今朝、またしても少しばかりいつもの起床時間7時を寝過ごしてしまう。なんとかシャワーを浴びて洗濯機を回し、その後7時50分からの英会話のZOOMミーティングに参加する。今日の話題はなんでも熊よけのシェルターが開発されたとかなんとかいう話で、そこで熊の目撃情報やそもそもどこに住んでいるかといった軽い自己紹介も交えながら集ったほかの方々と英語でワイワイ会話を交わす。ふと、ある方が「どうして皆さんはそんなに英語がお上手なんですか」と質問された。
ぼくは自分の英語がレベルが高いかどうかまったくわかっていないので(英検2級は持っているがなにせもうかれこれ何十年も前の話だ)、そんなとぼけた人間がこんなお褒めの言葉をいただいていいのだろうかと戸惑う。ただ、なんとかそれなりに喋れているとするならそれはけっきょく英語でメモパッドにメモを書いたりチャットをしたり、あるいはこのようなZOOMミーティングやリアルでの英会話教室やイベントに「性懲りもなく」顔を出して英語を鍛えているからかなあ、と思う。その意味では毎日英語と接することができて、ハリのある人生を生きていると言えるのかもしれない。そんなにお金もかかってないし。
そのZOOMミーティングの席で、ある方がトーストマスターズクラブの話をされた。このクラブは世界各国に(もちろん日本も含む)あるらしく、会員たちがそのクラブで英語でスピーチを行ったりそれに対して講評をフィードバックとして行ったりしているということなのだ。英会話教室で知り合ったとある方がこのトーストマスターズクラブに興味を持っておられたことを思い出し、その方に向けてLINEでメッセージを書くことにした。
その後、遅番の日の常としてグループホーム本家におもむく。そこでこないだの水曜日のイベントの話を管理者・副管理者の方々にした後、食堂を貸してもらいそこで1人で読書タイム。昨日読みふけったJ・M・クッツェーとポール・オースターの往復書簡集『ヒア・アンド・ナウ』の続きを読んでいく。なんだか中身は率直なところとっ散らかった、散漫な感が否めない往復書簡だがそれでも老齢に差し掛かった2人がそれでも日々学びつつ、さまざまな話題にたいして考察を重ねているところに感銘を受け、ぼくもこうありたいものだと思う。
その後、図書館に行き中公新書の1冊である中井遼『ナショナリズムとは何か』を借りる。それを少しだけ読んでみたのだけど、なかなかわかりやすくナショナリズムという概念が整理されている。過去、それこそ10代くらいの頃ぼくはナショナリズムというものがピンと来なかった。いや、もっと広く言えば「どこかの集団に帰属意識を持つ」ということじたいがピンと来なかったとも言えるかもしれない。人間は言うまでもなくさまざまな「縁」でつながっている。血縁や地縁、などなど。だが、ぼくはもともと集団が苦手で(学校や家庭など、どこの集団においても見事な「はみ出しっ子」だったので)したがってどこでも異端視され、なかなか溶け込めなかったのだった。
そうした「溶け込めない」子、「帰属意識を持てない」子(宮台真司言うところの「脱社会化された存在」)だったぼくは、したがって集団を横目でにらみながら孤独を生きることを目指した。そこにあったのは絶望的なほどの虚無主義というか「人はわかり合えない」「わかり合えるなんて幻想だ」という極論だった。そうして、恋も愛もあきらめて1人で本の中に逃避する高校生活を生きていたことを思い出した。ぼくの場合は、そんな孤立した考え方に都合がよかった(というか、ぼくが勝手に誤読していた)エセ左翼思想にのめり込んでいくこととなるのだが。
ぼくはそんな過去を生きていたので、どこかに帰属意識を持ちその集団・共同体の中で試行錯誤して大人になっていく(成長する)ことのだいじさがわかっているつもりだ。あんがい、いま英語を学んでいるそのやり方についてもさまざまなグループやコミュニティに参加して、そこでほかの方々と切磋琢磨しながら英語を磨かせてもらっていることが有益に働いているのかもしれない……やれやれ、なんだか『ナショナリズムとは何か』からずいぶん遠いところに来てしまった。
1時より仕事に入る。今日はなんだかうまく行かないことばかりで、思えば思うほど考えが否定的(ネガティブ)な方向に向かってしまい落ち着かなかった。ひどい思い出がさまざまにかたちを変えて襲いかかってくる。子どもの頃から(上に書いたように)いじめられっ子だったこと、高校生活はほとんど心を殺して死んだような気分で過ごしていたこと、大学生活もぜんぜん楽しくなかったこと、長じてパワハラに遭ったり、いまフラッシュバックで苦しんでいたりすること、など。そんなことを考えていると、なんだか不幸なことばかりの人生のような気がしてきた。
5時からの休憩時間に、そのことをLINEなどで友だちに漏らしてしまう。ぼくの人生はいったいなんだったのか……すると、「足があるところに考えの基本を起きなさい」と英語でアドバイスをいただいた。「いま生きているところに集中して、いまを生きなさい」ということだと思う。「過去は歴史、未来はミステリー、そしていまは『ギフト(賜物)』。だから現在のことを英語で『プレゼント』と言うんですよ」と。そのアドバイスは沁みた……なんだか、今日も終わってみればドタバタした1日だった。まあ、こういう日もある。
