今日は遅番だった。今朝、いつものように英会話関係のZoomミーティングに顔を出す。いつもこのミーティングでは興味深いテーマが日替わりで供給されているのだが、今日のテーマはことのほか身近なことがらだった。昨今若い世代の働き手が管理職になることを拒み、仕事よりも彼ら・彼女たち自身の私生活を充実させるほうに主眼を置く傾向がある、というのがその骨子だった(俗に言う「ワーク・ライフ・バランス」の問題と言えるのかもしれない)。つねづね書いてきたように、ぼくのいまの立場としては市内のとある会社で発達障害者として(つまり、言い方を変えれば「精神障害者枠で」)勤務させてもらっているというもので、だからけっしてマネージャーやその他管理職でもなんでもない、つまりはただのしがない小市民だ。ただ、その立場(ブレイディみかこ風に言えば「地べた」)からこそ見えるものもある。そんなことを今日のミーティングでは他の方々と話し合った。ちなみに、いまはぼくは社でエラくなろうとかなにかでかいことを成し遂げようとか、そんなことはあまり考えていない。社の中ではぼくはただの「よくわかんない」はみ出し者というかはぐれ者でしかないだろう。それより、仕事をそれなりに手堅くこなしつつプライベートで趣味として英語学習を続けて市内のボランティア活動でこの語学力を活かせたらなあ……と甘い夢を持っているというのが正直なところなのだった。
そのミーティングが終わったあとは朝食を摂り、そしてイオンまで赴く。昨日、この日記でも書いたが英語研究会でぼくは参加者の1人としてJ・K・ローリング『ハリー・ポッター』の原書を読み進めた。なので身体がまだ暖まっているうちに復習をしておきたいと思って、あらためてページを開き読み返した。ただ、突如としてこんなことを自問自答してしまう。自分の英語力というものはほんとうに・たしかに向上しているんだろうか、と。あきらかなこととして、この種の語学力というのはそんなに一朝一夕に・急激に伸びたり縮んだりしない。静かに、そしてゆっくり伸びはじめる。だからこそ日々、ねばり強く学んで「仕込み」というか「下ごしらえ」をしてあとは伸びてくれる日がくることを祈るしかない。でも今日はなんだか「ほんとうにこんなんでいいんだろうか」と不安になったのだった。なんだか、まったくもって間違った学び方をしてるんじゃなかろうか……そう思うと不安で居ても立っても居られない。チャプターハウスの音楽を聴きながら、そんな不安と向かい合った。
なんでそんなことをしてしまったのかいまになってはわからないのだけれど、とにかくそんな感じで「居ても立っても居られない」となるととにかく見境なく動いてしまうのがぼくのクセで、昼前にインドネシアに住んでおられるぼくの友だちの(そして、ためらわずに言えることとしてぼくのだいじな「英語の師匠(メンター)」でもある)ジュディスさんにこの不安についてテキストをWhatsAppでしたためて送る。すると即座に、ジュディスさんはぼくの書いたテキストを読まれてそして、「バーンアウト(燃え尽き)」に陥っているのではないですか、とおっしゃった。そしてフラッシュカードなど別のメソッドを試してみてはどうか、とも言われた。たしかに毎朝の英会話関係のZoomや英会話教室、英語研究会やこの日記やDiscordでのチャットなどを日々楽しんではいるもののなんだかそうしたことは「マンネリ」というか、「ルーチンワーク(決まり切った繰り返し)」になってしまっていたかもしれないなと反省する。それで「壁」というか「ブロック」にぶつかったのかなあ、と。フラッシュカードや、前にそのジュディスさんが薦めてくださっていたEpisodenを使ってみることも視野に入れたいと思った。
それはそうと、こうして書いてきたことをたわむれに読み返して、そして思う。なんと自分の中にはタフな情熱というかスピリットというか、よくわからないがアントニオ猪木ばりの「闘魂」があるように思う。いったいなんでここまでしてぼくは英語に情熱を燃やしてしまうんだろう、とあきれてしまう。バカだなあ……と。過去、アルコールに溺れてドロドロになって生きていたころはほんとうにいったい日々なにをやったらいいんだかわからず、資格を取ることを薦められたり転職を誘われたりもしたがけっきょくなんらモチベーションも湧かず、だからなんにもせずビールを煽るのが関の山だった。まさに負け犬だった。でも、なんだかんだでいまはこうして幸せに生きている。もしこの英語や読書への情熱をぼくの人生から差っ引けば、なんだかあとにはなんにも残らなくなっちゃうかなあとも妄想してしまったりしたのだった。ただ、いまは多様性の時代だ。人の生き方はいろいろ。こんな人生だってあってもいい。ぼくはそう信じる(というか、そう信じるっきゃないと思っている)。そして学びは続く。
