なかなか寝付けず、頓服を呑んで不眠からくる覚醒状態をしのぐ。朝7時、洗濯機をまわしてシャワーを浴びる。7時50分にいつもの英会話のZOOMミーティングに参加し、そこで気心知れたメンバーたちと英語でワイワイ話す。毎週日曜日はフリートークの日でとくに決まった話題は設けられておらず、したがってこちらの好きなことが話せる反面事前に準備することができないのでぶっつけ本番で英語で話すしかなく、なかなか手ごわい。今日はぼくがいつも英語学習の媒介を務めてもらっているDiscordというプラットフォームの話をしたり、HelloTalkアプリの話をしたり(相手の方が愛用されていると聞く。試してみたい)、そんな感じで過ごした。
この英会話のZOOMミーティングはとくに参加に関して資格も要らず、無料で毎朝決まった時間におこなわれる。過去、英語を学びたいという意欲はあったものの田舎暮らしの悲しさでなかなかリアルの英会話教室に行く時間とカネがなく、それで困ってなかば諦めかけていた時にひょんなことから知ってそれで参加するようになったのだった。ぼくは車を運転できないので、だからTOEICとも無縁に生きてきてしまって自分の英語力について見極めができていないのだけれど(ぼく自身は"intermediate"、つまり中級者かなと思っている)、このZOOMでは初心者であっても相手と支え合って英語力をともに鍛えようという参加者の方々の心意気を感じる。ありがたいと思う。
そして10時から仕事に入る。昼休みをもらい、そこで弁当を食べた後にいつものようにぼくが愛用しているマルマンのメモパッドにフリクションペンで英語であれこれメモを書いていく。この英語メモの習慣を続けてきて、今年でかれこれ5年になるだろうか。過去、コロナ禍のパンデミックの時期に軒並みオフライン(対面)での英会話教室や英語がらみのイベントが自粛の憂き目に遭い、それでこのままでは英語が錆びついてしまうとぼくなりに危惧してそれではじめたのだった。さいしょは英語がなかなか出てこず戸惑いや苛立ちがあったのだけど、いまではなんとかスムースに英語が出てくるようになった。
ひとしきり英語で思っていることを「吐き出す」ことに務め、その後図書館のサイトをスマートフォンで開いてそこで貸出期限を延長し、借りたい本を予約する。今福龍太が書いたクレオールにかんする本でも読んでみようか……なんだかこうして言葉にすると恥ずかしいけれど、でもぼくはがんらいきわめて単純で素直なところがあるので(まあ、根が単細胞なのだろう)英語であれこれ外国のことを勉強したり日本を「再発見」したりする過程でこうして視野が広がったというところはあるのかもしれない。それもまた英語学習で得られた思わぬ利得だ。
そこでふと、来週日曜にぼくが所属している発達障害関係の自助グループの少人数でのミーティングが控えていることを思い出し参加の申し込みをする。そこで可能なら、ぼく自身がここさいきん悩まされてきたフラッシュバックの件を話そうと思った。その後、時間がある程度余ったのでカバンの中に入れていた温又柔のエッセイ集『台湾生まれ 日本語育ち』をすこし読む。温又柔の真摯な態度から綴られる芯の強い日本語を堪能しつつ、ぼくと言葉の関係についてあれこれぼくなりに考える。ひいては、日本という国とぼく自身の関係について。そこには主従関係があるのか。あるとしたらどちらが「主」なのか。
今年、ぼくが衝撃を受けてともかくもその切れ味に唸った言葉として「日本人ファースト」というものがある。愛国心をどう持つかという問いはもちろんいまに始まったことではなく、ぼくが若い頃だって問題にされていたはずだ(小林よしのりや宮台真司といった論客もその愛国心と自尊心のあり方をめぐって議論を交わしたと記憶する)。ぼくは発達障害者で、その発達障害にかんしてひどいコメントをしていたというのが原因で参政党を支持できないが、ただ彼らの言葉や政策がある程度のアクチュアリティ(有効性)を持つのもわかる気がするだけに剣呑だ。彼らをただのポピュリストと見なしてナメてはいけないと思う。
そんなこんなで退勤時間まで仕事をこなし、そして帰宅する。今日の晩ご飯はカレーで、それを食べた後に温又柔『台湾生まれ 日本語育ち』の続きを読む。ぼくは典型的な日本人で、日本語という「国語」の中で生まれ育ちそれにたいしてとくに違和感もなく習得することもできた。温又柔の文章からはそうした「国語」がいかに政治性をはらむものかが見えてくる。彼女の小説を読み、そこからあらためてなにかを掴むことができたらと思った。その後、夜も更けて手持ち無沙汰になり、ジャジーなハウス・ミュージックを聴きつつ阿久津隆の『読書の日記』の最初の部分を再読したりしていたらなんとなく1日が終わってしまった。
