今朝は朝6時半ぐらいに目が覚めて、その後いつものように朝7時にシャワーを浴びて洗濯機を回す。いつもならばここで7時50分の英会話のZOOMミーティングに向けて準備をする段取りなのだけれど、今日は昨日の遅番の疲れが出てしまっていたせいか布団の中に潜り込んでしまうとそのままうとうとしてしまい、けっきょくZOOMには参加できなかった。まあ、そういうこともある。
なんにせよ10時から仕事に入る。今朝は仕事中こんなことを考えた。過去にあった嫌なこと、忘れたいことあれこれについて。いまから冷静になって考えればあの時期ぼくはリアルではすでに20代、いや30代に入っていたはずでだから立派な大人といっても差し支えないはずの年齢だったのに、心の中は過去を生きていたとも言える。いじめに遭ってそのトラウマを克服できないまま大人になったのだから、中学時代か高校時代のメンタリティがそのまま服を着て歩いているようなものと言ってもよかったと思う。なさけない話だった。
あの頃、思っていたことと言えばただこんな町から逃げ出したいとかダサい同級生たちとは金輪際いっしょになりたくないとかそんなことばかりで、だから1人で渋谷系の音楽を聴き漁ったり『スタジオボイス』や『クイック・ジャパン』の創刊準備号、その他いろいろなあやしげな雑誌を読みふけって日々を過ごしたことを思い出す。それでなんやかんやあって東京の私大にもぐり込むことができたのだけど、こんどは親戚もいない土地勘もない場所で孤独をかこつしかなく、つらい思いから鬱に至ったりしたのだった。そんなことも20代や30代の頃――ぼくにとっては、まさに呑んだくれて灰色そのものだった日々だった――思い出したかもしれなかった。
いっぽうではぼくはそんな時代に戻りたくなかった。そんな時代を忘れたいと思っていたし、そんな時代を思わせるものを自分の生活圏からかんぜんに排除しようともこころみた(同窓会にも1度も行かなかった)。ただ、そのいっぽうでぼくは過去のつらい思いをなんども骨をしゃぶるように味わい、不幸に浸ることをいわば日課のようにしていた。なぜそんなことをしていたのかわからない。「過去は過去」ときっぱり割り切って考えればよかったのに……だが、そうできず、発達障害のことがわかって生きづらさの原因があきらかになってからもそんな矛盾した行動にはまり込む日々が続いたことを思い出す。
いま、50歳になって思うのはけっきょくそんなふうにみっともないトラウマだらけの過去というものがぼくの礎を作っているというのであれば、それを引き受けるしかないのかなということだ。断酒会でいつも体験談を語る時に、自分の中のみっともなくてやるせない体験談もあえて口に出して言葉にして、それを共有することをこころみる。そうすることでぼくはたしかに癒やされていくのを感じる。おなじことをこの日記でやってはいけないというものでもないだろう。もちろん、それが嵩じて誰かに迷惑をかけたりするならば考え直さないといけないが、ぼくがやりたいのは告発ではなく(クサい言い方をすると)自己救済だ。
1時より昼休みに入る。昼休み、市役所の方からメールをいただく。来月、ぼくはとなり町の高校で1日だけボランティア・スタッフとして手伝いをするのでその件だ。過去に生きて、過去をずっと悔やんでいたぼくもこの歳になって遅まきながらこんな夢ある活動に邁進することができるようになった。それがありがたい。前にも書いたけれど、この町と世界をつなぐ橋のような存在になればという夢がぼくの中にはある。その夢を見られるようになったきっかけも自助グループでのメンターの方との出会いが与えてくれたのだった。心の中にこうしてたしかな熱(勁さ)があるからこそ、ぼくはいま夢を見られる。
そんなこんなで5時になり、退勤時間となる。今日は夜7時から英会話教室があるのでそれまで教室の宿題を仕上げる。なにについて書いたらいいか迷ったのだけれど、昨日の高市早苗総理の英語とそれをめぐるポッドキャストの話題をそのまま英作文としてしたためることにした。発音やリズム感をどう鍛えたらいいか……これは長年の(永遠の?)課題だろう。その後、時間まで英語メモを書きつけたり津原泰水『ペニス』の続きを読んだりする。
夜7時になり、市役所にて英会話教室がはじまる。こんかいはゴシップについて、つまり身近にあったおもしろい話をそれぞれの参加者がシェアし合うというたぐいのレッスンが主となった。中国と台湾をめぐる国際情勢や、東北のとあるイオンで熊が出た話だとかそんな話題に花を咲かせる。その後、メンバー同士でワイワイゲームに興じて終わった。日々、英会話のZOOMミーティングに参加したりあるいはこうして毎週の英会話教室に出たり、プライベートで英語メモを書きつけたりDiscordで英語でチャットしたり、我ながら本当に英語づくしの日々を送っているものだ!
