今日は遅番勤務の日。今朝、毎朝恒例の英会話関係のZoomミーティングに顔を出し、そこで英語であれこれやり取り。今日の話題は蕎麦やラーメンといった日本でさかんな食文化についてだったが、大阪で起きている少子化ゆえの学校の統合の話などもシェアされて話が混沌として盛り上がる。その後、いつもながらグループホームの本家に行かせてもらいその食堂を使わせてもらってあれこれ時間をつぶす。まず、そのグループホームの入居者の方々や世話人さんや管理者の方々と会話を交わして楽しんだ後、著名な同時通訳者である米原万里のエッセイ(『不実な美女か貞淑な醜女か』に収録されている)を読む。翻訳や通訳の現場の事情やそこからくる言語間の伝達(「訳」というプロセス・過程を通すうえで避けられない誤解など)がきわめてたんねんに考察されており、唸ってしまう。毎朝、もう逃げたいとか死にたいとかそこまで考えてしまうほど不安に駆られて落ち着かなくなるものの、この米原のエッセイは実にぼくをこの世界に繋ぎ止め、さまざまなことを考えさせてくれた。
このエッセイの中で、米原はぼくたちの脳というものが一種の見えない「コンバータ」というか「ブラックボックス(暗箱)」であると語っている。あたりまえの話をすると、脳の中というのは基本的に目に見えないメカニズムが存在していてそれがぼくたちに翻訳や通訳といった作業、ひいては言葉を使った活動そのものを可能たらしめている。いや、コロンブスの卵的な実に明白な事実ではあるが、でもそれを現場で通訳として活躍した実体験と豊富な知識から書き記した米原の筆は冴える。ぼくに限った話をすれば、ぼくの脳だってぼくからすれば立派な「ブラックボックス」だ。いったいどういうわけで英語でこんな感じでさまざまな考えの断片をメモパッドに書きつけていくというのか。その合理的な説明がぼくにはできない。あるいは、もっとカネになりそうなことを考えればいいというのにこんな抽象的なことに惹かれるぼくの心理・脳内をぼくはまったく説明できない。そういうものだ、としか言いようがない。
この日記でも書いてきた通り、ここ(この町、あるいはこの国)ではおしなべて皆日本語を使ってそれぞれの意思伝達にいそしむ。いや、ぼくだって考える際のベースになっているのは母国語たる日本語であり、日常生活における買い物だってなんだって日本語でこなしている。ただ、メモパッドにアイデアを書きつけるべくフリクションペンを持ち、そしてサラサラっとペンを走らせていく段取りになって英語がどこからともなく湧いてくる。いや、どこからなのかわからない。目に見えないメカニズム、というのはまさにそのとおりで書き始めると脳内のブラックボックスから英語が出てきてメモパッドに結実するのだ。もちろんぼくの英語がネイティブの人から見れば目も当てられない・間違いだらけのものなのは明白とも思うのだけれど。
そんな感じで米原万里のエッセイを読み終えて、時間もあったのでまたイタズラ書きを楽しむ。それをグループホームの管理者の方々にお見せした後に、いろんなソーシャルメディアやその他プラットフォームを使って友だちに見せる。いや、英語の間違いはもちろんのこと、描いたと言ってもサラサラ30分ほどかけただけの手抜きの極みなので傑作とはほど遠いが、でも友だちはこの言わんとすることを汲み取ってくれて、喜ばれた。もっと描きたいと思った。
1時から仕事を開始する。そして、3時から今日はジョブコーチとの面談あり、それで職場で30分ほどミーティングをおこなった。いろんなことを話し合う。悪性のウイルスに罹患して倒れていた時のことや、英会話のことなどを話す。そのジョブコーチとの面談も会を重ね、だんだん人となりがわかってきたように思う。その方を悪く言うつもりはないが、でも彼女が「仕事はどう?」と訊いてこられたのはさすがに黙らざるをえなかった。というのは、とてもこの質問が「いったいなにを訊いているんだろう?」「なにを知りたいんだ?」としか言いようのない抽象的で難解なシロモノとしか思えなかったからだ。なにをどう解答したらいいんだろう? 精神面のことか、肉体面のことか? 彼女はこうした質問を切り口に会話を広げたかったのかもしれないが、でもぼくからすればこのぼく自身のムダな厳密さこそが発達障害の特性なのだとしか言いようがない。もちろんこのことはそのジョブコーチに言わせてもらった。生意気だっただろうか……むずかしいものだ。

