単純な生活

Life goes on brah!

2025/03/23 「情熱の真っ赤な薔薇を胸に咲かせよう」(ザ・ブルーハーツ)

BGM: 平沢進 - 広場で

どうしたらこの人生を受け容れられるんだろう……仮にこのぼくが「永遠の自分の哲学のテーマ」というものを持っているとするなら、それはたぶんなんら「デカい」ものではありえずこんな感じでほんとうにしみったれたというか、ミニマルで個人的なものとして収斂してしまうんだろうと思う。ハイデガーのような世界や時間の神秘を解き明かすでもなく、あるいはぼくが敬愛しているウィトゲンシュタインのように言葉やコミュニケーションの不可能性・神秘性をめぐって緻密きわまりない思索を繰り広げるでもなく、柄谷行人のように「他者」「外部」の謎を「探究」し続けるでもなく。

ということは、それはもう「哲学」でさえありえないかもしれない。文学や個人的な思想信条の次元で自足しているたぐいのものというかなんというか……だから公にしていいものかどうかもわからないし、誰かに訴えかけてその人を助けられる・救済できるたぐいのものでもないかもしれない。でも、もうこの歳まで生きたらそういうこともあきらめがついてしまうのか、それでもいいかなとも思う。もう読者のみなさんは先刻承知されているように、ぼくはなんらグル(尊師)でもなく聖者でもない。そんなものであるわけがない。ただの名もなきどら猫である。

まだぼくが若かったころ、思うのはなにをやっても三日坊主で長続きせず、なんらこれといって一貫してねばり強くタフネスを発揮できる対象が見つからず、情熱を燃やすこともできずじまいでうろうろするしかなかったことである。まさに停滞し、若さを持て余していたのだった。いや、正確に言えばあの頃から書くことは始めていた。当時ぼくは書くことなら誰かに対してアピールできるかもしれないと思い(そんなあさましい動機を書くことの中心・主眼に据えていいのかどうかは議論の余地があるかもしれなかったが)、なにはともあれせっせと当時聴いていた音楽や親しんでいた文学の感想文を記事としてしたため、そして手作りのミニコミとして友だちと一緒に刊行したりさえしたのだった。

でも、そんなことをしても(いま思えばもちろんほんとうにありがたい体験だったとはいえ)、ぜんぜん心が満たされるのを感じなかった。当時、たしか孫正義やその他さまざまな「カリスマ」「時代の寵児」たちの言葉にほだされ、彼らが夢や志やヴィジョンを持つべきと力説しているのに乗っかってぼくもシャキッと夢を持とうとした。でも、一方では彼らの言葉に欺瞞や嘘を感じてしまった。いや、違う。彼らの言葉は真実と認めるにやぶさかではない。ただ、ぼくにはまぶしすぎた。当時のぼくに必要だったのはもっと別の言葉だった。

言い換えればぼくはまず、ほんとうに絶望的というかどん底というか、ボトムの状態にいたのだからまずあの時期のぼくに必要だったのは「承認」ではなかったかなと思う。いやもちろんぼくは加藤諦三橋本治のような(イヤミではなく本心で書いているが)人間観察・人間心理を読み解くベテランではない。心理学に長けているわけでもなく、哲学にしたっていまだ「途上」をうろうろしているのが関の山の修行中の身でしかない。もっと言ってしまえばただの労働者だ。でも、そういう「承認」「セイ・イエス(YESと言う)」が大事ではないか。そうして「ここにいてもいい」「自分は無力・孤独ではない」という事実によって救われて、「そこから」「その後に」こそ夢や大志に向かって前へ前へと歩けるんじゃないかなあと思う。どうだろう。

今朝はいつもどおり英会話関係のZoomに顔を出し、そこで英語であれこれやり取り。その後、10時から仕事に入る。昼食時の休憩時間になり、そこでふとFacebookの英語学習の先輩が「フットワーク」という言葉についてシェアされていたのを読む。それはかならずしも一般的に使われている英語ではないというのだった。ネイティブ・スピーカーたちのあいだではボクシングの専門用語として知られているらしい。日本では言うまでもなく「猪木は政治家としてフットワークが軽かった」とかなんとかごくあたりまえのように使われる言葉で、それがおもしろい。ググってみたり、あまつさえチャットGPTにこのことを投げかけてみたりして、そうこうして昼休みをつぶした。ああ、なんとも活動的というか。だからぼくの情熱は消え失せたわけではないのかもしれない。

いや、いまだぼくはエア・ポケット的なからっぽの状態というか、スランプを感じていたりする。でも、それでもこんな感じで炎が燃えているというかなにか煮えたぎっているというか、それもまたたしかなようでもある。だったらそんな炎さえ気をつけて過ごしていれば、また新しい局面に出くわすのかもしれない。波のように……なら、また「ビッグ・ウェンズデー」的な波がくるのかなあ、とも思った。なんかノンキな響きに聞こえるが。そんな感じで仕事をして、夜は『ねじまき鳥クロニクル』の2巻をおしりまで読み終えて3巻目の頭まで来たところで力尽きた。