見を書かないと「男がすたる」とも思ったのだった。
ぼくは当事者ではあっても研究者でもなんでもないし、ぼんくらでものぐさな性分なので厳密な定義・考え方を学びそこねている可能性は十二分にあるが、それでもいま思うところを書くならぼくは発達障害という考え方は「個々人の脳はそれぞれにユニーク(唯一無二)で、そして個々人のあいだには見過ごせない差異がある」「それぞれのユニークさ(独自性)はそのまま尊重されるべきである」という考え方ともつながると思っている(これにかんしては過去にスティーブ・シルバーマン『自閉症の世界』や彼のTEDトークを楽しんだことも影響しているのかもしれない)。発達障害という考え方を頭ごなしに・不当におとしめたり、逆に過剰に持ち上げたりする考え方にハマるのではなく、もっと単純に個々人の差異・食い違いに敏感になる感受性を保ちたい。どうだろうか。
そんなこんなで退勤時間となる。夜、読みかけていた沢木耕太郎『一瞬の夏』を読み終える。この力作ノンフィクションにおいて沢木耕太郎はあたかも透明になったかのように、自分の感情をさほど介入させずに眼前に生起する事態を冷徹に見つめる。自分が見たもの・体感したことを率直に書き綴り、その観察からたちのぼるものだけを活字にしていくこと。かんたんなようで、これは実際に貫徹するとなるとほんとうにむずかしいのだろうと思う。そんな力業を成し遂げた沢木のストイックな姿勢に舌を巻いた。
