いつも朝は7時にシャワーを浴び、そして前日に着ていた服を洗濯機に入れてまわして洗濯し、そして7時50分からはじまる英会話のZOOMミーティングに参加する。これがぼくの毎朝の段取りである。だがもちろん、人間なのでそううまくできないことだってある。今朝は起きたら7時20分ごろだったのでシャワーも洗濯もあきらめて、そのまま英会話のZOOMに顔を出した。まあ、そういうこともある。この時期はそんなに汗もかかないので、毎日洗う必要もない。でも裏を返せば毎日ぼくが洗濯機をまわしてしまうのは、洗濯物をある程度溜めてそして状況に応じて臨機応変に洗うということができないからだ。悲しいけれど、それが発達障害というものなのだった。
ともあれ、今日のZOOMミーティングは羽田空港だったかに建ったゴジラの像の話題が事前に設定されていた。ぼくは羽田空港にもゴジラにも興味がなく(なにせ『シン・ゴジラ』さえ観ていないのだった)それゆえに不安だったが、いざフタを開けてみるとはじめて参加される方の自己紹介が主だった話題となり、そこから派生してそれぞれのメンバーの自己紹介や健康状態などに話が派生して終わってしまった。こうした予期しない話題の転換もこのZOOMの醍醐味というやつで、さいしょは他のメンバーの自由闊達な英語にずいぶん悩まされたがいまではなんとかついていけるようになったと思う。
そして、ZOOMが終わった後に図書館に行き岸政彦の日記『にがにが日記』を借りた。岸政彦の本は実は小説もエッセイも読んだことがなく、ただ日記を読むのは概して好きなのでそれでこの本から攻めてみようかなと考えたのだった。その後近くにあるイオンに行きそこでしばし「自分時間」として『にがにが日記』と取り組む(BGMは昨日に引き続きキース・リチャーズなどのブルースを試してみることにした)。でも、なさけない話ながら5連勤の後だからか身体が重くうっすら疲労に伸し掛かられている気分はかくせない。
それでも、岸の文章はさすがでそんなふうに疲れていたぼくを読ませるだけの筆力があり、読みふけってしまう(ほかにも読みかけの本はあるが、この本は中座できないと思った)。彼がこの日記を書いていた時期は50代前半で、つまりいまのぼくとほぼ同じ年齢と見る。ただ、岸はその年齢において冷めておりこれから自分自身になにほどのことが成し遂げられるか(あるいはもうできないものなのか)見極めんとしているのが伺えた。その態度が大人だと思った。
ぼくはどうだろう。ぼくもこのまま生きて、そして20年か30年か経ったら老人になる。ヘタをするとこの世から消え失せてしまう……でも、それがわかっているならばぼくも岸のように自分の年齢(老い)と虚心坦懐に向き合い、そこから自分にふさわしい生活を導き出す努力をしてしかるべきなのだ。それなのにぼくときたらいまだに若いつもりでふるまって、恥をかいたりしている。これも発達障害が原因していると言うと笑われるだろうか。でも、正直なところぼくは1年後さえわからない。だってこの日記だってこんなふうにはじめるなんて自分でもわからなかったし……。
そう思えば5年後や10年後なんてもう未知の領域と高をくくってもいいのかな、とも思う。30代のあの日、もしぼくがここで書けない事情で死を選ぶ羽目になっていたら40代からはじまったジョブコーチとの出会いや英語のやり直し、そこから派生したさまざまな面白おかしいエピソードも体験できずじまいで死んでいたことになるわけだ。人生とは、かくも不思議なものだ。岸が卒然と書き記すこの言葉が実に襟を正させる、あるたしかな重みをともなったものとしてぼくには映る。
「いまの大阪での人生は、他の街で人生を送っていた別の俺が空想しているものなのかもしれないと、いつも思う」(岸政彦『にがにが日記』P.113)
その後グループホームの自室に戻り、昼食を摂りしばし昼寝をする。それでも、疲労がたたっているのか身体は重くどこにも行く気がせず、そんな重い身体をなんとか運んで本家のグループホームに行きおとといの書類にサインをする。その後手持ち無沙汰なままイオンにまた行き、そこでシー・アンド・ケイクやトータスなどシカゴ音響派の音楽を聴きつつ『にがにが日記』の続きを読む。これはかんぜんな好みの問題になるが、ぼくはこの岸政彦の日記には可能な限り作為を省いた(ひらたい言い方で言えば「わざとらしさがない」「自然体の」)音楽が似合うと思った。
その後、夜になり夕食を食べる。そしてしばし市役所に行く。そこで、先月国際交流協会が行ったイベントであるふれあい祭りについてあれこれ反省会と慰労会を兼ねて話し合い、楽しい時間を過ごす。その後こちらにまた戻ってきてharuka nakamuraの音楽を聴いたりしつつこの日記を書いている。ああ、この人生ももしかしたら夢なんだろうか。明日の朝起きたら、すべてが20年前のあの地獄の時期、酒を止めるに止められず宿酔いのふらふらする頭をもてあまして「死にたい」「生まれてくるべきではなかった」とばかり思っていたあの時期に戻っていたりするんだろうか。それくらい、いまの状況はぼくにとって幸せに感じられる……。
