またしても今朝方早く起きてしまい、その後二度寝して調整しようとするも寝付けず苦労する。それでも7時になるとシャワーを浴び、洗濯機をまわして昨日着ていた服やバスタオルの選択をおこなう。その後、7時50分から英会話のZOOMミーティングに参加して英語脳をきたえる。今日の話題はアメリカのZ世代が節約のために冷凍食品をたくさん利用する傾向があるというニュースがたたき台となって、そこから冷凍食品やレトルト食品について話題が発展していった。
そこで、ぼく自身の生活スタイルについても訊かれたので正直に過去に自炊を学ぼうとしていたことがあった話をして、でもけっきょく味噌汁1つ自分では作ることができないまま終わったことを話した。言い訳になるけれど、でもぼくの勤務体制は朝の勤務と夜の勤務が入り乱れて成り立っているのでなかなか決まった時間をみつくろって料理に宛てるということができないのだ。せいぜいお米を研いでそれを炊飯器にかけて炊くくらいのことしか身につけられていない。情けない体たらくではあるけれど。
それで、冷凍食品やレトルト食品を食べたら節約になることもわかってはいるものの気分の問題としてどうしてもコンビニの出来合いの弁当をお昼に食べてしまうことなどを話す。こうした無意味なこだわりについてぼく自身恥ずかしく思わなくもないのだけれど、でもこだわってしまうのだからしょうがない。そんなこんなでミーティングはつつがなく終了した。その後朝食を摂り、グループホーム本家におもむく。
本家では9時半から相談支援事業所の方との面会が控えており、そこで相手の方の質問に答えて自分の日々の暮らしの生活ぶりを語る。グループホームの副管理者の方も出勤されていたので3人であれこれ話し合う。事業所の方が、ぼくの生活スタイルについて「忙しいんですね」「予定をいっぱい入れておられるんですね」と驚いておられた。なにせ、毎朝(大晦日・お正月関係なく)英会話のZOOMミーティングに出て、火曜日は英会話教室に通い水曜日は行けたら断酒会に行き、木曜日は夜に友だちと毎週恒例のZOOMミーティングをやる……というのだからあわただしく日々は過ぎていく。
でも、それでもぼくの見方からすると「こんなにヒマでいいのかなあ」と思ったりしてしまうというのもたしかな話だ。いや、ヒマはヒマでけっこうなのだけれどいざヒマな時間帯が眼の前にせり出してしまうとそれをどうしのいでいいかわからず、やけっぱちで本を読んで過ごしたりふて寝をしたりするのが関の山なのだった。そのことは副管理者の方も理解されていて、「予定がないとかえってつらいということですね」と助け舟を出してくださった。
その会合が終わった後、食堂をいつものように使わせてもらってそこで自分だけの時間を過ごす。今日はカバンの中に昨日から読みかけていた阿久津隆『読書の日記』を入れていたので、音楽としてジャジーなハウス・ミュージックをあれこれ聴きつつ読みふける。ぼくは実は日記を読むのが好きで、思いつくだけでも過去に永井荷風『断腸亭日乗』をめくってみたり沢木耕太郎『246』や横尾忠則の日記なんかを読んでみたりしたこともあった。この阿久津隆の日記もこれで何周目になるかわからないけれど、あいかわらず読ませる芳醇さを感じる。
日記はその性質上、これといったわかりやすい腑に落ちる「スジ」「プロット」を持たない。ただ日々の記録が1日完結で釣瓶打ちに記され、それが続いていくだけだ。だから小説を読むようなカタルシスを得ようとしたら空振りにおわるだろう。いや、そこにはなんら教訓さえないかもしれない。日々のできごとの記録だけが淡々と記されて、続いていく。でも、それがクセになるのだからあなどれない。
それでふと思い出したのだけど、この日記のタイトルをぼくは「単純な生活」としようと思っている。これはぼくの好きな作家(なんでも「内向の世代」の一員らしい)の阿部昭の代表作のタイトルを拝借したもので、さいしょはぼくの生活があまりにも代わり映えがしないものなのでその単調さを居直る気持ちで、いわばやけっぱちでつけたのだった。でも、阿部昭のこの『単純な生活』はおもしろい小説なので、またいずれ紹介できたらと思う。
昼食を摂り、1時から仕事をはじめる。そこで、1件ここで書けないことがらが起きフラッシュバックにさいなまれたのでそそくさと頓服を飲み、心を落ち着かせるべく奮闘する。その後、休憩時間になり休憩室におもむくも薬の副作用の眠気がたたったのかなにもメモパッドに書くべきことを思いつかず苦吟する。職場の人にはこのフラッシュバックのことはすでに話しているが、なかなかぼくの語彙力不足もあって伝えられていないと感じる。ともあれ、なんとか退勤時間まで仕事をこなしてそしてグループホームの自室に戻ってきて、くつろいだ後この日記を書いて1日が終わった。
