実を言うと昨日から、腰から右脚にかけてがピリピリ痛むのを感じる。たぶんにこれはこの寒さから来る神経痛だろうと推測する。前にもこんな感じで痛むことがあったのだけど、またぶり返してきたということは加齢もあるだろうしほかにも原因があるのかもしれない。「生兵法は大怪我のもと」という言葉もあるくらいなので素人判断であれこれ決めつけるのも危険だが、思いつくところとしては腰を冷やさないようにしてこの痛みが続くようならどこか医師のところへ相談に行くべきかもしれない、と考える。
今朝、7時20分頃目覚める。シャワーを浴びて洗濯機を回した後、7時50分からの英会話のZOOMミーティングに参加する。今日のお題はもっぱらスマートフォンによるソーシャルメディア(SNS)閲覧・利用を禁欲すること(デジタルデトックス)がそのままスマホ依存の解消につながるとは限らないというデータについてで、この話題はおもしろい。ぼくもソーシャルメディアはFacebookとMeWeをメインにいろいろ使ってきた人間だし、そうでなくともスマホ依存と言われるとぼく自身の依存症の性格を言い当てられた気がして落ち着かなくなる。ほかの方の告白も参考になり、なかなか喋れなかったなりに有意義な時間を過ごせた。
その後、遅番の日の常としてグループホーム本家におもむく。そこで沢木耕太郎『一瞬の夏』の続きを読ませてもらったのだけれど、やはりというか食堂は午前中はまだ寒くなんだか底冷えを感じる。本を読みながら英語でメモパッドにメモを書きつけていく。年の瀬だからか、いろんなことが終わるムードを感じるせいで(あとは職場の年末進行のいそがしさもあって)陰鬱な気持ちになってくる。なんだか考え込むと「こんな人生でいいのかなあ」「もっといい人生があってもいいんじゃないか」と抽象的な・非現実的なことまで考えはじめてしまう。
でも、振り返ってみればそんなに悪くなかった人生でもあったとも思う。とりわけ40歳を過ぎるか過ぎないかの頃になんとか断酒に成功し、その後いまもお世話になっているメンターやその娘さん・さまざまな友だちといっしょに自助グループの結成に乗り出したりもしたのだった。それまでぼく自身における「発達障害(者)」という事実が重荷・宿痾でしかなかったのが、一気に自分にありうる可能性を見せてくれるようなプラスの事実としてせり出してきた……というと大げさだろうか。けっきょくいまの会社で出世したわけでも、いまウハウハに稼いでいるわけでもないけれど、発達障害の奥深さは学べたかなと思うのだ。そして、その出会いあってこそ現在につながる英語学習も可能となったわけだ。
そんなことを考えてみると、ぼくはこの気質上コツコツと一貫性ある小説を書くのは逆立ちしても無理なのだけど、また断片的にであれその自助グループで学んだことやそれ以前に発達障害者と診断されるまでのいきさつ、そして国際交流協会に参加させてもらって楽しい思い出を作ったことなどを書ければと思うようになった。断酒会に参加させてもらってお世話になったことも。以前ならばノンフィクションとして書ければ(それこそ沢木耕太郎作品のように)とあがいたものだが、なんなら小説仕立てにしてもいいのかなあ、と考える。
前にも書いたように、以前にLINEである方からぼくの生き方が若い人たちを勇気づけている・励ましていると言われたことがある。ぼくの生き方なんてほんとうに「単純な生活」というか、1日断酒と英会話のZOOMミーティングと仕事と読書だけで成り立っているシンプルなものだ。ゴージャスな・カリスマ的な要素なんてかけらもない。でも、そんなぼくが言えるのはぼくだって(ぼくごときでさえ)40という大台に乗った歳からいまの生き方をはじめて、なんとか断酒も発達障害にからんだ学びも英会話も板についたものにさせられたということだ。そこから言えるのは、証拠なんてないけれど「人生はどこからでもはじめられる」ということだろうと思う。そう思ってなにが悪いんだろう。
1時から仕事に入る。5時に休憩時間に入り、そこでまたメモパッドにあれこれ英語で書きつけていく。まだ本決まりでもなんでもないのでしたがってここではまだつまびらかに書けないが、英語でまた3分間スピーチをしてみるのもおもしろそうだと思いそのネタを考える。上述した自助グループとメンターについて、村上春樹について、発達障害そのものについてなどなど。夜も更けるとさすがに寒くなるからか足腰にこたえる。痛みを感じつつ、いつまでも若いわけではないんだなと考える。ならばいま、書けるうちに書きたい……。
ふと思い出したことがある。ぼくは33歳の時、はじめて発達障害の診断を受けた。その時、どういう立場の方だったのかは忘れたのだが(心理士だろうか)その方と面談をしていて、つい「もうどうしていいかわかりません」と大泣きに泣いたことがあった。望んだわけでもないのに発達障害という重荷を背負い、そのせいでいじめに遭ったり職場でみそっかすにされたりしてつらい人生を歩んできたので、その重みでくずれるように泣いてしまったのだろう。そんなことも休憩時間に思い出し、忘れないうちに(あるいは色褪せないうちに)書いてしまいたいと思った。
ただ、それを書いていくとなると日本語と英語両方を用意するのはそうとうにきびしいので、海外の友だちにもこんなことをわかってもらいたいという気持ちをこめて英語で書こうかなとも思った。日本の友だちにははなはだ申し訳ない話になるのだが(翻訳ツールを使わせてしまうことになるだろう)。ともあれ、そんな感じで夜は更けていった。
