単純な生活

Life goes on brah!

20251127

昨日早目に床に就いたせいか、今朝は6時頃目が覚めてそのまま眠気もなくスムースに考えがはかどる。前にすこし書いて頓挫していたぼく自身のでたらめな散文「I Wanna Be Your Dog」の続きを書く。ある程度かたちになったものをぼくの知人の女性に読んでもらったところ、その方からいまの気分について訊かれた。「どう思いますか?」と。

これについてはっきり・明瞭に言語化するのはむずかしい。「I Wanna Be Your Dog」を書くあいだ、ぼくはできるだけ自分の中の縛りをなくして欲望や叫びを発散させたいという気持ちがある。ぼくの中の(気取った言い方をすると)獣性、異性を求める心理を解き放ちたいという気持ちがある。ただ、もちろんそんなものが全肯定されるとも思っていない。このことについて語ると長くなるしぼく自身議論の準備ができていないが、ぼくとしては表現の自由を信奉したい。ただ、いくら「表現はおしなべて人を傷つけるものである」という立場に立ちたいと考えるとしても、ならば自分の未熟な表現をそのまま押し出してあまつさえ傷ついた人を無視していいのかどうか、そこで戸惑う。そんなことを考えている。ジレンマというやつだ。

また、ぼくは書くことにかんして保坂和志的な考え方を信奉したいと思っている。表現を繰り返すこと、書く練習をかさねることによって自分自身が変わっていくのがほんとうの創作活動だという考え方だ。それに則るならば、いま書いている「I Wanna Be Your Dog」で穢れた言葉(たとえば「ケツ」「パイオツ」といった卑俗な言葉)を使って自分を解き放つことじたい、自分自身がある「戻れなくなる地点」にまで至りそうな気がする。いや、そこまで至らないとホンモノではないという考え方もある。フランツ・カフカ的な発想というか。ただ、ぼくの場合はまだそこまで肝が据わっていないというのが正直なところだ。けっきょくこれにかんしては「ありのままに」「なすがままに」という態度で臨むしかないのかもしれない。

ぼくが目指しているのは、いま読んでいる津原泰水『ペニス』や田中小実昌の作品群やそれこそサルトル『嘔吐』的な生活と思念が重なり合って独自のうねりを生み出す世界だ。ただ、まだぼくの中のコアの部分はこじ開けるまでに時間がかかりそうだ。そんなことを考えつつ、7時にシャワーを浴びて洗濯機を回す。その後、ZOOMミーティングに参加して英会話の練習にいそしむ。今日の話題は辛いものがなぜ人を虜にするのかについて。おもしろい話題だった。ぼくは辛いものはほんとうにだめでCoCo壱番屋のカレーもぜんぜん辛い味のものは食べられず、子どものまま舌が成長していない悲しさを感じる。そんなことを言葉にした。

その後、10時より仕事をはじめる。午前の仕事中、WhatsAppで九州の友だちからメッセージをもらった。元ストーン・ローゼズ、あるいはプライマル・スクリームのベーシストとして知られるマニが亡くなったとの知らせだった。彼のベースの演奏に惹かれてストーン・ローゼズのファースト・アルバムやプライマル・スクリームバニシング・ポイント』を何度も聴き返したことがよみがえってくる。熱心なファンというわけでもなかったのだけれど、彼のプレイはマッドチェスターと呼ばれるムーブメントにおいて光っていた。そのことを思い、静かに黙祷する。

仕事中、ほんとうは私語はよくないことなのだけれどある女性の方とお話しする機会があった。その方とはこれまでも英会話のことなどでお世話になった方で、そこでつい甘えが出てしまいこの歳まで浮いた話(色恋沙汰)もなかったこと、とりわけ働き盛り・男盛りの時期は酒におぼれて毎日毎日呑んだくれてそのまま寝て過ごしてしまっていたことなどを話してしまった。クリスマスの時期、誘えるなら誰かを誘って……といきたいところだけど、そのためには相手のLINEアカウントなど知らねばならずつらいところだ。その方は励ましてくださった。ありがたいと思った。

その後、昼休憩を挟んで5時まで仕事をする。昼休憩のあいだ、なんだかこんなふうに欲(もっと言えば性欲)にふりまわされたり、無駄に哲学的なことを考えて「人生に意味なんてない」と思い込む考え方(強迫観念)から抜け出せなくなったり、なんとも因果な性格だなあという考えにいたる。考えすぎることを止めて、思考のループを断ち切って自分なりにこのままならない世界の中で踊ることをはじめないといけないのかもしれないと思った……なんだかニーチェ哲学みたいな話だけど、もちろんニーチェがそんなことを言ったという事実はない。

その後、帰宅して津原泰水『ペニス』の続きを読む。この作品はどんどん読めば読むほどえげつなくなっていく。小説における自由とはなにか、自由を許容し呑み込んで起承転結なんてぶち破ってしまってもなお小説として成立する作品とはどんなものかについて考えさせてくれる。そんな作品をぼくはそんなにたくさん知っているわけではない。せいぜい堀江敏幸『河岸忘日抄』や田中小実昌『ポロポロ』くらいかなあ……と考えはここに来てとめどなく広がる。さて、この日記を書く作業が終わったらもうすこし「I Wanna Be Your Dog」の続きを書いてみようかな。