どうやら頓服を飲んだ際に寝過ごす傾向があるようなので、昨日は頓服を飲まないことに決めた。でも、それでも今朝早く目覚めた後うつらうつらしていたらあっという間に7時半をむかえたのであわててシャワーを浴びて洗濯機を回す。その後、英会話のZOOMミーティングに参加していろいろ時事的な問題について話し合う。今日のテーマはセブン-イレブンが自動操縦のトラックを採用するという話題で、そこから最新のテクノロジーはどんなものを使いこなせているかそれぞれのメンバーが紹介し合う流れになる。恥ずかしながらぼくはAlexaもSiriも、ChatGPTもGeminiもぜんぜん使いこなせていないので参考になった。
その後、朝食を摂ってからイオンに行く。今日は10時40分から別件のオフラインミーティングがあるのでそれまでのあいだ、沢木耕太郎『一瞬の夏』の文庫本を読んで過ごす。このノンフィクションはカシアス内藤というボクサーが再起を賭けて奮闘する様子を若き日の沢木が追いかけた内容で、彼らは30代を目前にして焦燥を感じながらもがき続ける(内藤や沢木にとってはまさに「勝負どころ」ということだったのだろう)。よく知らないなりにシカゴ・ハウスをSpotifyで聴きながら読んだのだけど、さすがにいまに至るも読み継がれるノンフィクションだけあって迫力がある。
そして、20代や30代とはぼくにとってどういう時代だったかとあれこれ考えてそのことをときおり英語でメモパッドに書きつけていく。あのころ、ちょうどここで描写されているような内藤や沢木に比肩するような才能なんてまったく自分にあるとは思えなかった。自分のことを常日頃ボロクソにののしり、自己嫌悪に耐えられなくなって酒を呑んでひたすら寝て過ごす毎日を送っていたっけ。いや、いっぽうではどこかで「このままで終わる人間にはなりたくない」と意地を張っていたところはあったにせよ。
そうだった……いっぽうでは「人生を《半分》降りる」(中島義道)生き方、あくせくしないで自分の好きなことにいそしむ生き方を目指していたりしたのだった。そんなに熱心に働いて出世するばかりが人生でもないだろう、と。でも、現実問題としてやっていたのはさっき書いたように酒を呷ることばかりで将来につながることはなにひとつしていなかった。そんなことを思い出させられる。ただ、あの頃に戻れたらという気持ちは湧かない。若い頃はまだどこかで鼻っ柱が強く、下手をすると天狗にもなっていたので「下手なジャパニーズイングリッシュなんてナンセンスだ」と気取った心理がはたらいて虚心に英語を学べなかったかもしれなかった。
オフラインミーティングの時間になり、会場にて2人の方と面談する。ぼくの物欲・食欲・性欲について、具体的にはこの年末進行のプレッシャーで衝動的な買い食い・浪費・性欲過多がおさまらないことを相談したところ、見事にホワイトボードを使って悩みごとを分析された。そしてアドバイスをいただき励まされたので、ぼくとしては非常にありがたかった。ストレス発散・解消に映画を観てみるのはどうですかと薦められて、それでぼくも「小津安二郎の映画が好きです」と答えたりして、和やかなムードで終わったと思う。
その後、図書館に向かう。そこでなにか英語の本でも読んでみようかと思ったところ、吉本ばななの『キッチン』の英訳版のペーパーバックが配架されていることに気づきそれを借りる。その後自室に戻って昼食を摂った後にそれを読み始めたものの、なんだか部屋にじっとしているのも落ち着かずこんな時にかぎって観たい映画もドラマも思い浮かばない。それで、それこそ衝動にまかせて近所にあるブックカフェに向かった。そこでオーナーの方とお会いし、2人でいろいろ話をする。
その後、気づけば2人でそれぞれがいま読みふけっている本を静かに読む時間を過ごしていた。吉本ばななの『キッチン』は日本語版を30年くらい前、高校生の頃くらいに読んだことがあってその時はあまり感心もせず印象にも残らずで終わってしまっていたのだけど、いま読むとなんだか淡いタッチというか水彩画のような描写の中にたしかな悲しみとおかしみがあるように感じられる。これをつい「少女漫画的」「フェミニンな」と形容したくなる衝動を抑え、そもそも言うほど少女漫画も読んでいないのだから安直にもほどがあると自分をいましめる。いや、でも冗談抜きでこの年齢で読む『キッチン』は(あいまに『一瞬の夏』の続きも読みつつ読んだのだけど)おもしろい。
その後、ブックカフェを出て自室に戻り『キッチン』英訳版と『一瞬の夏』をかわりばんこに読む。なんだか水と油みたいな、似ても似つかない2冊だけどなかなかおもしろい取り合わせでもある。恥を忍んで言えば英語のペーパーバックは実はぜんぜんいままで読み通したことがなく、デヴィッド・リンチの伝記『夢見る部屋』の原書とポール・オースター『ムーン・パレス』くらいだったのだけどこれが3冊目になりそうだ。もちろん日本語の本を読むようにスラスラとは読めないにせよ、こうした地道な努力を忘れてはいけないものだな、と自分にあらためて言い聞かせた。
夜になり、友だちと毎週木曜日に行っているZOOMミーティングに参加する。忘年会的な雑談で、マイクロアグレッションが話題になったのが印象的だった。たとえば「日本人より日本人らしい」「日本語がお上手ですね」といったことが、本人にその気がないとしても相手の心証を害した場合それはマイクロアグレッションとして受け取られるというものだ。ぼくもついついそうした言葉を無神経に(ことによると、独善的な思いやりを込めて)使ってしまっているかもしれない。そのことを再確認させてもらえたことがありがたいと思った。
