単純な生活

Life goes on brah!

20251104

いつもぼくの朝は7時ごろにシャワーを浴びてそのあと洗濯機を回し、そして7時50分から40分間にわたって行われる英会話のZOOMミーティングに参加することではじまる。今日の話題は短時間の会社におけるミーティング(会議)がどう生産性の向上に役立ちうるかというもので、そこでワイワイ英語で話し合う。ぼくが職業柄ブラックフライデーの話などをすると、そこから話が派生してあれやこれやとそのイベントがらみの話題へと脱線していく。そうした脱線ももちろん英語を極力使っておこなわなければならず、これがなかなかおもしろい。今日も楽しいひと時を過ごせたと思った。

その後、昨日書いたように今日は休みということでそれでのんびりするはずが、発達障害ゆえの落ち着かなさ(多動性)もあり部屋にいてもなんだかヘンな考えが浮かぶばかりで、精神衛生上よくないと考えてイオンに行く。そしてそのイオンで李龍徳『あなたが私を竹槍で突き殺す前に』をすこし読む。ぼくは自分の政治的立場を中道だと思っているが(もっと言えば「いまのこの日本においては」保守・右派かなとも思う)、この著者の筆致はそうした中道という立場が幻想の産物であること、穏健な立場を気取る存在こそたちが悪いということを暴いているように思われてあなどれないと感じ入ってしまった。

ただ、やはりおとといと昨日の仕事のハードさから来る疲れは無視できない。1章読んだところで集中力が力尽きてしまい、そのあとさてなにをするか考えてもなにも思い浮かばない。そそくさとグループホームの自室に帰って、そして昼食を摂ったあと横になる。そのままぼんやり過ごす。ただ、それでも考えが悪い方向ばかりに向かうのが感じられる。無為に時間が過ぎていく……いや、人生は長いのだからたった1日無駄にするだけと言えばそれまでなのだけれど、でもなかなか落ち着かずたいへんだった。

そのまま寝入ってしまい、けっきょくなんの収穫もなくたんに惰眠をむさぼった状態で3時か4時ごろふたたびイオンに行く。そこで、読みかけていた別の作品である佐伯一麦の作品『鉄塔家族』の続きを読み始める。ぼくは佐伯一麦の作品は『渡良瀬』くらいしか読んでいないのだけど、この『鉄塔家族』はなかなかの力作だと唸らされた。Spotifyでいろいろなデルタ・ブルースの名曲たちを聴きつつ読みふけり、最後まで読んでしまった。

『鉄塔家族』は佐伯一麦をモデルにした作家と彼の家族をめぐる私小説的な作品で、いっけんするとなんの変哲もない日常が描かれていてこれといったダイナミックな山場もなく、淡々と進んでいくように見える。だが、その筆致の中にはかくじつにぼくたちの人生に込められた多彩な細部をすくい取り描き切ろうとする覚悟・意志があると感じられた。ゆえに退屈せず、こんな言い草は失礼かもしれないがでも心地よく、スムースに読めると思った。

思えば、ぼくの人生にしてもその中身と言えばこれといったストーリー(プロット・筋)があるようでない、どのようにでも切り取れる豊穣な要素をふくんだものであるはずなのだ。それは単純に「物語化」しようとすることだってできなくもないし、そうしたこころみはむしろ気持ちよく生きるために必要なのかもしれない。ただ、そうした「物語化」にとらわれるとかんじんなことを見失いかねないのもまた事実だ。

『鉄塔家族』は主人公とその妻、主人公の元家族や彼らが暮らす町のコミュニティ(喫茶店など)の暮らしぶりをていねいに描いている。そこからさまざまな「読み」をほどこすこともできるだろう。地域のコミュニティ(地縁のつながり)のだいじさについて、人生について、仕事について……これから人生の後半戦、この作品を折に触れて読み返せたらいいなと思う。

そうして読み終えて余韻に浸っていたおり、WhatsAppで友だちから高市早苗ドナルド・トランプについて、そしてトランプのノーベル平和賞がどうとかいった話題に触れたコメントが届く。それについてあれこれ考える。高市早苗についてはぼくは高い支持率について理解できないものを感じる反面、ただ彼女がなにかこちらに期待を抱かせるだけの存在感を醸し出していることも見逃せないと思っている。そんなことを書いて送ったりした。

夜になり、7時に英会話教室に通う。今日の話題は2人の英語教師の方が話すアメリカでの学校生活について。そのプレゼンテーションが終わったのち、生徒たるぼくたちも(もっとも、ぼくの場合30年以上記憶をさかのぼらなければならなかったが)英語であれこれやり取り。自信のないことがらについて話す場合の常で、声が小さくなりなんだかなよなよした話し方になって説得力を欠いてしまった。これはこれからの宿題として重く受け留めないといけないな……自信を持って、堂々と。そんなこんなで今日が終わった。