朝、7時ごろシャワーを浴びて洗濯機をまわし昨日着ていた服を洗濯する。その後英会話のZOOMミーティングに参加。今日のトピックは空港内で荷物がなくなった時にどうしたらいいかというシミュレーションだったが、フタを開けてみるとぼくがアイスブレイクとして話したブラックフライデーの話や、ぼくがZOOMの背景として使っていた自作絵(レイジ・アゲインスト・ザ・マシーンを模写した)の話からスウェーデンで流行っている曲の話にいたり、それがまた思わぬ方向に展開していった。こういうこともあるからおもしろい。
その後、今日は夜の断酒会までやることもないのでひとまず自部屋を出てイオンにぶらりと遊びに行く。そこでなにか考えごとをはじめたらひらめきがあるかと思っていつものマルマンのニーモシネというメモパッドを広げて、そこに英語でメモを書いていったのだけどなんらいいアイデアが思い浮かばない。仕方なく本を広げて読もうと思ってもなにも活字が頭に入らず、なんだか時間と労力を無駄に遣っているだけのように思えてならなかった。けっきょく「使える」ネタなんて思い浮かばず空振りに終わった。
昼ご飯を食べて、なかばふてくされたように昼寝をしてしまう。こんなに暇つぶしが下手くそというのも情けない話で……前はサブスクリプション(ネットフリックスなど)でドキュメンタリーや映画なんかを観ていたりもしたのだけど、いまは暇つぶしがおもに本を読むか音楽を聴くか、あるいは絵を描くか英語であれこれDiscordでチャットするかが主になっている。過去に酒に呑まれていた時期もこうした暇つぶしがわからなくて、それでけっきょく頭をどよ~んと弛緩させてくれる酒がありがたかったことを思い出した。でも、いまは酒を辞めてしまった。そうなると1日が長い。
昼になり、けっきょくさっきの繰り返しになるけれどやることもなく暇で暇でしょうがないのでまたイオンに行く。そこで、西部邁『妻と僕』をすこし読む。思えば西部邁の書いた本をとおして保守の思想に触れるようになってどれくらい経つだろう。過去に左翼の小僧(というかちんぴら)だったころ、西部の本が嫌いで読めなかった時期があったのを思い出した。いまは『保守思想のための39章』などを読むようになり、無能ではあれそれなりに学ばせてもらっている自覚がある。
西部はこの本の中で、長年連れ添った妻をとおしてこの世界を理解しようとしているかのように映る(なんだかニーチェみたいに響く話だけど)。書かれている内容は「私的」なことがらのようで、その中にそのことがらを「公共性」のあるもの、普遍的に教訓を生み出す礎となるべきものにしようという意志を感じた。裏返せばそれ以上のことはいまは読み取れない。西部の本をもっと読み込み、思考の鍛錬をおこなうことが必要だろうと読んだ。
そして思ったのだ。ぼくももう50歳なのは前に書いたとおりだ。そこから計算して、あとどれくらい生きるだろうか、と。いや、いずれ自分の人生を終えなければならないことはわかる。そして過去にその歴然たる事実に震撼し、厳粛に受け容れんと思ってその余波で酒を浴びるように呑み「人生に意味はない」「クソだ」と思って生きていたのだった。いま、この西部邁の仕事たちからどんな死生観を学べばいいのか。あれこれ考える。
そんなことをしていると夜になる。断酒会直前の時間まで、読んでいた本を管啓次郎『本と貝殻』に切り替えすこし読む。ふとスマートフォンでニュースを見やったところ、ニューヨーク市長選の結果が話題となっているのを知り読む。なんでも左翼(?)に属するという候補のゾーラン・マムダニが当選したというニュースだった。このことをさっそくWhatsAppを通して知人に伝える。友だちもこの結果には驚いていた。
そこから、日本の現況についてあれこれメッセージを交わす。日本では知られるように排外主義・排他的な態度が強く目立つようになってきた。そのフタを開けてみれば相手の国を知らないか過大評価しているか(過小評価、ではなく)からくる認識不足が大きいと見る。ただ、それを言ってしまうとぼくだってマムダニなどに代表されるムスリムの文化なんてぜんぜん知る機会もないし、これから謙虚に学ばないといけない。こうしためんどくさい手続きを踏まえて相手を尊重するなんて離れ業が果たしてできるのか。なかなか難題と思う。
でもすくなくとも、ぼくは国際交流協会のイベントに参加したりDiscordのサーバを通じて知り合った人と交際したりして英語力を鍛えたり国際感覚を学んでいたつもりだ。そこから、このマムダニの躍進について素直にリスペクトする気持ちを忘れないようにしたい。そんなことを考えて断酒会に行き、ここさいきんの体験談を話して今日は終わった。