ぼくの仕事は肉体労働なので、弱音を吐くことはみっともないとわかってはいるもののなかなか5連勤ともなると(もう50代に差し掛かるということもあって)つらいものがある。肉体も悲鳴を上げ始めるし、精神面でもそろそろ休みがほしいと考え始めたりもする。今日は遅番明けで、うまく眠れたような眠れなかったような気分のままともかくも朝7時にシャワーを浴びる。その後洗濯機をまわし、昨日着ていた服を洗濯して7時50分からぼくがお世話になっている英会話のZOOMミーティングに参加する。そして英語脳を鍛えることで1日がはじまる。
今日、事前に与えられていたお題は世界各国のおいしいパンについて(日本のカレーパンもふくむ)だったが、いざブレイクアウトルームに集った面々で話をし始めると参加者のある方が切り出した彼女の家庭事情の話が盛り上がり、英語と日本語を駆使して盛り上がる(こうした脱線はもちろん主催側の望むところではないかもしれないが、ぼくとしてはこうしたハプニングも楽しめる度量を鍛えたいと思う)。もちろんその家庭事情の話を公の場で垂れ流すほどぼくは野暮ではないが、思えばぼくも両親に発達障害のことを話した時もなかなか納得してもらえず困ったことなどを思い出してしまった。
そこから、彼女の話題はいつしか絵画の話になる。彼女の勤める福祉施設でそうしたアートを手掛ける動きがあること、ぼくが描いている絵に興味を示されたことなど……実に濃い40分が過ぎ、その後精神的にスタミナをつけるためにイギー・ポップやストゥージズなどを聴いたりして出勤し、仕事を始める。5連勤目の最終日なのでこれをどうにかこうにかやり遂げれば明日は休み。身体は悲鳴を上げているが、そこをなんとかごまかして仕事に励む。
昼休みになり、先週から今週にかけて(つまり週末)まったく時間が取れずしたがって今晩に控えている英会話教室の宿題の英作文をなにも書けていないことに気づいた。しょうがないので適当な話題でいいやと安直に話題を捻り出そうとして……それで2026年の抱負をどうするかについて書くことに決めた。ただ、いまは仕事の疲れがまだ残っていて書けないので仕事終わりに書くことに決め、ぼんやりキース・リチャーズのブルース演奏を聴きながらくつろぐ。
ふと、2026年の抱負としてライフログをつけることを自分に課してはどうだろうかとも考えたりする。ぼくはさっきも書いたとおり発達障害者で、それに加えてがんらい「したいことしかしない」わがままな性分のせいもあって日記を満足行く期間つけられたことがない。なのだけど、たとえば今年は抱負として夏目漱石をあらかた読み尽くしたいと思ってはじめたもののけっきょく頓挫して終わってしまったので、自分にできそうなこととしてこうした「毎日完結」「一日一筆」的な抱負が似合っているかなと思ったのだった。
仕事が終わり、これでひとまずは仕事から解放されるとホッとひと安心。それで、イオンに行き英会話教室が始まるまでの時間を英作文に宛てる。そう言えばDiscordのとあるグループで企画されていたアドベントカレンダーの企画も申し込みをしたのだった(12月8日、ジョン・レノンの忌日に決まった)。こうして振り返ってみると英語にあふれた生活をしていることに我ながら驚くやら、その凝り性ぶりにあきれるやら。まあ、それでも英語が身についているかと言えば言えないところが情けないのだけれど。
その後、時間が空いたので今福龍太の対談集『小さな夜をこえて』を読み始める。まだ冒頭の2つの対談しか読めていないのだけれど、1995年という時点で早くも今福が(沼野充義との対談で)英語という言語の支配性とそれに対する抵抗の動きについて語っているのを読む。さすがにこの時代にいまのような移民がたくさん日本に押し寄せる光景までも(頭でっかちな観念遊戯ではなく、肌にひりひり来るようなリアリティをともなった語り口で)予見はできなかったかもしれないが、しかしいま読んでも教えられるものがあると見る。
そして7時になり、英会話教室が始まる。今日のレッスンは自分たちの推薦するお目当ての旅行スポットについて紹介し合った後に形容詞を使った文章を作ってみんなで楽しむというのが主な内容だった。ぼくもいきおい、いつも行きつけのブックカフェを紹介したりして熱が入ってしまう(ただ、ふだんめったに旅行も遠出もしないのでこの話題になると聞き役に回らざるをえないのがなさけない話だ)。その後ゲームに興じ、戻ってきて夕食を摂った後に『小さな夜をこえて』の続きを読む。日本にもかくじつに「英語化の波」が押し寄せて、日本語一色で塗り固められたかのようなシーンを変えようとしている。ぼくが大学生のころとくらべるとえらい違いで、これからどうなっていくのかな……と物思いにふけってしまった。
